甘い甘い
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──甘い甘い
エレオノーラがアレックスと話す機会があったのは最後に話してから丸五日後のことだった。必須科目である妖精学の授業にてアレックスがエレオノーラの隣の席に座ってきたのである。
「やあやあ、エレオノーラ。調子はどうだい?」
「ああ、アレックス。特に問題はないよ」
「それはよかった」
エレオノーラが微笑むのにアレックスがそう返す。
「ねえ。アレックスは最近何をして過ごしてる?」
「具体的には話せないのだが、言うならば未来に向けての投資とでもいうべきことかね。私には大きな野望がある。それを成し遂げるためには今から準備を重ねなければならないのだよ」
「そうなんだ。私には手伝えないかな……?」
「君がかい?」
「ええ。そこまで言われると私も気になるし」
確かにエレオノーラには興味があったし、それを手伝うことでアレックスと親しくなれるならば手伝いたかった。
「考えておこう。今はまだ何とも言えない」
「そっか」
エレオノーラは『アリスさんは引き込んでいるのに私が駄目な理由は一体何なの?』とアレックスを問い詰めたい思いを押さえながらそう言う。
「我々学生は学ぶことがまず第一だからね。君も私もわき道に現を抜かして学業がおろそかにならないようにしなければ。聞くところによるとこの妖精学の講義は毎年過去問から変えてくるそうだ」
「それはしっかりと授業を聞いておかないとね」
「全くだ。過去問でずるばかりはできないという辛い現実だよ」
アレックスは相変わらず話していて面白いとエレオノーラは思った。他の生徒はエレオノーラに遠慮しているのかここまで踏み込んでこないし、エレオノーラ自身他の人間には踏み込まれたくなかった。
「ねえ、アレックス。次の休みの日にお菓子を焼いて来ようと思うのだけれど。あなたはどんなお菓子が好き?」
「お菓子か。私はお菓子には目がないんだ。チョコレートもクッキーもケーキも大好きだ。甘いものは人間に活力を与えるからね。しかしながら母は虫歯になるとばかり言ってあまり食べさせてくれなかったよ」
「じゃあ、私がごちそうする。何がいい?」
「では、クッキーをお願いしたい。できれば木の実を入れてほしいな」
「分かった。今度持ってくるね」
「楽しみにしているよ、エレオノーラ」
アレックスの言葉を聞いて『ああ。別に彼が何をしていようと自分との時間は取ってくれる。だから、何の問題もないではないか』とエレオノーラは思った。
そして妖精学の講義が終わり、エレオノーラは購買に向かう。
「あの、買い出しをお願いしたんですが」
「はい。そこの用紙に記入を願います」
購買では平日は街に行けない寮で暮らす生徒たちのために買い出しを行ってくれるサービスがある。そこでエレオノーラはクッキーの材料を注文した。
「さて、次の休みの日は頑張ろう!」
エレオノーラは元気を取り戻したかのようだ。
彼女は週末の休みを楽しみに待ち、購買で届いた材料を受け取る。何が必要かは分かっているので問題はない。
「お菓子作りは食べてくれる人がいるなら楽しいことだね」
エレオノーラのお菓子作りの趣味はあの陰鬱なヴィトゲンシュタイン家の城で培われた。ただただ暗く、冷たい城で少しでも楽しめることはないかと探した結果がお菓子作りであった。
城に仕える料理人から材料を分けてもらい、メイドに教わりながらクッキーを焼いたのが6歳の時。出来はいまいちだったけれど楽しかった記憶がある。
それから何度もチャレンジし、作ったお菓子をメイドや庭師がおいしそうに食べてくれるのはとても楽しかった。
もちろん自分でも自分で作ったお菓子を食べるのは好きであった。しかし、他人とのコミュニケーションが希薄なあの城ではお菓子の甘さより、人が自分とどう交わるのか知る方が貴重だった。
思えばあのころから他人と親しくすることに飢えていたように思える。
「さて! 頑張って美味しく作ろう!」
寮には料理室もあり、クッキーを焼くのに適したオーブンもある。が、基本的に調理器具は魔術によるものではない。
純粋な魔術によって文明を進化させること。それはこの世界ではあまり現実的ではない。魔術に再現性がなく、定量化も不可能な以上、それだけに頼って世界を発展させるというのは非現実的だ。
この世界でできるのは一部の優れた魔術エリートによる文明の牽引である。優れた魔術師が優れた魔術による産物を残すことで、その遺物によって文明が進む。
恐ろしく頑丈な橋。生み出された貴重な金属。大規模な灌漑や治水工事。それらをその時代に生まれた魔術師が成し遂げることで、この世界は発展してきた。
「木の実が入ったクッキーは私も好き。アレックスとは好みが合うのかも。だから、相性も良かったりして……」
そんなことを思いながらエレオノーラがオーブンにクッキー生地を入れる。
オーブンが過熱され、香ばしいクッキーの香りが漂ってくる。甘い匂いだ。
「アレックスは美味しいって言ってくれるかな」
エレオノーラの心は久しぶりに喜びに満たされていた。
「エレオノーラさん? 料理ですか?」
そのとき調理室に現れたのがガブリエルだ。彼女は不思議そうにオーブンを見守っているエレオノーラの方を見てきた。
「ええ。クッキーを焼いているんです。そろそろ焼けるのでひとつ食べていきませんか? ナッツが入ったクッキーですが」
「いいんですか!? ありがとうございます! いただきます!」
「ええ。もうちょっと待ってください」
ガブリエルは満面の笑顔で頷き、エレオノーラはオーブンの様子を見て返す。
「よし。しっかり焼けましたね」
香ばしいバターと砂糖、そしてナッツの香りが漂い、エレオノーラがクッキーをオーブンから取り出す。星形の型で形を整えてあるそれらは綺麗なキツネ色に焼けていた。
「さあ、召し上がってみてください」
「いただきます!」
エレオノーラがクッキーを差し出すのにガブリエルがそれを受け取った。そして、クッキーを口に運ぶとさくっとした音ともにガブリエルの口の中にクッキーが消える。
「美味しいです! エレオノーラさんは料理もできるんですね。凄いです」
「昔からお菓子作りは趣味でしたから」
ガブリエルが満面の笑みで喜び、エレオノーラがはにかむように笑ってそう返した。
「私は料理はさっぱりですね……。全く作れません……」
「慣れないうちは難しいですね。しかし、調理室に来たということは何か調理するところではなかったのですか?」
「いえ。果物の皮を剥こうと思っただけで。私は料理なんてとてもとても」
ガブリエルはそう言ってリンゴを下げていたバックから取り出した。
「ああ。エレオノーラさん。クッキーのお礼にリンゴをどうぞ。ブリギット法王国で取れたもので、仕送りに入っていたんです。よければ召し上がってください」
「ありがとうございます。では、いただきますね」
ガブリエルから瑞々しいリンゴがエレオノーラの手に渡る。
「悩み、解決したみたいですね。顔色がよくなっていますよ」
「ええ。心配おかけしたみたいですみません」
「悩みが解決したなら何よりです!」
ガブリエルはエレオノーラに微笑んで見せ、エレオノーラも微笑み返した。
そして、エレオノーラは出来上がったクッキーを可愛らしい袋に入れ、リボンを付けてから調理室を去ったのだった。
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