第77話 「世界同時多発」
その日は、後に「十二の朝」と呼ばれることになる。
協定世界時・午前五時〇〇分。世界十二都市の上空で、寸分違わず同時に、空が裂けた。
東京。ジュネーブ。ニューヨーク。上海。ムンバイ。カイロ。ラゴス。サンパウロ。シドニー。ロンドン。モスクワ。そして、ソウル。
UNIT-Xの七方面軍、全戦力展開。人類史上初の、地球規模の総力戦だった。
――そして、この日の敵は、これまでと桁が違った。
各門から吐き出される魔兵の総数、推定十九万。それだけなら、防衛網は耐えられた。一年かけて世界が積み上げた「教義」は、伊達ではなかったからだ。
問題は、十二の門のうち三つ――東京、ジュネーブ、ニューヨークから、「それ」が出てきたことだった。
体高五十メートル。四本の腕。頭部はなく、胸の中央に単眼。歩くたび、地面が液状化したように波打つ。王国の古文書がいうところの「魔神級」。三百年前の大戦で、一体が王国の三分の一を灰にしたという、伝説の階級である。
「――各方面軍に通達」
ジュネーブの統合司令部で、事務総長の声は、震えを押し殺していた。
「魔神級への通常火力の効果は限定的。ただし、動きは遅い。方針を変更する。『倒す』な。『遅らせろ』。市民の避難完了まで、一秒でも長く足止めせよ。倒すのは――」
モニターの戦域図の上で、三つの光点だけが、魔神級へ向かって、まっすぐに動いていた。
「――専門家に任せる」
東京担当、レオン・アークライト。
ジュネーブ担当、セリス・ルナリア。
ニューヨーク担当は、騎士団長ゲオルグと三隅一尉の混成打撃隊。
――東京湾岸。俺は、五十メートルの単眼と、向かい合っていた。
正直に言う。強かった。魔王より、単純な出力では上だった。四本腕の一振りが倉庫街を薙ぎ、単眼の光条がコンビナートの鉄塔を溶かした。俺は三度殴り、三度、手応えの「底」が抜けた。物理の芯がない。魔力の塊が、肉の形を借りているだけなのだ。
「(……なら、話は簡単だ)」
物理で崩せないなら、魔力の「編み目」を崩す。ガレス戦で使った浸透の勁を、桁違いの規模で。俺は魔神の足首に組み付き、編み目の「拍子」を探した。九十六分の一よりずっと細かい、千二百七十三分の一の乱れ。
――見つけた。
震脚。浸透。魔神級は、砂の城のように、内側から崩れ落ちた。所要時間、四十一分。
ジュネーブのセリスは聖剣の一撃で単眼を貫き(三十八分。あとで自慢された)、ニューヨークのゲオルグたちは石油掘削用の重機ドリルを転用した「団長突撃」で芯を砕いた(五十七分。作戦名「ドリルは騎士の魂」。誰が名付けたのかは、軍事機密である)。
――午後三時十一分、十二の門は、すべて閉じた。
人類側の死者、世界全体で、六名。十九万の軍勢と魔神級三体を相手にした総力戦の数字としては、軍事史の奇跡と呼ばれた。だが六つの国で六つの家族が泣いたことを、UNIT-Xの誰も「奇跡」とは呼ばなかった。追悼の半旗が、百四十二ヶ国で掲げられた。
――そして。
その夜、迎賓館の最上階で、一人の老人が、静かに、静かに、荒れていた。
ヴォルフの手の中には、小さな水晶の計器があった。三十年間、狂ったことのない収穫量の計器が。
「……水位が、上がっておらぬ」
彼は、計器を、二度、振った。
「あの子は今日、魔神を素手で崩した。全霊の戦闘。感情の最大励起。……本来なら、樽が溢れるほどの収穫があるはずの日。それが――この、数値は」
計器の針は、三ヶ月前の、三分の一を指していた。
老魔導師は、長いこと、窓の外を見ていた。やがて、その口元に、笑みが戻った。いつもの柔和な笑みではなかった。それは、盤面の対面に、初めて「敵手」を認めた者の笑みだった。
「……堰を、己で編みおったか。誰に習った? あの噺家か。元魔王か。それとも――儂の知らぬ、あの子自身か」
彼は立ち上がり、旅装の支度を、自ら始めた。
「予定を早めよう。仕上げには、まだ水が足りぬ。足りぬなら――蛇口ごと、回収するまで」
(第77話・了)




