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第4話 生きる屍ってやつ



 教官は黒板に書いた『ゾンビ』というあまりにも率直すぎる単語の横へ、白いチョークをくるりと回しながら、ものすごく軽い調子でとんでもないことを言った。


 「彼は呪われてるんだ。生きる屍ってやつ」


 「はい?」


 反射で返した声が思っていたよりずっと低くて硬かったのは、私が驚いたからというより、驚きの向こう側にある「いや待って、その説明で納得する人がこの世に何人いると思ってるの」という呆れが先に来たせいだと思う。生きる屍。語感だけなら安っぽい怪談か三流雑誌の見出しにありそうな言葉だし、会議室で真顔で口にするにはあまりにも日常と噛み合っていない。お茶でも出されながら聞く話題じゃないでしょう、それ。


 教官は相変わらず落ち着き払っていて、こちらの心拍数を無視する才能に関してはもはや一芸の域を軽々と越えているのではないかと思えるほど自然な調子で、正面に座るソラへ視線を向けた。


 「ソラ。君から説明してくれる? これから行動を共にするパートナーなわけだしさ?」


 「……えーっと」


 その返答の時点でもう、私は不安しかなかった。そこは「任せてください」とか「説明します」とか、もう少しこう、事情説明に向いた入口があるでしょうに、どうしてあなたは毎回、授業で当てられたけれど教科書のページを開くのが間に合っていない生徒みたいな空気をまとってしまうの。

 しかも本人は急にふざけるでもなく、本気で言いにくそうに視線を彷徨わせている。片手で頬を掻き、椅子の背へ中途半端にもたれ、胸の前で一度だけ息を整える様子を見ていると、軽薄そうに見えるこの男にも一応は「言い出しづらい事情」という概念くらい存在するらしい、と、そこだけはわずかに認識を改めざるをえなかった。改めたからといって評価が上がるわけではない。そこは別会計である。


 やがてソラは妙に神妙な顔つきのまま、しかし神妙になりきれない人間特有の居心地の悪さを全身から漂わせながら口を開いた。


「ゴホンッ。説明しても信じてくれるやつなんか殆どいないんだけど、真面目な話、俺はある『人間』の生まれ変わりなんだ」


「生まれ変わり?」


 私が反射で聞き返すと、ソラは慌てたように首を振った。


「いや、来世とか前世とか、そういうスピリチュアルな感じじゃなくてさ。もっと……なんて言えばいいんだろ。俺は“壁”の向こう側から来たんだ。センターブルーにある、“死海”から」


 絶句した。


 彼がいきなり生まれ変わりだの何だのと言い出したから、というだけではない。もちろん十分に意味不明ではあったし、その時点で私の脳内には「ここの会議、やっぱり途中から宗教勧誘に切り替わった?」という疑念がうっすら浮かんでいたのだけれど、センターブルーという単語が耳へ入った瞬間、そんな低次元の困惑はまとめて吹き飛んだ。


 センターブルー。


 この世界に生きている人間なら、名前だけは誰でも知っている。知識というより、もはや理に近い。空が頭上にあって、海が地表を満たしていて、火は熱く、氷は冷たい。そういう当たり前の並びの中に、ほとんど自然物のように組み込まれている言葉だった。


 世界の真ん中にある場所。

 世界の秘密が沈んでいる場所。

 神々の住む場所。


 人々は昔から、半分は畏れで、半分は欲望で、その名を呼んできた。


 センターブルーというのは、西と東へ大きく分かれた大陸のちょうど中央、グレートウォール洋の深部に鎮座する巨大な島を中心とした海域の総称であり、通称は『死海』。この星に唯一残された未開領域で、未踏の地で、到達不能の領域であり、同時に世界中の探検家、航海者、研究者、夢見がちな富豪、人生を拗らせた権力者、そしてろくでもないロマンに命を燃やす人種の憧れを、一身に浴び続けてきた場所でもある。


 未開の地と呼ばれるのには理由がある。島全体が“見えない壁”のような障壁で覆われ、外部からの侵入がほぼ不可能だからだ。船で近づけば航路は狂い、飛行術式を使えば計器が乱れ、長距離観測魔法は歪み、探査ドローンは帰ってこない。近代科学が発展し、魔導工学が高度化し、空を飛ぶ機械と海底を潜る艦が作られるようになった時代になっても、その壁だけは平然とそこにあり続け、どうぞ挑んでみなさいと言わんばかりに世界中の知性と技術を鼻で笑っているような場所だった。


