第3話 禁魔法術
教官が何者であれ、信用できない輩であることに変わりはなかった。
それは別に彼が本当に犯罪者だからとか、噂通り暗殺一家の出だから、とか、そういう表面上の肩書きだけを根拠にしているわけじゃない。人間というものは肩書きで判断するとろくなことにならないし、実際、立派な肩書きをぶら下げている人ほど中身が終わっていることだって世の中には山ほどある。私が警戒しているのはもっと単純で、もっと厄介な部分だった。あの人はこちらに必要な情報をちらつかせて人を座らせる。しかもそのやり方があまりにも自然で、こちらが自分の意思で椅子へ戻ったように錯覚させてくる。そういう人間は総じて信用しないに限る。
まして師匠を殺した黒装束の男と、その周囲に蠢く連中が関与している可能性があるなら話は別だ。
犯罪者かどうかなんて、私にとってはわりとどうでもいい。重要なのはあの組織と繋がっているかいないか。そこだけだった。あの連中が扱っているのは、ただの違法薬物でも怪しい宗教でも、裏市場の武器密売でもない。もっと質が悪くてもっと救いがなくて、下手をすると使った本人の命ですら道具扱いする類いのもの――【禁魔法術】だ。
耳慣れない人にはいかにも物騒で、それっぽくて、少し大袈裟に聞こえるかもしれない。禁術、禁忌、禁制。そういう言葉はだいたい大人が使いたがるし、偉い人たちほど会議室で眉間にしわを寄せながら口にしたがるものだ。実際、国際会議の議題にも何度も上がっているし、安全保障理事会だの軍事監査委員会だの、名前を聞くだけで眠くなりそうな組織でも問題視されている。けれど寝そうだからといって危険性が減るわけではない。むしろ、退屈な顔をした大人たちが真剣に禁止条例を積み上げる程度には、現実的で、広域的で、厄介な脅威だった。
【禁魔法術】。
人の細胞を分解し、再構築し、人工的な魔力元素――【ブルーソケット】を体内へ埋め込むことで、本来その個体が持っている魔法出力や身体性能を無理やり底上げする禁術。
魔法科学機構の発表によれば、一定条件下で魔法総量の増大、肉体組織の強化、反射速度の上昇などが確認されている一方で、細胞寿命の異常な消耗や精神活動の劣化、免疫系の暴走、人格変質まで報告されている。便利な響きだけ拾えば「強くなれる技術」に見えなくもないけれど、実態はずいぶん悲惨だ。身体を前借りして戦うようなもので、勝てば英雄、死ねば素材、壊れれば処分。そういう発想の延長線上にある。
そもそも魔法という現象は、誰かがノリで火の玉を飛ばしていたらいつの間にか学問になりました、みたいな雑な代物ではない。遺伝子科学と素粒子研究の交差領域で発見された未知の粒子――C粒子を起点に、生体内で複合的に形成される分子結合と精神干渉の連動現象として定義されている。要するに、難しい。ものすごく難しい。講義で聞くたびに「結局、私が火球を出せるのはどうしてなんですか」という原始的な疑問へ戻りたくなるくらい難しい。
生物の体内には、生まれつき“魔子”と呼ばれる細胞エネルギーが内包されており、マナフィーブル、通称“魔素”の流動と、生体分子ネットワークと呼ばれる細胞結合の回路構造を通して、外界へ干渉可能な形に整えられる。その総量や質、指向性、属性偏差の違いによって、火を扱いやすい者、水の制御に長ける者、精神干渉へ適性を持つ者、治癒へ向く者などの差が生まれる――と、教科書は言っている。
私はそこまで綺麗に説明できる優等生ではないけれど、少なくとも魔法量には無数の形態があって、あらゆる生物が共通して「不可分の小さな粒子から構成されている」という原子論的な土台を共有していることくらいは理解している。
もっとも、この星に存在する魔力や物質そのものが、生命という枠を越えて宇宙的な始源と関わっている、なんていう、聞いただけで教授陣が好きそうな話まで本気で掘り始めると、授業時間がいくらあっても足りないし、私としては復讐が済んでからゆっくり聞きたい分類の話だった。優先順位というものがある。宇宙の真理より、目の前の敵の正体のほうが先だ。
そんな私の心境など当然お構いなしに、教官はいつもの調子で、まるで「帰りに何か買っていく?」くらいの軽さで言った。
「まあ、話くらい聞いていったらどうだい? 今回の任務は、君の知りたい“情報”にも少しだけ関わっている。僕からの情報を聞く前に、有力な手がかりを得られるかもしれないよ?」
少しだけ、という曖昧な言い方がいかにもこの人らしくて、殴っていいなら頬をつねりたかった。少しだけって何。料理に入れる塩じゃないんだから、そんな計量スプーンみたいな濁し方をされても困る。こっちは人生を賭けてるの。
もっとも、腹が立ったところで、その言葉に反応せずにはいられなかった自分にも腹が立つ。
「アイツらが関わってるんですか?」
私が声を低くすると、教官は口元だけで笑った。この人は本当に性格が悪い。人の地雷原へ軽やかに片足を突っ込み、反応を見る癖がある。
「関わってるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。いずれにしても、“彼”が全ての鍵を握っている」
「彼って……コイツが?」
思わず視線がソラへ向く。
