第70話 「詰み筋」
ガレスの供述調書は、その夜のうちに、限られた者だけの会議にかけられた。
与太郎邸の座敷。鷹峰、氷雨、美咲、真琴、理央、セリス、リリス、ゲオルグ、そして王女フィリア。畳の上の、世界で最も重要な会議だった。
「……状況を整理します」
氷雨が、ホワイトボード(与太郎邸に常設されるようになった)の前に立った。
「黒幕は、ヴォルフ。ガレスの供述、リリスさんの三百年の証言、理央さんの観測記録、白鳥の帳簿――全てが、一人を指しています。ここにいる全員、確信していると思います。……その上で、言います」
彼女は、マーカーを、置いた。
「――法的には、詰んでいます。こちらが、です」
誰も、驚かなかった。それが、一番重かった。
「証拠は全て、状況証拠か、伝聞か、『魔力の匂い』。直接証拠はゼロ。対してヴォルフの立場は――王国では、先週から『摂政』です。国王陛下のご容態が急変され、王女殿下が地球に滞在中の今、王国の全権は彼の手にある。そして地球では、UNIT-X上級学術顧問。百四十二ヶ国の政府の信頼と、七方面軍司令部への出入りと、世界中の観測網――彼の装置で組んだ観測網を、握っています」
「父上の、ご容態……」
王女の声が、揺れた。彼女は今朝、その報せを受け取ったばかりだった。ゲオルグが、静かに言葉を継いだ。
「……殿下。申し上げにくいが、疑うべきかと。陛下は先月まで、馬で遠駆けをなさるほど壮健であられた」
「わかっています、ゲオルグ。わかって……います」
王女は、膝の上の拳を、握った。父の病さえ、盤上の一手かもしれない。それを「わかって」座っていなければならない。十九歳の摂政代理の、その横顔を、俺は直視できなかった。
「打てる手を、挙げてみましょう」と鷹峰。「一つ。国際世論への告発」
「潰されます」と氷雨。「証拠なき告発は、逆にこちらの信用を焼く。『英雄一派が、王国の摂政を讒訴した』――彼が三十年磨いた筋書きに、喜んで組み込まれるだけ」
「二つ。ヴォルフの拘束。特措法の緊急条項で」
「同じ理由で不可。それに――」と真琴。「拘束に動いた瞬間、世界中の『観測装置』が何になるか、誰にもわかりません。人質は、七つの司令部と、その先の全都市です」
「三つ」と、リリスが言った。「私が殺す」
座敷が、凍った。元魔王は、湯呑みを傾けながら、事もなげに続けた。
「三百年分の貸しがある。個人的な戦争だ。貴様らの法は汚れない。……どうだ?」
「――却下だ、リリス」
俺は、言った。
「ほう。英雄殿は甘いな」
「甘さで言ってるんじゃない。あんたが今それをやったら、『魔王が人間の賢者を暗殺した』ことになる。二つの世界の信頼は、そこで終わりだ。戦争が戻ってくる。……あいつの図面の、たぶん、予備の筋書き通りにな」
「……ふん。読めるようになったじゃないか、盤面が」
リリスは、不機嫌に、しかしどこか満足げに、湯呑みを置いた。
「では、四つ目だ」
それまで黙っていた理央が、手を挙げた。目の下に、隈があった。この数日、ずっと何かを計算し続けていた顔だった。
「詰み筋を、逆に読む。……ねえ、みんな。おかしいと思わない? あの爺さん、こんなに完璧に詰ませてるのに、なんでまだ『上がって』ないの? 王手をかけない。ずっと、待ってる。――何を?」
彼女は、俺を見た。
「答えは、たぶん、レオンの腕輪。ガレスの証言でも、図面の中心は、いつも腕輪。つまりあの爺さんの計画には、腕輪の『何か』が、まだ足りない。……だから、お願い」
理央は、深呼吸を一つして、言った。
「――レオン。腕輪を調べさせて。今度は外からじゃない。私の研究室で、一晩、徹底的に。分解はしない。できないし。でも、今の私の機材と、リリスの知覚と、セリスの聖属性と、ガレスの証言を全部合わせれば――あの腕輪が『何のための装置か』、たぶん、答えまで行ける」
座敷の全員が、俺を見た。
左腕の腕輪は、いつも通り、静かだった。十二年間、俺の一部だった重さで。
……じいちゃんが嵌めてくれた夜のことを、思い出していた。「これで、おまえはただの人間だ」。あの夜から、この輪は、俺の枷で、盾で、恩で――俺そのものだった。
その正体を、知る時が来たのだ。
「……ああ」
俺は、左腕を、差し出した。
「調べてくれ。全部だ」
(第70話・了)