 その存在が世に知れ渡ったのは、今から数百年前、大航海時代の冒険家ストーン・アーケードが遺した手記によってだった。


 幼い頃のことだ。孤児院の図書室で歴史書を読んでいたとき、古びた紙の上に綴られたその短い文章を見つけたことがある。ろくに学校へ行っていなかった私ですら、妙に印象へ残っているくらい有名な一節だった。


 ――地平線の彼方に、世界の“影”が差し込んでいる。光に追いつけるものはまだ誰もいない。ただ、確かなのは、“全ての”時間に追いつけるだけのスピードが、風の中に吹いていること。空はまだ、雲を運んでいること。運命はまだ壊れていないのだ。そして、それにもかかわらず、星は回っている。


 当時の私は、その文を読んでつい「詩人にでもなりたかったのかしら、この人」と思った。歴史的偉人へ向かってだいぶ失礼な感想であったことは認める。認めるけれど、小難しい比喩表現を山ほど並べた末に「それにもかかわらず、星は回っている」なんて締め方をされたら、年端もいかない子どもにはちょっと荷が重い。要するに何が見えたの、写真ないの、地図は、座標は、と、とにかく具体的な情報を寄越しなさいよと、誰に向けるでもなく毒づいていた気がする。


 実際には、写真はあった。


 ストーン・アーケードは死海へ呑み込まれた後、何十年も消息を絶ち、彼の船と死体が発見されたのは失踪から半世紀近くが過ぎた頃だった。発見された船は朽ち果て、船倉には潮と時間に食われた手記が残り、その傍らには一枚の古い写真が置かれていたという。そこへ映っていたのは海上にそびえる巨大な神殿と、濃い緑に覆われた島々の姿で、見る者の喉を乾かせるには十分すぎるほど神秘的だったらしい。写真の裏には、短くこう記されていた。


 ――全ての時と空間が、融け合っている場所。


 そこから先は、もう冒険家たちの得意分野だ。

 つまり勝手に想像して、勝手に盛り上がって、勝手に命を懸ける。

 センターブルーには全ての願いを叶える財宝が眠っている。神々の遺産が隠されている。世界の起源に触れられる。死者を蘇らせる何かがある。滅びた文明の心臓部がある。

 学者たちは仮説を積み上げ、探検家は海へ出て、航海者は酒場で大げさに語り、権力者は自国の優位に繋がる遺物の可能性を夢見て、庶民は庶民で「どうせ何もないんでしょ」と言いながら話題には食いつく。センターブルーという場所は結局のところ、この世界に生きるほとんどの人間が一度くらいは勝手に意味を与えたくなる巨大な余白なのだと思う。


 “センターブルー”という呼称自体も、「世界の真ん中にあり、全ての海と生命が集まる場所」という解釈から定着したとされている。由来の正確な年代や発端については諸説あるものの、少なくとも、グレートウォール洋――別名ウォーター・フロント――の一帯に広がる海域が異常なほど青く、異常なほど豊かな生態系を持ち、果てしない航路エンダー・ラインの下に数十万種規模の生命圏を抱えている、という点についてはほぼ共通認識になっている。現代の観測技術は、その海域の外縁部から未知の物質や特異な波動を幾度となく検出しており、ストーンの写真に映る巨大神殿もまた、特殊な障壁の内側に実在していることだけは分かっていた。


 それでも、壁は破れない。現代科学も、魔導工学も、国際共同研究も、膨大な国家予算も、センターブルー相手には綺麗に歯が立っていない。壁の成分、性質、構造、維持機構、外部干渉の可否、どれもこれも調査中という立派な言葉で包まれているけれど、平たく言えば「さっぱり分かりません」である。学会は時々、もう少し夢のある言い方を選んだほうがいいと思う。


