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第2話 大魔道士に到達した天才



 ……ああ、もう、本当に騒がしい。


 さっきから会議室の空気が落ち着かないのは、広さのせいでも、地上三十六階という妙に見晴らしだけはいいこの部屋のせいでもなく、間違いなく、私の正面で大口を開けて笑っている男のせいだった。教官と楽しそうに言葉を交わしているその様子を眺めていると、待たされた苛立ちより先に、どうしてこの人は初対面の空間でここまで遠慮という概念を捨てられるんだろう、という別の意味での感心すら湧いてくる。感心したからといって好印象になることは一切ない。むしろ逆で、私の中の「できれば関わりたくない人物図鑑」の一ページ目に、今まさに鮮明な筆致で書き加えられていた。


 教官のほうも教官で、遅刻してきた生徒を咎めるでもなく、どこか面白がるように会話しているのだから始末に負えない。普通、こういう場面ではまず叱責が先じゃないの。時間厳守。報告連絡相談。上官への礼節。軍属を目指す教育機関として最低限そこは押さえるべきでしょう。なのに、この二人は再会した旧友みたいな温度感で話している。私は会議に呼ばれたつもりで来たのだけれど、もしかすると見世物か何かに招待されていたのかもしれない。


 この人たちが普段からどういう距離感で接しているのかは知らないし、正直、知ったところで私の人生に特段の利益はない。けれど教官が一般の講師陣と少し違う立場にいることだけは、さすがに私だって理解していた。


 セントラル・アカデミーには各学部に所属する正規教官とは別に、特定分野において国家認可の特別権限を持つ講師が数名だけ在籍している。そのうちの一人が、今、私の目の前で人の神経を一切逆撫でせずに話せないタイプの男子生徒と、朗らかに笑い合っているこの男――ウィル教官だった。


 正式な肩書きは特別講師。


 担当分野は『黒魔法』。


 字面だけ見るとものすごく物騒で、事情を知らない人なら「え、学園でそんなの教えていいの?」と眉をひそめるだろうけれど、戦闘という一点に限って言えば、これ以上実用的で、これ以上応用が利いて、これ以上相手にされたくない魔法体系もないと、私は本気で思っている。


 黒魔法は、世界に存在する属性系統のうち、光属性以外のあらゆる魔力を横断的に扱う特殊分類だ。火、水、風、土、雷、霧、毒、影、精神干渉、腐食、呪詛、束縛、侵食、吸収。単独属性の純化ではなく、混成と逸脱と上書きによって成立する体系だから、整った基礎の上にさらに狂気じみた演算能力が要る。巷では「呪いの力」なんて雑なくくり方をされることも多いし、実際、使い方を間違えれば自分の精神や肉体のほうが先に壊れる。便利だから人気、という可愛い部類の魔法ではまったくなくて、よく言えば戦場向き、悪く言えば人を傷つけるための理屈が最初から組み込まれているような魔法だった。


 しかも厄介なことに、黒魔法はもともと自然界に安定的に存在する属性理論の外側から体系化された“反魔法領域”に近く、長いあいだ国際的には禁忌に触れる学問として扱われてきた経緯がある。今でこそ条件付きで研究と教育が許されているものの、扱える人材は極端に少ない。使えるだけでも珍しいのに、使いこなすとなると別次元。その頂点に立つ人間が、よりによってこのズボラ男だというのだから、世の中というものはときどき信じたくないバランス感覚を見せてくる。


 史上最年少で国際魔法協会の“大魔道士”に到達した天才。


 実戦記録は機密だらけで、開示されているぶんだけでも異常な戦果。


 国家案件の処理に複数関与。


 加えて容姿端麗、高身長、絵に描いたような優男。


 ここまで並べると、どう考えても完璧超人でしかないのに、実際に話すとだらしないし、授業は雑談ばかりだし、平気で人を煙に巻くし、真面目に生徒と向き合っている感じがほとんどない。あまりに中身が追いついていなくて、神様が能力値の振り分けを途中で投げ出したのではと疑いたくなる。


