夏の思い出と盆踊り 加筆有
2026年夏 盆踊り
現実を踏まえて加筆しました
盆休み。
そう言ってしまえば、ただの休みだ。
居酒屋【なみ】の入口には、今日は暖簾が出ていない。
厨房の火も落ちたまま。
いつもなら仕込みを始めている時間だというのに、大将は店の前に立って、容赦なく照りつける夏の日差しに目を細めていた。
「……あっつ」
「夏ですからねぇ」
隣で虹子が言う。
「分かってるよ」
「じゃあ言わなきゃいいじゃないですか」
「暑い時に暑いって言わないで、いつ言うんだよ」
「冬?」
「馬鹿なの?」
「大将にだけは言われたくないです」
今日も平和だった。
空は青い。
少し歩いただけで額に汗が浮かぶ。
蝉は朝から飽きもせず鳴き続け、アスファルトからは熱気が立ち上っている。
こんな日にわざわざ外へ出るなんて、我ながら物好きだと思う。
「大将、今日お店開けなくてよかったんですか?」
「いいんだよ。盆休み」
「でも居酒屋って、こういう日が稼ぎ時じゃないんです?」
「知らん」
「経営者が言っちゃいけないやつ!」
「盆くらい休ませろよ」
「じゃあ、毎年休んでるんですか?」
「大体な」
「何してるんです?」
「昔はネトゲ」
「…………」
「今はソシャゲ」
「何も変わってないじゃないですか」
「変わったぞ」
「何が?」
「パソコンからスマホになった」
「端末しか進歩してない!」
うるさい奴だ。
大将は歩き出した。
「ほれ。行くぞ」
「はーい」
向かう先は、町の盆踊り。
大将にとっては、ずいぶん久しぶりだった。
◇
「……大将」
「ん?」
「さっきから知り合い多くないですか?」
「田舎だからな」
会場へ近づくにつれて、人の姿が増えてきた。
浴衣姿の家族。
友達同士らしい子供たち。
まだ明るいというのに、すでに赤い顔をしたおっさん。
大将の顔を見て、
「お、久しぶり」
と声をかけてくる人もいる。
そのたびに立ち止まる。
適当に近況を話す。
また歩く。
そして、また捕まる。
「大将、この町の人全員知ってません?」
「知らねぇよ」
「さっきから五人くらいに声かけられてますよ」
「そりゃ店やってりゃ知り合いくらい増えるだろ」
「なるほど」
虹子は納得しかけて。
「……じゃあ私も二十年後にはこうなるんです?」
「まだ働き始めて三日だぞ」
「気が早かった」
「早すぎるよ」
会場へ着く頃には、少しずつ日が傾き始めていた。
昼間の刺すような暑さが、わずかに和らいでいる。
まだ暑い。
けれど、時折吹く風に、昼とは違うものが混じり始めていた。
「お」
虹子が声を上げる。
「屋台!」
「そこに反応するのな」
「お祭りですよ!」
並んでいるのは焼きそば、たこ焼き、かき氷。
焼いた肉の匂い。
ソースの焦げる匂い。
甘いもの。
しょっぱいもの。
いろいろな匂いが夏の空気に混ざっている。
「何食べます?」
「まだ食うの?」
「今日は賄いないじゃないですか」
「だからって祭り来て即飯かよ」
「大将だって見てるじゃないですか」
「いや」
大将の視線は別のところにあった。
「……高っ」
「はい?」
「屋台ってこんな高かったっけ?」
虹子が値札を見る。
「こんなものじゃないです?」
「俺の記憶の倍くらいするぞ」
「ちなみに、いつの記憶ですか?」
「…………」
「大将?」
「二十……いや、三十年くらい前?」
「比較対象が古すぎます!」
「焼きそばって、いつからこんな高級料理になったんだよ」
「三十年あれば物価も変わりますよ!」
「子供の小遣いで食えるもんだったんだけどなぁ」
「大将」
「何?」
「現在へようこそ」
「うるせぇ」
それでも結局、買った。
祭りで食う焼きそばは、祭りで食うというだけで少し美味い。
理由は知らない。
たぶん、そんなものだ。
◇
時間が進むにつれ、人が増えていく。
やがて開会を告げる声が響き。
太鼓の音が鳴った。
夕方。
空はまだ明るい。
けれど、昼間の青とはもう違う。
西の空が少しずつ色を変え、提灯の灯りが目立ち始める。
「始まりましたね」
「そうだな」
「大将、本当に久しぶりなんです?」
「成人した辺りから、ほとんど来てねぇなぁ」
「じゃあ二十年以上?」
「まあ、そのくらい」
「地元の祭りなのに」
「地元だから来ないんだよ」
「そういうものです?」