 研究者の中には、神殿内部にはこの星の外から来た知的生命体が存在するのではないか、という仮説を唱える者もいる。その根拠としてよく引き合いに出されるのが、世界各地に突如現れるようになった“魔物”の存在だった。魔物はある時期を境に出没し始めた異形の怪物で、世界の病巣とまで呼ばれている厄介極まりない存在だ。生物学的に見た彼らの肉体構造と、死海周辺から検出される未知物質の化学組成がほとんど同一だったことから、センターブルーと魔物災害の関連は長年注目され続けている。


 そのセンターブルーから来たと、今この会議室で日焼けした腕に絆創膏をつけたうるさい男子が言っている。


 私は椅子へ座ったまま、非常にゆっくりと瞬きをした。こういうとき、人は案外派手に取り乱さない。取り乱したところで現実が優しくなってくれるわけではないし、頭の中に「理解不能」が巨大な字で表示されるだけだからである。


 ソラは私の反応をうかがうように眉を下げ、居心地悪そうに続けた。


「ストーン・アーケード。俺は、その生まれ変わりなんだ」


 再び、私は言葉を失った。


 絶句というより、理解するための土台が根こそぎ足りていない、と言ったほうが近い。ストーン・アーケード。伝説の冒険者。大航海時代の英雄。歴史の教科書を開けばかなり高い確率で最初のほうに出てくる人。センターブルーを発見した人物として、世界中にその名を知られている存在。ろくに学校へ行っていなかった私ですら、嫌でも耳にしてきた名前だった。しかも彼は、私たちの住むミゼリア出身の冒険家である。地元補正というのは恐ろしく強く、学校では偉人の年表と同じ熱量で土産物の話まで挟まれることがある。


 その生まれ変わり?


 あなたが?


 目の前のこの、遅刻してきて、会議室で「おっす!」とか言って、女子更衣室へ迷い込んでビンタを食らった噂が独り歩きしている人が?


 脳内で笑うしかなかった。


「何言ってんの?」


 私の口から出た感想は、だいぶ正直だったと思う。気を遣っても仕方がない場面というものはある。


 ソラは傷ついたような、でも自分でも無茶を言っている自覚はあるような、複雑な顔で頭を掻いた。


「俺も、よく分かってないんだよ。ただ、DNAとか、ゲノムどうとか、生体情報が同じだって言われて」


「誰に?」


「博士に……」


 バカバカしい。


 冗談を言うなら、もう少し地面へ足がついた冗談にしてほしい。昨日購買で買ったパンが実は兵器だったとか、アカデミーの寮のカレーには軍事機密が入っているとか、そのくらいの馬鹿話ならまだ聞く耳を持てた。歴史上の大冒険家と自分の遺伝情報が一致して、生まれ変わりですなんて言うのは、飛躍の幅が広すぎて逆に現実味がない。信じる信じない以前に、どこから突っ込めばいいのかさえ分からない。


 私が露骨に胡散臭そうな顔をしていたからか、教官が椅子の背にもたれ、助け舟なのか追い討ちなのか判断に困る口調で口を挟んだ。


「彼の話は嘘じゃないよ。僕も最初に聞いたときは信じられなかったけれどね。君もリリム博士のことは知ってるだろう? 彼は彼女の“推薦”で、この学園に入ったんだ。証明書だってある」


 リリム博士。


 その名前は知っている。知らないほうがおかしいくらいには有名だ。セントラル・アカデミー生命科学部生物科学科の研究室に席を置く教授、リリム・アレクザンダー。あらゆる種族の遺伝子に共通して存在する基幹配列、『コモノート』の起源について画期的な発見をした研究者として、国内外で注目を集めている若き天才科学者。私の所属は魔法医学部なので専門分野が丸かぶりというわけではないし、講義棟もだいぶ離れているから直接会ったことはないものの、生徒の噂話はよく耳に入ってくる。


 まだ二十代だとか、淡いピンク色のロングストレートが印象的だとか、鼻にピアスを開けているだとか、研究者のくせに見た目が妙にパンクだとか、そのせいで保守派の教授たちが毎回微妙な顔をしているだとか、学食で激辛メニューしか食べないだとか、噂の質が途中からかなりどうでもよくなるタイプの有名人である。天才科学者という肩書きだけでも十分強いのに、外見情報がそこへ重なるせいで、存在感が妙に派手なのだ。


