第98話 「それぞれの選択」
帰還の日は、晴れだった。
多摩川の河川敷。一年前、王国軍先遣隊が降り立った、あの場所に、最後の門が開いた。
――帰る者たちが、並んだ。
王女フィリアは、日本側の要人一人一人と握手を交わした。その荷物の中には、六法全書の翻訳全巻と、肉まんの製法(正式な技術提携文書つき)と、額装された塩むすびの包み紙があった。
「レオン様。王命を、覚えていらっしゃいますね」
「ああ。『学んだ全てを、いずれ王国に教えに来い』……だろ」
「ええ。……ですから、これは別れではありません。王命の、履行猶予です」
王女は、笑った。それから、少しだけ、声を落とした。
「……理央さんとヴォルフの記録があれば、いつか、門は人の手で開けるようになる。三年か、十年か、わかりませんけれど。……その日まで、王国は、待てる国になっておきます。あなたが胸を張って『教えに来られる』国に」
ゲオルグは、俺の前に立つと、何も言わず、騎士の最敬礼をした。副官として日本に残る三隅一尉(交流武官第一号である)と、最後まで「ドリルは騎士の魂」の命名者を譲り合っていた。
リリスは、帰らなかった。「魔界の選挙の準備は月の半分で足りる。それに――」と、彼女は段ボールの城壁を背に言った。「私の住民票は、この街にある。隠居の家は、動かさん主義だ」
――そして、セリスだった。
幼馴染は、磨き上げた聖剣を背に、門の前で、俺と向かい合った。
「……ほんとに、帰るのか」
「うん。帰る」
セリスは、まっすぐに、頷いた。
「あのね、レオン。私、この一年、ずっと考えてたの。勇者って、何だろうって。魔王はもういない。戦争も終わった。じゃあ私の剣は、何のためにあるんだろうって。……答え、この国で見つけた」
彼女は、河川敷の向こう――多摩の空を、指差した。
「王国はこれから、変わる。議会ができて、選挙をやって、法廷が変わって……きっと、揉めに揉めるわ。変わる時って、一番、揺れるから。悪いことを企む奴も、昔に戻したい奴も、絶対に出てくる。……その時、民の側に立って、変化を守り抜く剣が要るの。――今度は私が、あの国を守る番。あなたがこの国で守ったみたいに、ね」
「……立派になったな、お前」
「ふふん。一週間先輩ですから」
セリスは、胸を張り、それから、右手を差し出した。
「約束。門がまた開いたら――王国を案内するのは、私だからね。氷雨さんが作り直した法廷も、王女様の議会も、全部。……あと、それまでに王都に、ラーメン屋を開かせておくわ。あなたの好きな、煮干しのやつ」
「……再現できるのか、あれ」
「勇者を舐めないで。レシピは陽菜ちゃんに習った」
俺は、その手を、握った。七歳の夏、初めて喧嘩した日から変わらない、幼馴染の握手だった。
「……じいちゃんに、これを」
俺は、一通の手紙を、彼女に託した。三日かけて書いた、長い長い手紙だ。この一年の全部と、俺の選択と、あの夜の言葉の続きを思い出したことを、書いた。
「確かに。……アークライト領は遠いけど、勇者の脚なら三日よ。直接、渡して、直接、返事をもらってくる。次に門が開く日のために、預かっておくわ」
――門が、帰る者たちを、順番に呑み込んでいく。
最後に、セリスは門の縁で振り返り、大きく、手を振った。
「――またね、レオン!! 『さよなら』じゃないからね!! 王国の言葉でも、日本の言葉でも――『またね』だからね!!」
光の向こうに、幼馴染の姿が、消えた。
(第98話・了)