「いつでも来れると思うとな」
「なるほど」
虹子は少し考えた。
「旅行先だと観光地を回るのに、地元の観光地には行かないのと同じですかね」
「そんなもんじゃねぇかな」
「あ」
「今度は何?」
「大将、見てください」
虹子が指差した。
明らかに普通の盆踊りとは違う格好をした一団がいる。
「……何あれ?」
「大将が聞くんですか?」
「知らんもん」
虹子はすぐにスマートフォンを取り出した。
こういう時だけは仕事が早い。
「えーっと……あ、仮装部門があります」
「仮装?」
「コスプレも歓迎みたいですね」
「へえ」
「へえ、って」
「知らん。いつの間にかやってた」
「地元民ですよね?」
「二十年以上来てねぇって言っただろ」
「今日、どっちが案内役なんですか」
「お前スマホ持ってんだろ」
「案内する気ゼロ!」
昔はこんなのあったかな。
大将は記憶を探ってみたが、出てこない。
なかったのか。
あったけれど覚えていないだけなのか。
まあ、どちらでもいい。
「楽しそうだからいいんじゃねぇの」
「適当ですねぇ」
「祭りなんて楽しんだもん勝ちだろ」
「それはそうですね」
虹子は笑った。
◇
さらに日が傾く。
昼間の熱気が地面から抜けていく。
風が吹いた。
「涼しくなってきましたね」
「この時間になるとな」
夕涼み。
昔からある言葉は、こういう時のためにあるのだろう。
昼間なら鬱陶しいだけだった風が、汗をかいた肌に心地いい。
そして。
やぐらの上から、唄声が響いた。
「……あ」
大将は小さく声を漏らした。
「どうしました?」
「いや」
知っている。
当たり前だった。
子供の頃から何度も聞いた。
夏になれば聞こえてきた、この町の盆唄。
「これが、ここの盆踊りの唄ですか?」
「そう」
「ちょっと待ってくださいね」
「また調べんの?」
「気になったので」
虹子の指がスマートフォンを滑る。
「あ」
「何?」
「これ、ここの地域が発祥なんですね」
「そうらしいな」
「……らしい?」
「何だよ」
「大将、知らなかったんですか?」
「唄は知ってたよ。ガキの頃から聞いてたし」
「じゃあ、発祥なのは?」
「後から知った」
「どこで?」
「漫画」
「…………」
「何?」
「地元で知ってくださいよ!」
「しょうがねぇだろ。子供の頃は全国の盆踊りでこれ流れてると思ってたんだから」
「地元の唄なのに!?」
「子供なんてそんなもんだよ」
虹子は呆れながら、また画面を見る。
「しかも、かなり有名な民謡じゃないですか」
「らしいな」
「また『らしい』!」
「地元民だからって郷土史全部知ってるわけじゃねぇよ」
大将は笑った。
「でもな」
「はい?」
「盆踊り自体は昔からでかかったぞ」
五十年以上続いている、町の夏の行事。
大将が子供だった頃は、今とは少し違っていた。
「昔は駅前からだったんだよ」
「駅前?」
「そこからみんなで踊りながら会場まで行ったんだ」
「結構な規模ですね」
「子供だったから、もっとでかく見えてただけかもしれんけどな」
浴衣姿の大人たち。
提灯。
太鼓。
人の列。
その中に混じって歩いた。
踊って。
ふざけて。
疲れたら屋台へ行って。
また戻って。
そんな記憶がある。
「昔は有名な力士が来たこともあったな」
「え?」
虹子が食いついた。
「お相撲さん?」
「うん。結構有名な人」
「この町に相撲部屋があるんですか?」
「ねぇよ」
「じゃあ、なんで?」
「知らん」
「知らないんですか!?」
「ガキだったしなぁ。来てたってことしか覚えてねぇ」
「もったいない」
「母ちゃんの知り合い関係で、店にも一回来たことあったけどな」
「…………」
虹子が黙った。
「何?」
「大将の昔話、たまに急に情報が強いんですよ」
「そう?」
「そうですよ!」
「田舎なんてそんなもんだろ」
「絶対そんなもんじゃありません」
そうなのかなぁ。
大将にはよく分からなかった。
◇
「大将」
「嫌だ」
「まだ何も言ってません」
「踊ろうって言うんだろ」
「なんで分かったんです?」
「顔」
「そんなに出てました?」
「出てた」
やぐらを囲んで、人の輪ができている。
子供も。
大人も。
浴衣の人も。
仮装した人も。
同じ唄に合わせて踊っている。
「せっかく来たんですから」
「俺、踊り方忘れたよ」