 その博士が、ソラを推薦した。


 それ自体はまだいい。良くはないけれど、世界には変わった推薦制度も変わった研究者も存在する。問題は、その推薦理由が「伝説の冒険家ストーン・アーケードとDNAが一致したから」である場合、私たちは果たして真面目な会議をしているのか、それとも誰かの壮大な悪ふざけに巻き込まれているのか、判別がかなり難しくなる点だった。


「証明書、って」


 私は半眼で教官を見た。


「まさか本当にあるんですか。『この人物は歴史的偉人と遺伝情報が一致しています』みたいな、あまりにも使い道が限定される紙が」


「あるよ」


 あるんだ。


 世界は広いな、と思った。感想として間違っている気もするけれど、他に言葉が見つからない。証明されてしまった意味不明ほど処理に困るものはない。


 教官は机の端へ置いてあった薄い端末を引き寄せると、指先で軽く操作し、何かのデータを空中投影した。淡い青のホログラムが会議室の中央に展開し、複雑な遺伝子配列、年代不明の生体情報記録、アーケード家系図、そして国立遺伝情報局だの生命科学監査機構だの、やたらと権威がありそうな印章がいくつも並ぶ。そこへ映る解析結果の一角には、私の専門ではないなりにも理解できる程度の明瞭さで、「遺伝情報一致率:99.99998%」という、笑うに笑えない数値が示されていた。


「……何その、ほぼ確定ですって顔した数字」


「僕もそう思った」


「…いや、“そう思った”じゃないんですよ」


 ソラはソラで、自分でも見慣れているのかいないのか微妙な顔をしながら、所在なさそうに肩をすくめた。


「だから言ったじゃん。説明しても大体こうなるって」


「こうもなるわよ。人類の一般的な感性を試しすぎでしょう、その経歴」


 私が吐き捨てるように言うと、彼は少しだけ困ったように笑った。そこで笑えるの、ある意味で大物かもしれない。


 教官は資料を消し、チョークを指で弄びながら話を継いだ。


「厳密に言えば、“生まれ変わり”という表現が正しいのかは分からない。博士の見解では、彼はストーン・アーケードと同一の遺伝情報を持つ再構成個体、あるいは死海内部で何らかの方法によって再現された生命体である可能性が高いらしい」


「待ってください、今さらっと、とんでもなく面倒な言い回しを増やしませんでした?」


「大丈夫、僕も半分くらいしか分かっていない」


「大丈夫の基準が終わってるんですが」


 半分しか分かっていない教師に、どうして私は人生の重要情報を握られているのだろう。教育機関とは本来、もう少し安心感のある場所ではなかったかしら。いや、セントラル・アカデミーにそれを期待した私が間違っていた可能性は高い。ここは兵士養成機関であって、心安らぐ学び舎ではない。廊下の角を曲がれば模擬戦、食堂で席を選べば上級生の戦術講義、朝起きれば筋トレ、そんな生活を送っている時点で、平穏な学校像はとっくに死んでいる。


 教官はそんな私の内心を知ってか知らずか、極めて穏やかに続けた。


「彼自身の記憶は断片的でね。自分が誰だったのか、どうしてそこにいたのか、死海の内側で何が起きていたのか、そのほとんどを覚えていない。覚えているのは、冷たい水の感触と、耳鳴りみたいに響く風の音、それから、白くて巨大な建造物の影だけだそうだ」


 ソラは、うまく言葉を探すように唇を動かした。


「夢みたいな感じなんだ。景色はあるのに、順番が滅茶苦茶で、どれが本当に見たものなのかも自信がない。海の上に神殿みたいなのがあって、空が近くて、変な音がずっとしてて……俺、自分のこともよく分かんないまま、気づいたら博士の研究室で目を覚ましてた」