向かれた本人は、自分の顔を指さしながら「へ?」と間抜けな声を出していた。いや、そこは「俺!?」くらい元気よく驚いてほしい。へ?って何。炭酸の抜けた返事みたいで締まらないにもほどがある。
「そゆこと」
教官は軽く頷き、完全に面白がっていた。
話が見えない。
見えないというか、見せる気があるのかも怪しい。事前に聞かされていたのは、私たちの“修行”を兼ねた特別講習、という、いかにも教師が好きそうな建前だけだった。もちろん私は修行なんて単語に一ミリも心を動かされていないし、教官からありがたいお言葉を頂戴して人格まで磨きましょう、などという健全極まりない青春も送るつもりはない。ここへ来たのは条件があったからで、それ以上でも以下でもない。
それなのに、この男が鍵?
わけがわからなかった。
教官があの組織と何らかの接点を持っている可能性は、まあ、ある。噂も経歴も立ち居振る舞いも、普通の教育者からは少しだけ逸れている。少しだけどころか、だいぶ逸れている気もするけれど、そこは一旦置いておく。
問題はソラだ。彼に関しては、少なくとも私の知る限り、危険な組織と繋がっているような匂いは薄かった。軽率でうるさくて、空気の読み方が雑で、女子更衣室に迷い込んでビンタを食らったらしいという、非常にどうでもいい話題では学内に名を轟かせていたけれど、そういうのはせいぜい「変態予備軍」という社会的に微妙な称号が一つ追加される程度で、国際指名手配級の陰謀とは距離がある。
変態の可能性はあっても、組織犯罪と結び付くとは思えない。いや、変態を甘く見てはいけないのかもしれないけれど、少なくとも私の復讐リストに載るタイプの凶悪性ではなかった。
そんな私の混乱をよそに、教官はさらりと続ける。
「君と手合わせしてみて分かったんだ。君なら、彼の“呪い”を解くことができるかもしれないってね」
「呪い……?」
私が眉をひそめると、ソラもつられたように自分の顔や腕を見下ろし始めた。
待って。あなた、今そこで初めて知ったみたいな反応してない? 自分の話でしょう? 当事者の表情がいちばん新鮮なの、どういうことなの。
「彼の能力について、興味はないかい?」
「ありません」
即答した。
人の特殊能力をキラキラした目で知りたがるほど、私は無邪気な年頃ではない。
「彼の能力が、“組織”と関係しているという点には?」
……。
そこだけは、反応せざるをえなかった。
喉の奥で言葉が止まる。組織と関係している? コイツが?
この男が学園でも有名なのは、何度も言うけれど、“魔力を持っていない”という一点に尽きる。セントラル・アカデミーの入学審査には魔力総量の測定がある。れっきとした検査項目で、しかもかなり重要だ。魔力がない時点で通常審査の枠からは外れる。それなのに、彼は推薦で入学している。つまり、魔力がないことを補って余りある、あるいは審査基準そのものを再考させるほどの何かがあった、ということになる。
「君も知ってるでしょ? 彼の能力を」
「知ってるには知ってますけど」
「魔力を持っていない代わりに、どんな魔法も無効化してしまう。実に興味深い能力だよね」
興味深い、で済ませていいのかは疑問だった。
聞いた話では、ソラはあらゆる魔法に対して異常な耐性を持ち、『絶対領域』と呼ばれる特殊な範囲内において、相手の能力――つまりスキルを一時的にコピーできるらしい。
らしい、というのは、私が実際にそれを正面から見たことがまだないからだ。噂話は尾ひれがつくし、学園という場所は無駄に話を盛る生き物が多い。剣術で転んだだけの話が、翌日には「大地を揺るがす一撃を耐えた猛者」になっていることだってある。学内の情報流通は、時々、民間伝承と変わらない。
それでも、教官がさっき言っていた“ボックス”の件を思い出すと、単なる誇張では説明がつかない。魔力回路による二段階認証の檻から、魔力を持たない人間が出てこられる理屈なんて、本来なら存在しないはずなのだから。
「彼がこんな体質になってしまったのは、ある事情があってね」
「事情? 生まれつきとかではなく?」
「そもそも彼は人間じゃないんだ。エルフでも、オーガでもない。彼をどう括ればいいのか、僕も少し困ってるんだけどね。彼がこの学校に入っているのも、“リリム博士”の差金だし」
人間じゃない。
そう言われて、私は改めてソラを見た。
見れば見るほど人間だった。鼻が一つ、目が二つ、口が一つ。そこは別に当たり前なんだけれど、少なくとも、いかにも「私は異種族です」と名札でもぶら下げていそうな外見ではない。頭に角があるわけでもないし、耳が異様に長いわけでもない。鱗もなければ、肌が発光しているわけでもない。尻尾もない。羽根もない。ついでに言うなら、姿勢と反応がいちいち犬っぽいときはあるけれど、それは種族の話ではなく性格の話だと思う。
私があまりにも露骨に観察していたせいか、ソラは気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「な、何だよ」
「別に」
別に、じゃない。
本当はかなり気になっている。
気になっているけれど、真正面から「どこが人間じゃないの?」と聞くのも、それはそれで失礼の極みだ。いや、今さら礼儀を気にする関係でもない気はするけれど、人をつかまえて「あなた何製ですか」と確かめるのは、さすがに社会性が終わっている。
サイボーグ?