「周り見れば分かりますって」
「二十年以上やってねぇんだぞ」
「ほら!」
「引っ張るなって!」
結局、輪の中へ放り込まれた。
「……あー」
「大将、手」
「分かってる」
「分かってるじゃないですか」
「周り見てんだよ」
一歩。
手を上げて。
下ろして。
また進む。
最初はぎこちなかった。
けれど。
「…………」
不思議なものだった。
頭では忘れている。
次がどうだったかなんて、考えても出てこない。
なのに唄が聞こえると。
太鼓が鳴ると。
周りの人間が動くと。
手が勝手についていく。
「大将」
「ん?」
「普通に踊れてません?」
「身体が覚えてるっぽい」
「二十年以上前なのに?」
「ガキの頃は毎年やってたからな」
唄が流れていく。
昔と同じ節回し。
やぐらの周りを、人が回る。
提灯の明かりが揺れる。
その中で。
「あ、ここ」
「はい?」
「見てろ」
大将は手を動かす。
最後に。
くるりと輪を描くように腕を回して――。
ビシッ。
妙に格好をつけて止めた。
「…………」
「これ」
「何がです?」
「ガキの頃、最後のここをビシッと決めるのが格好いいと思ってたんだよ」
「…………」
「何?」
「今も思ってます?」
「思ってねぇよ!」
「ちょっと得意げでしたよ」
「身体が覚えてただけだって」
「はいはい」
「信じてねぇな?」
虹子が笑う。
大将も笑った。
そして。
もう一度、唄が始まる。
◇
夜が来る。
夏の日は長い。
けれど沈み始めれば、あっという間だった。
昼間はあれほど暑かったのに。
今はもう、ちょうどいい。
風が吹く。
提灯の灯り。
やぐらから響く太鼓。
この土地に生まれ、長い間歌い継がれてきた盆唄。
その唄に合わせて、人々が輪を描く。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
同じ場所を回り続ける。
大将は輪から外れ、それを眺めていた。
不思議な光景だった。
祭りの灯りの中では、人の顔がはっきり見えるようで、どこかぼんやりとしている。
浴衣の袖が揺れる。
子供が走る。
誰かが笑う。
唄が聞こえる。
太鼓が鳴る。
それを見ているうちに。
いつの間にか、昔の記憶が重なっていた。
子供の頃の自分がいる。
若い頃の母ちゃんがいる。
知っている人がいて。
もう会わなくなった人もいる。
今ここを踊っている人たちと。
記憶の中で踊っている人たち。
現し世と隠り世。
その境目が、夏の夜の中でほんの少しだけ曖昧になったような気がした。
「…………」
「大将?」
「ん?」
「どうしました?」
「いや」
懐かしい。
たぶん、そういうことなのだろう。
昔、母ちゃんと来た。
小遣いを握って、屋台を眺めた。
何を買うか真剣に悩んだ。
そういえば。
「……アメリカンドッグ食いてぇな」
「…………」
「何?」
「今の間で考えてたこと、それですか?」
「違うよ。昔食ったの思い出したんだよ」
「もっとこう、ありません?」
「何が?」
「二十年以上ぶりに来たんでしょう? 懐かしいとか、昔を思い出したとか」
「だから思い出したんだよ」
「何を?」
「アメリカンドッグ」
「食べ物じゃないですか!」
「子供にとっちゃ大事だろ」
大将は屋台を見渡した。
「……ねぇなぁ」
「本当に探してる……」
「昔あったんだけどなぁ」
「別のもの食べます?」
「さっき焼きそば食っただろ」
「私はまだいけますよ」
「お前は食いすぎ」
「失礼な」
大将は笑った。
思い出なんて、案外そんなものなのかもしれない。
立派な出来事より。
屋台で何を食ったとか。
踊りの最後だけ妙に格好をつけていたとか。
そんなくだらないことばかり、いつまでも残っている。
◇
夜空に一筋の光が上がった。
ドン――。
「わっ」
虹子が顔を上げる。
大きな花火が開いた。
少し遅れて、腹に響く音。
「始まりましたね」
「そうだな」
もう暑くはなかった。
昼間、店を出た時のあの強烈な日差しが嘘のようだ。
海の方から吹いてくる夜風が、汗の引いた肌に心地いい。
もう一発。
夜空に光が咲く。
「綺麗ですねぇ」
「そうだな」
大将は空を見上げた。
久しぶりに来た盆踊りは、記憶とは随分違っていた。
屋台の値段は高くなった。
知らない催しも増えた。