「研究室で目を覚ます人生、なかなか嫌ね」


「俺だって好きでそんなスタート切ったわけじゃねえよ!」


「分かってるわよ。わざわざ好んで“死海から回収されました”みたいな経歴を作る人間がいたら怖いでしょうが」


「そこは否定しきれない世界観なのが怖いんだよな……」


 ソラがぼそっと言うと、教官が小さく吹き出した。笑うな。誰のせいでこうなってると思ってるの。


「博士が彼を発見したのは、死海外縁部で行われた調査任務の最中だった。正確には“漂着してきた”と言ったほうが近いね。障壁の外へ、彼が流れ出てきたんだよ。昏睡状態で、生命反応は限りなく微弱、魔力反応はゼロ。それなのに、肉体は腐敗せず、通常の蘇生術式にも生体魔法にも反応しない。完全に死んでいるようでいて、死んでいない。生きているようでいて、生者とも少し違う。そういう厄介な状態だった」


 私は無意識のうちに、ソラの横顔を見ていた。


 鼻筋、頬骨、唇のかたち、首筋の線、呼吸に合わせて上下する肩、そのどれを見ても、目の前にいるのはどう見ても生きている人間だった。体温もある。声もある。大雑把で、うるさくて、妙なところで空気を和ませてしまう、かなり扱いに困る男子生徒にしか見えない。そこへ「実は一度死んでいます」と札を貼られても、はいそうですかと納得するには、私の常識がまだ健康すぎた。


「それで、“呪い”っていうのは何なんですか」


 私が尋ねると、教官はようやく本題に触れる気になったらしく、黒板へ向き直り、『ゾンビ』の下へさらにいくつかの単語を書き加えた。


 絶対領域。

 魔力無効化。

 死海由来因子。

 不完全蘇生。


 字が綺麗すぎる。本当に腹が立つ。


「彼の体は、外部から流入する魔力を拒絶する。拒絶という表現が正確でなければ、打ち消す、食う、相殺する、どれでもいい。少なくとも普通の生体構造じゃない。魔法を無効化するだけならまだ現象として理解の余地があるけれど、問題はその副作用なんだ。彼の周辺では術式構造そのものが不安定になるし、一定条件下では相手のスキル構造を複写してしまう。しかも本人の意志と関係なくね」


「コピー能力ってこと?」


「雑に言えばそう。もっと雑に言えば、他人の魔法理論へ土足で入り込んで一部を持ち帰る体質だ」


「すごく嫌な言い方しますね」


「実際、術者からするとかなり嫌だと思うよ」


 教官はにっこり笑った。自覚はあるらしい。


 私は腕を組んだまま、机に指先を当てた。ソラの能力自体は、噂としてなら聞いたことがある。あらゆる魔法を無効化し、『絶対領域』の範囲内では相手の能力を一時的に模倣できる異常体質。学園内で有名になるには十分すぎる特異性だった。私が実際にそれを正面から見たことはなかったし、話の半分は尾ひれだろうと思っていたけれど、少なくとも、教官がさっき言っていた“二段階認証の檻”から脱出した件を考えれば、単なる噂で片づけるには無理がある。


「彼がこんな体質になってしまったのは、死海内部に由来する何かが関与している可能性が高い。博士はそう考えている。外から持ち込まれた因子なのか、死海の環境そのものに適応した結果なのか、あるいは……誰かが意図的に彼をそう作ったのか、その辺りはまだ検証中だけどね」


「最後の選択肢、急に物騒さの段階が上がりません?」


「この世界、急に物騒になることが多いから」


「便利な一般論で流さないでください」


 ソラが挙手した。


「先生、俺、そのへんまだちゃんと聞いてないんだけど」


「聞かせると混乱するかと思って」


「今も十分してるわ!」


 珍しく私と息が合った。嬉しくない。


 教官は悪びれる様子もなく肩をすくめた。


「ともあれ、彼の状態は不安定だ。平時は問題なく見えても、外的刺激や特定の魔力波形に反応して、“死”の側へ引っ張られることがある」


「“死”の側、って、言い方」


「そのままの意味だよ。生体反応が急落し、体温が下がり、心拍が停止に近づいて、それでも完全には止まらない。蘇生でも治癒でも触れない領域へ沈む。だから呪いなんだ」


 会議室が少し静かになった。


 さっきまで騒がしく感じていた空調の音が、妙に遠く聞こえる。私は喉の奥が少しだけ乾くのを感じながら、改めてソラを見た。彼は視線を泳がせ、落ち着かなさそうに首の後ろを掻いている。自分のことを話しているはずなのに、どこか他人事みたいな距離があるのは、きっと本人だって処理しきれていないからだろう。


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