 少なくとも、私はこの二年間、教官から懇切丁寧な進路指導を受けた記憶がない。戦術に関する核心や魔法技術の秘訣を直接教わったこともないし、授業内容にしても、半分くらいは「今日の実験で建物を一棟吹き飛ばしかけた話」とか「昔どこかの山で死にかけた話」とか、そういう、面白いけれど別に成績に直結しない話ばかりだった。聞いていて退屈はしない。悔しいことにそこは認める。認めるけれど、それと教師として信頼できるかは別問題だった。


 教官と初めてまともに関わったのは、入学から一年が過ぎた頃だ。


 セントラル・アカデミーでは、一年目の総合学習期間で基礎戦術、基礎魔法理論、身体強化、兵站概論、応急処置、歴史、種族文化、共同訓練などを一通り叩き込まれ、そのうえで二年目から各自の適性に応じた進路へ分かれていく。全六学部二十三学科。名前だけでも覚えるのが面倒なくらい細分化されていて、近接戦闘に特化する者もいれば、魔導工学に進む者、治癒術に進む者、情報解析や暗号解読に向かう者もいる。私は当然のように実戦系の上位課程を選んだ。悩む余地なんてなかった。迷っている時間があるなら鍛錬したほうがいい。私の人生において進路というのは、希望調査票に書く夢の話ではなく、復讐までの最短距離を測るための現実的な工程表だった。


 その工程表の途中に、なぜかこの教官がずっといる。


 しかも、ことあるごとに私の前へ現れては、知っているのか知らないのか判然としない微妙な顔で、こちらの神経を試すようなことばかり言ってくる。


 今だってそうだ。


 教官はソラの軽口を受け流しながら、まるで今日の天気でも語るみたいな調子で言った。


「でも、結果として出れて良かったじゃないか。僕の見立てでは、もう少し時間がかかると思っていたんだが」


「おいおい、今の聞いた!? “教師”としてどうなんだ?? 今の発言は!」


 大声が会議室の壁に跳ね返って、無駄に耳へ残る。


 いや、本当にうるさいな。


 聞いたけれど、だから何と返せばいいのか困るのだけれど。


 遅刻したのは自分のせいじゃないと言いたいのだろうけれど、あなたがどういう理由で閉じ込められていたのかなんて、私の知ったことじゃないし、そこに同情を求められても反応に困る。私としては、遅れて来たうえに声が大きいという二重苦の事実しか確認できていないので、現時点で評価が上がる材料は皆無だった。


 教官は椅子の背にもたれたまま、楽しそうに指先を組む。


「君の“特性”を再確認しておきたくてね。君を閉じ込めたあのボックスは、いわば複雑な魔力回路で組み上げられた二段階認証の檻だ。魔力を持っていない君は、理屈の上ではどう頑張っても出られないはずなんだけど、やはり“噂”は本当だったようだね」


「だから言ったじゃないですか! 試すまでもないって!」


「物は試しというだろう? それに、これから君たちに伝える“仕事”は、ただの生徒に任せられるような代物じゃない。危険が伴うんだよ。それも、とびきりのね」


 言い方が完全におかしい。


 危険、とびきり、ね、じゃないのよ。


 そこ、もう少し躊躇ってくれない?


 普通は危険がある任務の説明をする時点で、対象者に安心材料を挟むでしょう。「安全管理は徹底している」とか「万一の際には支援が入る」とか。そういう最低限の包装紙もなく、危険です、かなり危険です、と中身だけ出されても、はいそうですか喜んで、とはならない。


 しかも腹立たしいことに、教官の話しぶりには、こちらの了承を得るための説得より先に、すでに事が進む前提の気配があった。任意と言いながら、断られる想定をしていない人の顔だ。私、そういうの、嫌いなのよね。


 話だけは聞こうと思って、この会議室へ来たのは事実だった。


 最初から断る気でいたのもまた事実だった。


 教官が提示した“報酬”に価値がある可能性だけが、私をここまで歩かせた。そこにだけは、どうしても無視できない引力があったから。


 だから私は、教官の言葉を途中で切る形になっても構わず、さっさと本題へ入ることにした。


「あの」


「ん?」


「話を折るようで申し訳ないんですが、元々“任意”でしたよね? この話」


「そうだね」


「でしたら、今この場で言わせていただきますが、今回の仕事はパスさせて頂きます」


「話を聞くだけ聞いてみるんじゃなかったのかい?」


「そうですが、気が変わりました。帰ってもいいですか?」


 我ながら礼儀正しい。もっと棘のある言い方もできたけれど、会議室の床を踏み抜くほど感情的になる気はなかった。こんな無駄な会話にこれ以上時間を使いたくない。鍛錬の予定もあるし、午後の自主訓練室の予約も押さえてある。私の一日はわりときっちり組まれている。予定表に「うるさい男の遅刻に付き合う」とか「胡散臭い教官に煙に巻かれる」なんて欄は存在しない。