昔あったものがなくなって。
昔はなかったものが増えている。
町だって変わった。
人も変わった。
自分だって、もう子供ではない。
それでも。
同じ唄が流れていた。
太鼓が鳴っていた。
輪になって踊る人がいた。
最後に手をくるりと回せば、身体はちゃんと昔を覚えていた。
ホッキがある。
アイナメがある。
海がある。
山がある。
祭りがある。
この町で生まれた唄がある。
そして夏の終わりには、こうして夜空に花火が上がる。
「大将」
「ん?」
「何もない田舎って言ってませんでした?」
「言ったっけ?」
「言いました」
「そうだっけなぁ」
「結構あるじゃないですか」
虹子が笑った。
また花火が上がる。
その光が、一瞬だけ町を照らした。
都会みたいに、便利なものや新しいものが何でもあるわけじゃない。
ないものを探せば、いくらでも見つかる。
それでも。
便利なものや新しいものなんかはないけど。
何かなら、何でもある。
大将は、夏の夜空を見上げた。
こんな町の夏が、やっぱり俺は好きだ。
◇
【おまけ】
――それから、数日後。
「大将!?」
「何だよ」
隣を歩いていた虹子が、突然立ち止まった。
その視線の先。
どこからか聞こえてくるのは、太鼓の音。
そして。
人の輪。
「なんか、あそこで盆踊りやってますよ!?」
「ああ」
「ああ、じゃないですよ!」
虹子が指差す。
「この前やったばっかりじゃないですか!」
「市の盆踊りはな」
「市の?」
「こういうのは地区ごとにもやってるぞ」
「地区ごと!?」
「日にちもバラバラだな。お盆にやるところもあるし、もっと後にやるところもある」
「盆踊りって一回じゃないんですか……」
「別に一回じゃなきゃいけない決まりもねぇだろ」
「それはそうですけど!」
虹子は、盆踊りの輪を眺めた。
「大将も、こういうの参加してたんです?」
「小さい頃は近所でやってたぞ」
「へえ。どこで?」
「デパートの跡地」
「…………」
虹子が止まった。
「今、なんて?」
「デパートの跡地」
「ここ、デパートあったんですか!?」
「あったぞ」
「デパートが!?」
「そうらしい」
「そうらしい?」
「俺が生まれる頃には、もう無くなってたからな」
「大将が生まれる前にはデパートがあった……」
虹子が何やら考え込む。
そして。
「昔のほうがモダン!?」
「おい」
「はい?」
「なんかキャラ崩壊してるぞ」
「あまりにも予想外だったので!」
「田舎にだってデパートくらいあったんだよ」
「今は?」
「…………」
「大将?」
「盆踊り、見てくか」
「話を逸らした!」
夏の夜に、太鼓の音が響く。
この前とは違う場所。
違う人たち。
それでも、やっぱり輪になって踊っている。
大将はその光景を眺めながら、ふと思う。
そういえば。
子供の頃は、こっちの盆踊りにも行っていた。
市の大きな盆踊りがあって。
近所の小さな盆踊りがあって。
夏になると、あちこちから太鼓の音が聞こえてきた。
そんなことも。
随分長いこと、忘れていた。
「大将」
「ん?」
「せっかくだから、ちょっと見ていきましょうよ」
「そうだな」
どうやら。
この町の夏は――
まだ、もう少し続くらしい。
◇
ちなみに――2026年、夏。
居酒屋なみ。
窓の外では。
ざああああああああ――!!
叩きつけるような雨が降っていた。
「…………」
大将は、しばらく窓の外を眺めていた。
「なぁ、虹子」
「はい?」
「この前の台風よりヤバい雨降ってきてるんだけど」
「私のせいじゃないですよ!?」
「まだ何も言ってねぇよ」
「絶対言おうとしてました!」
その日。
夏の風物詩である盆踊り大会は。
オープニングイベントと、屋内で行われた抽選会こそ開催されたものの。
雨のため。
盆踊りと花火は中止となった。
「…………」
「…………」
大将は窓の外を見る。
虹子も見る。
雨はまだ降っていた。
「まさか本当に雨になるなんて……」
「…………」
虹子は静かに立ち上がった。
そして。
深々と頭を下げた。
「誠に申し訳ありませんでした!」
「お前のせいだったの!?」
雨女。
未だ健在である。
子供の頃は…アメリカンドッグって屋台でしか食べられなかったんですよねぇ
地元にセブンイレブン出来たの小学生の頃でしたから




