第20話・クアココット新領主、誕生
閉め切っている馬車の中にも漏れてきていた土と青々とした緑の匂いはいつの間にかなくなっていた。
その代わり、食べ物の焼ける音や花の香りに変わる。
それでもアーノルドの屋敷は建物ばかりの場所ではない。
バルディーニ子爵家の避暑地に使われる南の地域にある。
「アーノルド様、本当にバルディーニ前子爵様にお会いしなくてよろしいのですか?」
“バルディーニ前子爵”の名を聞いた途端、空気が張りつめた。
馬車の中には重い沈黙が流れる。
「あぁ、フェリクスお兄様が継いだ今、領地は安定している。お父様も俺に会う理由なんてないだろう」
クアココット領にいたときの陽気な雰囲気とは違い、口を固く閉ざすアーノルド。
アーノルドの屋敷へと戻ってくると、「先に身支度を整える。湯浴みと正装の準備をしてくれ」とアーノルドが指示をすると、「もう遅いかと」と残念そうなバルドの声が返ってきた。
アーノルドは息を呑んだ。
このあとどうなるかは手に取るように分かっていた。
「お兄ちゃん、おかえりなさい」
「ただいま。マーラ、書類の準備感謝する」
マーラは静かにアーノルドの服装を眺めている。何かを考えているような目をした。
「お帰りが早かったようで」
「嫌味か」
バルドはアーノルドに近づき加勢した。
「クアココット領から直接このお屋敷に戻ってまいりました」
「やっぱり!」とマーラの怖い声。
「結局、マーラの味方か!」とアーノルドはバルドに文句を言う。
アーノルドはこの後続く言葉が分かっていたので、上げた手を力なく左右に振る。
マーラと取り合わず湯浴みに向かってしまった。
口惜しそうにアーノルドの背中を見送るマーラはバルドに向かって呟いた。
「お兄ちゃんも勘違いだって、なんで気が付かないんだろう⋯⋯」
マーラはしばらく待っていた。
と言っても女性ほどの時間はかからない。
マーラが持ってきた書類を見直している間に、アーノルドは戻ってきた。
髭は残したままだが、綺麗に整えられており、オールバックにした頭は気品を感じさせる。
身体にピタリと合っているスーツに貴族らしさが漂う。
「貴族のお兄様だ」
面白くなさそうに鼻をふんと鳴らすアーノルド。
マーラの向かいに座ると、書類を手に取った。
領地の地図が目に入ってきた。
「思ったより広いな」
「私たちが歩いたところは、本当に屋敷の周りだけだったみたいね」
そうして待っていると、公証人がやってきた。
こういった利権が絡む用件には通常公証人を使い、両者で確認する。
そしてお互いが納得したうえで、署名をして、公証人の署名をもらって終わる予定だ。
「本日はクアココット領の所有権移管について、公証させていただきます。
なお、この前提にはマーラ様とご結婚されていたクアココット男爵の領地について、所有が不可能となったクアココット前男爵に代わってマーラ様がクアココット領を所有しておりました。これについては、お間違いないでしょうか?」
「問題ございません」
マーラがハキハキとした声で答える。
それからアーノルド、マーラ、公証人はそれぞれ書類をめくり始めた。
所有者の権利の移行の推移。
所有する土地の概要。
そして、その土地の対価の項目にやってきた。
金額はアーノルドの予想範囲内だった。
宝石や、価値のある調度品など、金銭に準ずる財産のほとんどはギルベルトが持ち去ってしまった。
残っているのは何もない土地と外側だけの屋敷だけ。
土地について、今の価値はほとんどない。
ただ、不毛の土地でもなければ、呪われた土地でもない。
このあとの復興次第では、十分使える資産だ。
アーノルドはあえてマーラに屋敷で“雨漏り”したことも“床が抜けた”ことも言わなかった。
公証人はとても穏やかな様子でアーノルドとマーラを見ている。
「書類の内容に異議がない場合は、ご署名お願いいたします」
マーラとアーノルドはそれぞれ署名をする。
公証人が見届けると、公証人の署名と今日の日付を残した。
このインクには魔法が混ざっていて、不当に変更することができないようになっている。
公証人を玄関まで見送ると、マーラが元気な声で「おめでとう、これでお兄ちゃんはクアココット新領主だね」と伝えた。
「ありがとう、しばらくしたらこの屋敷も壊していくから」
「えぇっ!?」
そこからは屋敷を壊そう派のアーノルドと屋敷を残そう派のマーラと使用人たちの押し問答対決が始まった。
妻もいなくなって、アーノルドもクアココット領に移れば屋敷がある必要がないと主張するアーノルド。
それに対して、奥さんとの思い出がここにあるでしょうと主張するマーラと全力で頷く使用人たち。
妻との思い出は大きな木箱に詰めてあり、クアココット領に持って行くと主張するアーノルド。
う⋯⋯これは厳しい、半ば諦めの表情の使用人たち。
マーラはすべての知識を総動員した。
なんとか絞り出す。
「⋯⋯⋯⋯ここに屋敷があったら、メルリアが来たいって言うかも。別荘として残したらどうかな?」
アーノルドほ口を噤んで少し考えているようだ。
一呼吸置くと、顔が緩んだ。
「そうだな、メルリアに聞いてみるか」
このあとマーラは使用人たちから物凄く感謝された。
そしてここの使用人たちから、まだ見ぬメルリアが神格化されたのだった。
次回の二角的イチオシシーンは
お昼にはパンに目玉焼きとトマト、お皿の上には胡瓜のピクルス、それから──。
「お嬢様のリクエストでマッシュポテトをつけました」
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穀物庫の回なのに、お昼のシーンをオススメしちゃいます(ㆁωㆁ)(笑)




