第30話・通常の値で売ろうと言ったんです
「そうだな、通常の値で⋯⋯えっ?」
アーノルドは珍しく純粋に驚いた顔をメルリアに向けた。
もちろんアーノルドだけではない。談話室にいたガルド、グルドフ、ニック、シエル、カイルも目を大きく開いてメルリアを見てくる。
「通常の値⋯⋯でしょうか?」
ガルドも驚きを隠しきれず確認してくる。
メルリアは小さく頷いた。
先ほどから考えていたことを話し始める。
「小麦が五倍で売れたんですよ。これはラッキーと喜ぶことではありません。異常事態です」
誰もが予想しなかった言葉だったのか、皆の視線は熱い。よほど興味深かったのだろう。
メルリアの説明に皆が耳を傾けた。
おそらくオラン町の周辺は夏の長雨でかなり穀物の被害が出ている。
予想だが、野菜もそうだろう。
それで、なんでもかんでも売れると、他国や他の町の粗悪品を持ち込んでいる状態だ。
たしかにクアココット領の小麦の質が良かったのも一因だろう。
だが、それだけとは楽観できる状態にない。
「オラン町では、小麦が足りない。これは事実です。だから私たちは同じ値で売るのです」
経済のセオリーから言えば、需要が高い物は値段も高く売れる。
よって、“小麦を高く売ること”なのだ。
たが、それは一時的な戦略だ。
(残念ながら、私には、まだ日本人の魂が宿っているわ。日本人なら“三方よし”よ)
三方よしとは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」だ。
「ここで私たちが売るのは、小麦だけじゃないわ。恩も売るの。向こうは小麦を買いたくても買えない。それを私たちは、いつもと変わらない値段で売る。そうすれば恩を売れるだけじゃなく、クアココット領は『こんな時でも値段を吊り上げる必要がないほど潤っている』って評判にもなるでしょう?」
各々、メルリアの言葉を理解しているようだ。
アーノルドは舌を巻いた。
髭を指でなぞり、唸る。
「メルリア⋯⋯お前に処世術いらないんじゃないか?」
「い、要ります!」
メルリアの頬が少し熱くなる。
メルリアは短くアーノルドに返事をすると、ガルドに付け加える。
「あと、野菜も一緒に売りたいです。こっちはブランド野菜なので高い値段にしたいです」
ガルドは理解が追いつかないようで、目を瞬かせている。
「メルリア様、素晴らしい考え方ですね⋯⋯それでブランド野菜というのは?」
メルリアはさっき見た野菜を思い出していた。
トマトはオレンジ色になっているし、胡瓜は皮を厚くして大きい。
人参は黄色になっているし、玉ねぎは小さくなっている。
じゃがいもはできる頻度が減ったが、代わりに大きなものが採れるようになった。
夏野菜と違うところを説明する。色や食感、味をメルリアが分かる範囲で伝える。
同じ野菜でも違う種類ということにするのだ。
「なので、これから売る野菜は“クアココット冬野菜”なのです」
メルリアは小麦の値段を上げない代わりに、野菜を高くするといった。
小麦の値段が通常なら、小麦を買おうと思っていた人は、安く変えることになる。
浮いたお金で野菜を少しでも買ってもらう作戦だ。
「もし、野菜を沢山買ってくれて、“クアココット冬野菜”の評判が定着すれば、来年も高く売れるわ」
(おっと、先走ってしまったわ)
メルリアは慌ててアーノルドの目の前に立った。
両手を合わせて、首を傾げた。
先走ってしまった恥ずかしさから、メルリアの頬が赤くなる。
「アーノルド様、やってみてもいい?」
アーノルドとゆっくりとひと呼吸分ほど、視線を交差させる。
アーノルドは両手を上げて目を伏せた。
「完敗だ。うちの策士は凄いことを考えるな」
メルリアは首を横に振った。
(これは私が作り出した考えではないわ。でも皆が分かってくれたら嬉しい。そうなるような気がする)
メルリアは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「これは“三方よし”という考えなのです」
「サンポーヨシュ?」
なぜか変な発音になるアーノルド。
メルリアはほっこりした。
だが、そんな気持ちはすぐに掻き消された。
「最後に一個聞きたい。なんでそんなことを知っている?」
アーノルドは隠さず聞いてくる。
今度はメルリアが固まった。
それはそのはずである。
こんな五歳が異国の考え方を知っているわけがない。
嬉しさのあまり饒舌に語ってしまったが、皆からすれば不自然極まりない。
だからといって「前世が──」などと話しても、それはそれで何の妄想かと心配されるかもしれない。
そうした場合、素直に話しても分かってもらえずかえって不信がられる。
せっかく積み上げた五年という月日を一瞬で無にすることになるのだ。
この場を収めることはできないか⋯⋯。
頭の知恵をなんとか探す。
(どーしよー、どーしよー! 何も思い浮かばない。なんて言ったら、満足してくれる?)
何も見つからない。
メルリアは冷や汗が流れるのを感じた。
「⋯⋯夢で見ました」
苦しそうに呟くメルリア。
何も浮かばなかった。
夢といえばなんでも許されることはないと分かっている。
苦しい言い訳だとは分かっているが、『なんだか話せないわけがあるんだな』とでもやんわり受け取ってほしい。
そんな希望さえも高望みであると分かっているけど⋯⋯。
沈黙がメルリアの精神を削ってくる。
(誰かなんか言って!)
メルリアにとって、とても長い時間となった。
その間も心臓が変な鳴り方をし続けている。
メルリアが涙目になり始めた頃──。
「「「あ〜!」」」
なぜか皆は分かったような声を口々にし、大きく頷いたのだった。
次回の二角的イチオシシーンは
初めに出てきたのは、胡瓜とトマトと玉ねぎ。
ひと口大に切られている。
ツンと鼻の奥を刺すような匂いはお酢だと分かる。
「胡瓜と玉ねぎは分かるけど⋯⋯トマトもピクルスなの?」
「えぇ、そうですよ」