いや、違う。瞬きもするし、血管の浮き方も自然だし、呼吸も機械的ではない。
ダンピール?
それにしては禍々しさが薄い。
妖魔?
もっとこう、見るからに厄介そうな雰囲気があるはずだ。
シャーマン?
分類が雑すぎる。
頭の中で種族図鑑みたいな候補一覧をめくっていると、教官がチョークを取り上げ、会議室の黒板へ向かった。
さっきまでふざけた調子で話していたくせに、こういうときだけ妙に板書が美しいのが腹立たしい。字が綺麗な人間は信用できない、という理不尽な偏見を抱きそうになるくらい綺麗だった。流れるような筆致で書かれたその単語を見て、私は一度だけ瞬きをした。
『ゾンビ』
え。
「『ゾンビ』、って聞いたことはある?」
聞いたことはある、どころではない。
映画でも、ゲームでも、漫画でも、小説でも、雑貨屋のくだらない季節イベントでも、やたら登場する。知名度だけなら、たぶん歴史上のどの偉人より有名だ。
それを改めて確認されると、逆にどう答えるのが正解なのか困る。知っています、と真面目に答えたら私が教本一ページ目の子どもみたいだし、知りません、と言ったらそれはそれで人類文化圏から切り離された生き物みたいになる。
私は無言のまま、目だけで「そのくらい知ってますけど」という圧を送った。
教官は小さく肩をすくめる。
「ごめんごめん。バカにするつもりはなかったんだ。巷で有名な“ゾンビ”は、何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称、という認識で大体いいと思うんだけど、ここで説明する“ゾンビ”は、ホラーやファンタジー作品に登場するそれとは少し違う。僕が言いたいのは、あくまで“屍”っていう意味であって」
「それがどうかしたんですか?」
嫌な予感しかしなかった。
屍って何。ここで急に怪談が始まるの? 私は怖い話が苦手というわけではないけれど、少なくとも午後の会議室で聞きたい話題ではない。もっとこう、空調の効いた場所で真顔で“屍”とか言われると、逆に笑ってしまいそうになる。
しかも教官の説明の仕方は、毎回ほんの少しだけ回りくどい。
その少し、が積み重なると決まって人は苛立つ傾向にあるんだろう。その証拠に私は今、ものすごく苛立っているのだから。
「要するに、彼は“死んでいる”んだよ」
…………。
会議室の空気が、一瞬だけ止まった気がした。
私の脳も止まった。
ソラの口も半開きで止まっていた。いや、あなたも止まるんだ。そこはせめて「は?」くらい言って。
「待ってください」
私は額へ手を当てた。
頭痛を抑えるためではない。理解が追いつかなくて、額にでも触れておかないと自分が現実にいる自信が薄れそうだったからだ。
「確認なんですけど、今の“死んでる”っていうのは、比喩表現ですか? たとえば人格が終わってるとか、生活態度が崩壊してるとか、そういう社会的な意味で」
「心外だな。君は時々、言葉の刃先が鋭すぎるよ」
「あなたにだけは言われたくないです」
「残念ながら比喩じゃない。生物学的にも、魔法学的にも、そして少しだけ倫理的に面倒な意味で、彼は一度“死んだ”存在なんだ」
倫理的に面倒、という言い回しに、私は本気で眉をひそめた。
その表現を使うとき、大抵の大人はろくでもない情報を持ってくる。




