第7話 「正当防衛には限度がある」
居候五日目。俺は与太郎さんのお使いで、商店街に来ていた。
豆腐一丁と、ネギと、「ついでに揚げたてのコロッケ買うてこい。一個はワシの、一個は兄ちゃんの分や」という指令である。平和な任務だ。
その平和は、精肉店の前で終わった。
「――だからよォ、この街で商売したけりゃ、ウチに『ご挨拶』が必要だって言ってんの」
男が三人。精肉店の親父さんを囲んでいた。揃って若く、服装は派手で、立ち方はなっていない。だが目つきに、堅気ではない粘りがある。
親父さんの顔は蒼白だった。周囲の客は目を伏せ、足早に離れていく。
俺はコロッケの列を離れ、割って入った。
「おい。店の主人が困っている。去れ」
「ああ? 何だテメー」
「客だ。コロッケを買いに来た」
「ハッ、いいから消えろや小僧――」
男の一人が、俺の胸ぐらへ手を伸ばした。
さて、ここで諸君に共有したい。俺は学んでいる。この国では「殴った時点で負け」だ。ならば、殴らなければいい。
俺は伸びてきた手首を、そっと掴んだ。
「イッ……!? イタタタタタ!! 折れる折れる折れる!!」
「折っていない。掴んでいるだけだ」
「離せェ!!」
「去るなら離す」
残る二人が気色ばみ、一人が殴りかかってきた。避けるのは簡単だったが、避ければ拳は後ろの八百屋の棚に届く。だから俺は、避けなかった。
男の拳が、俺の顔面に直撃した。
「…………」
「…………え?」
男が自分の拳を見て、俺の顔を見て、もう一度拳を見た。
「か、硬……人間の硬さじゃ……」
「今のは俺への攻撃だから構わん。だが次に店の物や主人に向かうなら――」
俺が一歩、踏み込んだ。それだけで三人の腰が抜けた。震脚は使っていない。使ったら商店街の石畳が割れる。
――そこへ、自転車で駆けつけてきたのが、非番の美咲だった。
事情聴取の結果。三人は恐喝未遂の現行犯で、駆けつけた同僚に連行されていった。めでたしめでたし。
――とは、ならなかった。
「レオン。あなた今、危ない橋を渡ったの、わかってる?」
交番の裏で、美咲の説教が始まった。
「わかっていない。俺は一発も殴っていないぞ。殴られはしたが」
「手首を掴んだでしょ。あれも有形力の行使。一歩間違えば暴行になり得るの」
「は!? 先に手を出したのは向こうだぞ!」
「そう。だから今回は正当防衛の範囲。……いい? 正当防衛には条件があるの。『急迫不正の侵害』に対して、『やむを得ずにした行為』であること。向こうが手を出してきて、あなたは掴んで止めただけ。だからセーフ。でも、もしあそこで投げてたら? 相手が頭を打ってたら?」
「……過剰防衛、というやつか」
「氷雨先生の講義、ちゃんと聞いてるのね」
美咲は少し驚いた顔をして、それから、手帳を破って何かを書き、俺に渡した。
『レオンの掟
一、先に手を出さない
二、掴むのは服か手首まで
三、投げない
四、殴られても、殴り返すのは待つ
五、迷ったら、大声で人を呼ぶ』
「あなた向けの、超入門・正当防衛五箇条。財布に入れときなさい。財布ないけど」
「……『殴られても殴り返すのは待つ』。異世界の戦士が聞いたら泣くぞ、これは」
「ここは異世界じゃないの」
そう言って、美咲はふっと笑った。この女の笑った顔を、初めて見た気がする。
「でも……お店の人を守ったのは、偉かった。それは、警察官として、ちゃんと言っとく」
――ちなみに、この一部始終。
商店街の何人かが、例の「光る板」で撮影していた。
「コロッケ買いに来た兄ちゃんが強すぎる」と題された動画が、この後どうなるか。俺はまだ、SNSというものの恐ろしさを知らない。
あと、コロッケは売り切れていた。今日の敗北はそれだけだ。
(第7話・了)