「遅刻したのは悪いと思ってるって」


 ソラが申し訳なさそうに片手を上げて口を挟む。


「そんなことはどうでもいいの。時間の無駄だと思って」


「時間の無駄って……」


 困惑したように目を丸くされても困る。あなた個人の価値を全否定したいわけじゃない。今この状況が無駄だと言っているの。そういう細かいニュアンスを説明する義理も感じなかったので、私はわざわざ言い直さなかった。


 今回の仕事がどんな内容なのか、現時点ではまだ聞かされていない。


 でも、報酬の価値に見合うとは到底思えなかった。


 最初は、少しだけいいかもしれないと思った。ほかに手がかりがなかったから。教官は六年前の“あの事件”に関係する人物と、完全には無関係ではないらしい――そんな噂を耳にしていたから。噂を根拠に動くのは好みじゃないけれど、あの件に関しては、もう選り好みしていられるほど情報源が豊富じゃない。だから私は、自分の足で近づいて、確かめることにした。


 六年前。


 師匠が殺されたあの日のことを思い出すと、喉の奥に冷たい鉄片でも引っかかったみたいな感覚が残る。


 黒装束の男。


 顔は鮮明に思い出せないのに、存在感だけが異様なくらい濃い。闇の中へ溶け込むような衣服、音もなく間合いへ入ってくる足取り、私が放った魔法の輪郭を笑うみたいに見ていた気配。あの男が何者なのか、なぜ師匠を殺したのか、今どこにいるのか。何ひとつわからないまま時間だけが過ぎた。私はそのあいだずっと、追うための力を集めてきた。学園へ入ったのもそのためだ。復讐は感情論で済ませるものじゃない。勝てるところまで自分を仕上げて、確実に仕留める。そのためにここへ来た。


 教官がその件に関して何か知っているらしい。


 そう思った私は、つい先日、直接問いただした。


 交渉が上手くいかなければ、力ずくでも聞き出すつもりだった。


 我ながら短絡的? ええ、知ってる。でも、知りたかったの。知りたいに決まってるでしょう。六年分の執着を前にして、冷静な優等生でいられるほど私は出来た人間じゃない。


 もちろん、相手が教官であることは理解していた。しかも、ただの教官じゃない。実力差があることもわかっていたし、正面から仕掛けるのが自殺行為に近いことくらい、私だって判断できる。だから事前に調べた。過去の実績、交友関係、立ち寄る場所、授業後の動線、癖、視線の流し方、利き手、使う魔法の傾向、噂話まで拾えるだけ拾った。とある情報筋にも借りを作って、表では出てこない記録を漁った。


 そこで掴んだのが、教官の血筋に関する最悪に物騒な情報だった。


 世界環境保安機構――WESが公表する「十大最重要指名手配犯」のブラックリスト。その第四位に名を連ねる“ウィリアム・トッド”。暗殺を家業とするトッド家の人間。教官はその男の息子で、生まれたときから暗殺者として育てられた経歴を持つ。さらに、兄弟を自ら手にかけたという噂まである。


 こんなの、どこまで本当かわかったものじゃない。


 でも全部が嘘とも思えなかった。


 教官の立ち居振る舞いには、教育者より先に、もっと別の職業の匂いがある。人の懐へ入る距離感が自然すぎるし、気配の消し方が日常動作に溶け込みすぎている。あれは普通の生まれ育ちじゃ身につかない。


 だから私は、隙ができるタイミングを見計らって奇襲した。


 場所は学園の旧資料棟へ続く渡り廊下の途中。夕方、風が強くて、外壁に這う蔦がすれる音だけが妙に耳へ残っていた。教官は一人で歩いていた。周囲に気配はなし。死角も十分。私は天井梁の陰に伏せ、呼吸を落とし、靴底に風圧緩衝をかけ、音も気配も削った状態で飛び降りた。


