第99話 「英雄の帰る場所」
門は、まだ、開いていた。
残された時間は、理央の計時で、あと十一分。帰還者の転送は終わり、河川敷には、残る者たちだけが、立っていた。
――そして、全員が、俺を見ないようにしながら、俺を見ていた。
最後の十一分。俺がその気になれば、まだ、間に合う時間。「聞けない病」の患者たちは、最後の最後まで、聞かずにいてくれた。俺の選択に、指一本、触れないために。
……本当に、いい連中に、拾われたものだ。
俺は、門に向かって、歩き出した。
背後で、息を呑む音が、いくつも聞こえた。あかりが何かを言いかけて、美咲がそれを止める気配がした。陽菜の小さな嗚咽と、麗華の扇子の軋む音がした。真琴は――気配を消していた。泣くときは、気配を消すのだと、いつかの警護日誌で知っている。
俺は、門の、三歩手前で、立ち止まった。
光の向こうに、故郷の風の匂いがした。雪の山と、暖炉と、道場の汗の匂い。俺の十七年の、前半分の匂いだった。
「……じいちゃん」
俺は、光に向かって、言った。手紙に書ききれなかった、最後の一行を。
「――あんたの言った通りに、するよ。『好きな場所で、好きな奴らと、生きていい』……あの夜の続き、ちゃんと思い出した。遅くなって、悪かった。……それと、じいちゃん。俺の好きな場所はな」
俺は、深く、頭を下げた。故郷に。前半分の十七年に。俺を作ってくれた、すべてに。
「――もう、決まってるんだ」
顔を上げて。
俺は、踵を返した。
そして、振り返らずに、歩き出した。門に背を向けて。夕陽の河川敷を、みんなのいる方へ。
背後で、光が、静かに閉じていく音がした。世界と世界を隔てる、最後の扉の音だった。……不思議と、喪失の音には、聞こえなかった。あれは、「またね」の音だ。セリスが、そう決めてくれたから。
河川敷の連中は、全員、泣いているか、泣くのを堪えている顔をしていた。
一番手前で、与太郎さんだけが、いつもの顔で、飴を舐めていた。
「……おう、兄ちゃん。ええんか、ほんまに」
「ああ」
「故郷やで。じいちゃんも、おるんやで」
「ああ。……でもな、与太郎さん。あんた、言ったろう」
俺は、夕陽に染まる、俺の街の方角を見た。
「――弟子の帰る場所を知っとるのが、師匠や、って。……あんたが迎えに来た時点で、俺の帰る場所は、決まってたんだよ。とっくにな」
与太郎さんは、飴を、がりっと噛んだ。
それから、くしゃりと笑って、俺の背中を、平手で、一発叩いた。
「――アホ弟子が。……ほな、帰ろか。飯やで」
(第99話・了)




