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海水浴と夏の大橋

 夏。


 空は青い。


 雲らしい雲もほとんどなく、朝から容赦のない日差しが照りつけている。


 蝉の声。


 潮の匂い。


 そして。


「海だー!」


 虹子が両手を広げた。


 目の前には、一面の海。


 白い波が砂浜へ打ち寄せている。


 浮き輪を抱えて走る子供たち。


 パラソルの下でくつろぐ家族連れ。


 波打ち際では若者たちがはしゃいでいる。


 観光客も。


 地元の人間も。


 思い思いに、短い夏の海を楽しんでいた。


「海だな」


「…………」


 虹子が振り返る。


「大将」


「何?」


「もっとテンション上げましょうよ!」


「なんで?」


「海ですよ!」


「見りゃ分かるよ」


「夏ですよ!」


「暑いな」


「そうじゃなくて!」


 虹子は海を指差した。


「せっかく海水浴に来たんですよ!?」


「地元民に海見てテンション上げろって言われてもなぁ」


「そういうところですよ、大将」


「何が?」


「地元の良さを伝える気がない!」


「いや、海は海だろ」


「じゃあ大将」


「ん?」


「ここには何があります?」


「海」


「それは見れば分かります」


「砂浜」


「それも見えてます」


「…………」


 大将は辺りを見回した。


 海。


 砂浜。


 海水浴客。


 そして少し離れたところ。


 海と空の間を横切るように、大きな橋が架かっている。


「……橋?」


「他には?」


「…………」


「大将?」


「以上」


「地元民!!」


 砂浜に虹子の声が響いた。


「しょうがねぇだろ! 俺だってここで海水浴くらいしかしたことねぇんだよ!」


「何かあるでしょう!?」


「海水浴場なんだから泳げばいいだろ」


「それだけじゃ紹介になりません!」


「知らんよ!」


「地元民でしょう!」


「地元民だからって全部知ってるわけじゃねぇよ!」


 大将はしばらく考えて。


「…………虹子さん」


「はい?」


「AIでなんか探して!」


「観光案内を丸投げしましたね!?」


 虹子は呆れながらもスマートフォンを取り出した。


 こういう時だけは仕事が早い。


「えーっと……」


「なんかある?」


「待ってください」


「はいよ」


「あ」


「何?」


「大将」


「ん?」


「ここ、国が選んだ水浴場の選定地に入ってます」


「マジで?」


「知らなかったんですか!?」


「普通に泳いでただけだもん」


「地元民!!」


「またそれかよ」


 虹子は画面を読み進める。


「遠浅で、周辺には人工磯や釣りができる場所もあって――」


「へえ」


「へえ!?」


「知らんもん」


「大将が私を連れてきたんですよね!?」


「海水浴にな」


「もういいです!」


 幸先のいい海水浴だった。



     ◇



「で」


「はい」


「お前、その格好何?」


 大将は、先ほどから気になっていたことを聞いた。


 海水浴。


 若い女性。


 夏。


 そうくれば普通は。


「こーゆー時ってさ」


「はい」


「可愛い水着とか着て、読者さんにサービスする回じゃねーの?」


「何言ってるんですか?」


 真顔だった。


 虹子は長袖。


 帽子。


 手袋。


 足元までしっかり装備。


 肌の露出は最小限。


 どう見ても。


 海水浴へ来た若い女性というより。


「海女さん?」


「失礼な!」


「じゃあ何だよ、その格好」


「貝、採れるんですよね!?」


「そっち!?」


「海ですよ!」


「だから?」


「貝!」


「お前、泳ぎに来たんじゃねぇの?」


「食材が目の前にあるんですよ!」


「いやいやいや」


 大将は慌てて止める。


「勝手に採ったらダメだからな」


「…………え?」


「貝」


「なんでです?」


「漁業権とかあるから」


「…………」


「お前、知らないでその格好してきたの?」


「…………」


 虹子が無言でスマートフォンを取り出した。


「AI!」


「また調べんのかよ!」


「確認は大事です!」


「採る前に確認しろよ!」


 しばらくして。


「…………」


「どう?」


「大将」


「ん?」


「本当でした」


「だろ?」


「場所とか種類によって、採っちゃいけないものがあるんですね」


「そういうこと」


「でも、普通に採ってる人とかいそうですけど」


「いるだろうな」


「じゃあ――」


「みんなやってる、は許可証にならねぇぞ」


「正論!」


 虹子が怯んだ。


「海にあるからって、何でも好きに持って帰っていいわけじゃねぇよ」


「はい」


「釣りだって場所ごとにルールあるんだから、遊ぶなら先に調べとけ」


「はーい」