 伸ばした右手は確かに相手の首元を捉えた。


 布越しに感じた体温まで、はっきり覚えている。


 取った、と思った。


 なのにその直後には、私の腕が空を切っていた。


 いや、消えたわけじゃない。もっと腹立たしい。掴んだ感触はあったのに、そこにいた教官の輪郭だけが、黒い煙みたいにほどけて消えたのだ。視界の端で何かが揺れたと認識したときには、背後から穏やかな声がした。


『ずいぶん物騒な挨拶だね、セフィリア』


 あの瞬間の気まずさといったら、もう、思い出しても胃が痛い。奇襲が失敗したこともそうだけれど、完璧だと思った接近を、まるで子どものいたずらでも見るように処理されたことが屈辱だった。私は反射的に魔法陣を展開し、追撃に移ろうとした。教官は笑っていた。笑いながら私の構築した術式を一瞥し、指を鳴らすみたいな軽さで霧散させた。黒魔法というより、もはや現象改竄に近い。相性とか技量差とか、そういう言葉で片づけたくないくらい一方的だった。


 その時だ。


 教官がぽつりと口にした。


『君の探している情報なら、取引次第で渡せるかもしれない』


 私は動きを止めた。


 止めざるをえなかった。


 罠だとわかっていても、そこに餌を置かれたら、見ないふりができない類いの言葉だったから。


 会議室に話を戻す。


 ドアへ向けていた足を止めた私に、教官は椅子へ座りなおすよう、視線だけで促した。声音は穏やかで、表情も柔らかい。人当たりのよさだけ抜き出せば理想の教師なのに、その内側がさっぱり読めないから余計に不気味だった。


「情報を受け取りたくはないのかい?」


 ずるい言い方。


 そんなの、知りたいに決まってる。


 知りたくないふりをして席を立てるほど、私の執念は薄くない。


 ほんの数秒だけ迷って、私は苛立ちを隠さずに椅子へ戻った。座り方が雑になったのは許してほしい。優雅に脚を揃えて着席できるほど、心が穏やかではなかった。


「……情報をくれるっていう保証は?」


「この前話した通りだよ」


「あれじゃ信用できませんね。第一、あなたが“味方”である可能性ですら怪しいですし」


「ははっ。参ったな」


 何がおかしいのよ。


 笑って流されると、こちらだけ神経質みたいで感じが悪いじゃない。


 でも実際、私は教官がどちら側の人間なのか測りかねていた。あの組織とどう関わっているのか。敵なのか、敵ですらないもっと厄介な何かなのか。情報の出し方ひとつ取っても、こちらの反応を観察しているような節がある。善意だけで動く人には見えないし、悪意だけで人を弄ぶ類いとも少し違う。つまり、一番面倒なタイプだ。


「……なあ、味方じゃないって、どういう……」


 ソラがぽかんとした顔で私を見た。


 ああ、この人、やっぱり何も聞かされてないのね。


 教官がどういう人間か、学園内では良くも悪くも有名だ。表向きの輝かしい経歴はもちろん、裏で流れている話も含めて、とにかく噂が尽きない。女子生徒のあいだでは、その整った顔と長身、それからどこか影のある雰囲気が刺さるらしく、“闇社会の貴公子”とかいう、聞いているこちらがちょっと真顔になる二つ名で話題になっていたりする。ファンクラブまであるらしい。信じたくないけれど、ある。昼休みに購買の横で、教官の横顔について熱弁している上級生たちを見かけたことがあるので、多分、幻覚ではない。


 私はそういうのに興味がない。というか、あったら困る。復讐相手の手がかりになりそうな人を前にして、「わあ素敵」なんて言っていたら、自分で自分の頭を叩く。


 ソラは三年もこの学園にいて、それを知らないのだろうか。


 それとも知っていて気にしていないのか。


 どちらにしても、私とは生きてきた温度が違いすぎる気がした。


 教官は少し首を傾げ、わざとらしく困ったような顔をする。


「君も、僕が“犯罪者”だと思うのかい?」


「あなたが犯罪者かどうかには興味はないですが」


「じゃあ、どうして?」


「何がです?」


「僕のことを信用できないっていうのは、そういう意味じゃないのかい?」


「私はあなたが、この“国”の敵である可能性を考えてるんですよ。犯罪者である以前に」


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