第97話 「三週間」
その三週間、俺の周りの人間は、全員、同じ病気にかかっていた。
――「聞けない病」である。
美咲は、書類仕事を装って、二日おきに与太郎邸に来た。来て、茶を飲んで、天気の話をして、帰った。玄関で三回、振り返りかけて、三回とも、振り返らずに。
理央は、観測データの説明に来るたび、「残り十九日ね」「残り十六日ね」と、日数だけを告げて、その先を言わなかった。
あかりは、動画の編集を口実に入り浸り、妙に俺の映像ばかり撮り溜めていた。「アーカイブだよ、アーカイブ! 深い意味はないし!」。声が上ずっていた。
陽菜は、賄いの品数が、日に日に増えた。「いっぱい食べてくださいね」の言い方が、日に日に、祈りに似ていった。
麗華は、「王国に白鳥の支社を作る計画がありますのよ。優秀な現地顧問が必要ですわね」などと、遠回しすぎて誰にも伝わらない探りを入れてきた(あとで真琴に「あれは『行くなら私も行く』という意味です」と解説された。わかるか)。
真琴は――何も変わらなかった。三歩後ろの完璧な死角。ただ、警護日誌の記述が、少しずつ、長くなっていった。
……そして、与太郎さんは。
与太郎さんだけは、本当に、何も変わらなかった。朝稽古。駄目出し。落語。縁側の茶。「兄ちゃん、屋根の様子見といて」。……この人は、聞けないのではない。聞かないと、決めているのだ。
――帰還の窓が閉じる、五日前。
俺は、一人で、廃寺に登った。
本堂の縁に腰掛け、俺は、水底の相棒に、話しかけた。
「(……なあ。お前は、どっちがいい)」
相棒は、答えなかった。かわりに、俺の中に、二つの景色を、順番に浮かべてみせた。
一つは、故郷の景色。アークライト領の雪の山。じいちゃんの家の暖炉。師匠たちの道場。魔王城の焼け跡に、もう花が咲いているだろう草原。……俺の十七年の、前半分。
もう一つは、商店街の夕暮れ。コロッケの油の音。交番の赤い灯。畳の匂い。折れない拳と、折れなくなったスマホと、賑やかな茶の間。……俺の十七年の、後ろ一年。
「(……ずるいぞ、お前。両方、綺麗に見せるな)」
相棒が、少しだけ、笑った気がした。
――じいちゃん。
俺は、雪の山の景色の中の、あの家を思った。凱旋式で消えた孫を、じいちゃんはどう聞いただろう。無事だと、王女の使者が伝えてくれたはずだ。だが、それきり、一年。……あの人は今も、暖炉の前で、俺の湯呑みを、出しっぱなしにしているだろうか。
帰れば、会える。帰れば――こっちの全員と、会えなくなる。
窓は、一度きり。次は、いつ開くか、わからない。
……なあ、じいちゃん。あんたなら、なんて言う?
夕暮れの廃寺で、俺は、じいちゃんの声を、思い出そうとした。腕輪をくれた夜の声を。『これで、おまえはただの人間だ』……。
――そして、思い出した瞬間、俺は、気付いてしまった。
あの言葉の、続きに。十二年間、忘れていた、あの夜の続きに。
あの夜、泣きじゃくる俺の頭に手を置いて、じいちゃんは、確かに、こう言ったのだ。
『これで、おまえはただの人間だ。――ただの人間はな、レオン。強さで居場所を決めんでいい。……好きな場所で、好きな奴らと、生きていいんだ』
(第97話・了)