「海はみんなで楽しむ場所なんだからな」


「大将がまともなこと言ってる……」


「お前、俺を何だと思ってんの?」


「ホッキ飯を作ってくれる人」


「店主だよ!」


 虹子はスマートフォンをしまった。


「分かりました!」


「おう」


「今日は普通に泳ぎます!」


「それがいい」


 そして。


 虹子は海へ向かって走っていった。


 海女さんのような格好のまま。


 観光客や地元民が楽しむ夏の海水浴場。


 子供たちは浮き輪で遊び。


 若者たちは水着姿で波と戯れ。


 そんな中。


 虹子も泳いだ。


 いろんな意味で。


 浮いていた。



     ◇



「大将ー!」


「何ー?」


「魚いましたー!」


「そりゃ海だからなー!」


「捕まえられませんかねー!?」


「遊泳区域で漁を始めるなー!」


 大将は砂浜から叫んだ。


 元気な奴だ。


 結局。


 貝は採らなかった。


 魚も捕まえなかった。


 普通に泳いで。


 波に揺られて。


 時々潜って。


 ただ、海を楽しんだ。


 それでも虹子は楽しそうだった。


「気持ちいいですよー!」


「そうかー」


「大将も来ればいいじゃないですか!」


「俺はいい!」


「何しに来たんですか!?」


「付き添い!」


「保護者ですか!」


 そんなやり取りをしているうちに。


 虹子が海から上がってきた。


「楽しかったぁ」


「そりゃよかった」


「あ」


 虹子が立ち止まる。


 視線の先。


 青い海の向こうに、大きな橋が架かっていた。


「あの橋」


「ん?」


「最初に言ってたやつですよね」


「そう」


 虹子は橋を眺めた。


 海から伸びる大きな橋脚。


 そこから空へ向かって伸びる塔。


 張られたケーブル。


 青い空と海の間を渡るように、長い橋が対岸へ続いている。


「結構大きいですね」


「まあな」


「海から見ると、すごく目立ちます」


「そう?」


「そうですよ」


 虹子は少し黙って。


「綺麗じゃないですか」


「そうかぁ?」


「大将」


「何?」


「見慣れすぎなんですよ」


「そう言われてもなぁ」


 大将にとって。


 それは昔からある橋だった。


 車で通る。


 遠くから見える。


 海へ来れば視界に入る。


 わざわざ立ち止まって眺めるようなものではなかった。


「夜も綺麗だぞ」


「え?」


「昔、この辺のホテルでバイトしててな」


「はい」


「ラウンジから、ライトアップされた橋が見えたんだよ」


「へえ……」


「夜の海に橋だけ浮かんでるみたいで、あれは結構綺麗だった」


「ちゃんといいところ知ってるじゃないですか」


「昔の話だけどな」


 大将は橋を見る。


 そして。


 もう一つ。


 思い出したことがあった。


「あの橋さ」


「はい?」


「大きな地震があっただろ」


「……はい」


「その時も残ったんだよな」


 少しだけ。


 声の調子が変わった。


 今は穏やかな海。


 子供たちが遊び。


 誰かが笑い。


 波打ち際を走っている。


 けれど。


 あの日。


 この海から、大きな波が来た。


 海岸は大きな被害を受けた。


 道路も。


 建物も。


 町の景色も。


 変わった。


「周りはかなりやられたけど、橋自体は残ったんだよ」


「本当ですか?」


「たしか」


「…………」


「何だよ」


「調べますよ?」


「俺の記憶、そんな信用ない?」


「大将の『たしか』は危険なので」


「ひでぇな」


 虹子がスマートフォンを操作する。


 しばらくして。


「あ」


「どう?」


「本当みたいですね」


「だろ?」


「橋も影響がなかったわけじゃないですけど……流されずに残ったみたいです」


「そうそう」


 大将は、もう一度橋を見る。


「橋って、地震とか津波ですぐ壊れるイメージあったんだけどな」


「だから覚えてたんです?」


「たぶんな」


「…………」


 周りのものが大きく変わっても。


 残ったものもある。


 今ではまた。


 その橋を車が行き交っている。


「やっぱり」


「ん?」


「すごい橋なんじゃないですか?」


「そうかもなぁ」


 大将は笑った。


「まあ、橋は橋だけど」


「そこなんですよ、大将!」



     ◇



 海で遊べば。


 腹が減る。


 特に。


「お腹空きました!」


「お前はいつもだろ」


「今日は泳いだので!」


「便利な言葉だな、それ」


 海辺には、食べ物を売る店も並んでいた。


 昔、大将が来ていた頃の記憶とは随分違う。


「……立派になったなぁ」


「何がです?」


「昔はもっと海の家って感じだったんだよ」


「今も海の家ですよ?」


「そうじゃなくてさぁ」


「また三十年前と比べてません?」


「…………」


「大将?」


「飯食おうぜ」


「逃げた!」


 そして。


 虹子が足を止めた。


「大将!」


「今度は何?」


「これ!」


 魚の焼ける匂い。


 炭火から上がる熱。


 そこには。


 串を打たれた魚介が、ずらりと並んでいた。


 魚。


 イカ。


 エビ。


 ホタテ。


 トウモロコシ。


「浜焼きだな」


「これが?」


「そう」


 虹子が目を輝かせる。


「すごいですね。魚が丸ごと串に刺さってます」


「姿焼きなら別に珍しくないだろ」


「でも、これだけ並んでるとすごいですよ!」


「まあ、見た目はな」


「全部同じ魚ですか?」


「いや。その時その時で違うんじゃね?」


「知らないんですか?」


「俺、浜焼き屋じゃねぇもん」


「地元の名物ですよね!?」


「地元民に何を求めてんだよ!」


 虹子は並んだ浜焼きを眺める。


 その中に。


 見慣れた平たい魚があった。


「あ」


「ん?」


「これは分かります」


「何?」


「カレイ!」


「さすがに分かるか」


「馬鹿にしてません?」


「ちょっと」


「大将!」


 串を打たれたカレイが、一匹丸ごと焼かれている。


 じっくりと火が入り。


 表面には焼き色がついていた。


 香ばしい魚の匂いが、潮風に混ざる。


「この辺、カレイ獲れるんです?」


「獲れるよ。昔からこの辺はカレイとかヒラメが多いんだ」


「へえ」


「俺はここのカレイ好きだぞ」


「どんな感じなんです?」


「身がしっかりしてるんだよ。煮付けもうまいけど、浜焼きもうまい」


「じゃあ食べます!」


「即決だな」


 買ったカレイを皿へ置く。


 虹子が箸を入れた。


 焼かれた皮の下。


 白い身が、骨からほろりと外れる。


「いただきます」


 一口。


「…………」


「どう?」


「美味しい」


 もう一口。


「表面は香ばしいのに、中はふっくらしてます」


「だろ?」


「でも、柔らかいだけじゃないですね」


「身がちゃんとしてるだろ」


「はい。噛むとちゃんと魚の味がします」


「カレイだからな」


「そういう意味じゃありません!」


 虹子が笑う。


 煮付けなら。


 甘辛い煮汁をまとった柔らかな白身。


 けれど浜焼きは違う。


 炭火で焼かれた香ばしさ。


 余計なものを加えないからこそ分かる、魚そのものの味。


「これ好きです」


「よかったな」


「じゃあ次、イカ!」


「まだ食うの?」


「エビ!」


「おい」


「ホタテ!」


「待て」


「トウモロコシ!」


「結局全部じゃねぇか!」


 虹子の食欲に。


 限界はなかった。



     ◇



 少しして。


 二人は再び海辺へ戻ってきた。


 午後の空。


 青い海。


 潮風。


 そして。


 海の向こうに架かる大きな橋。


「大将」


「ん?」


 虹子は橋を眺めた。


「綺麗ですね……」


 少しだけ。


 静かな声だった。


 海と。


 空と。


 橋。


 夏の景色。


「…………」


「なんです?」


 大将は虹子を見る。


 海女さんのような完全装備。


 そして。


 両手には。


 イカ。


 エビ。


 ホタテ。


 トウモロコシ。


 その他いろいろ。


「両手いっぱい浜焼き抱えた海女さんじゃなかったら」


「はい?」


「いいシーンだったんだろうなって」


「いいじゃないですか!」


 虹子は気にする様子もなく。


 イカへかぶりついた。


「んー!」


 幸せそうな顔。


「美味しい!」


「結局それかよ」


「海で食べると美味しいんですよ!」


「はいはい」


 大将は笑った。


 そして。


 もう一度、橋を見る。


 昔からある海。


 昔から見てきた橋。


 見慣れすぎていて。


 何がいいのかなんて。


 考えたこともなかった。


 海がある。


 砂浜がある。


 橋がある。


 ただ。


 それだけだ。


 けれど。


 海から見る大橋も。


 こうして改めて眺めてみると。


 悪くない。


「大将?」


「ん?」


「食べます?」


「おう」


 大将は虹子が持っていた浜焼きへ手を伸ばした。


「あっ!」


「何?」


「それ私の!」


「いっぱい持ってんだから一個くらいいいだろ」


「それとこれは別です!」


「ケチくせぇな」


「自分で買ってください!」


「じゃあイカ」


「それも私の!」


「全部お前のじゃねぇか!」


 夏の海に。


 二人の声が響いた。


 その向こうには。


 いつもと変わらない大きな橋が架かっていた。

作者は浜焼き、ツボダイ好きです

地魚じゃないですけどね!w

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