第68話 「借り物の力」
ガレスからの「果たし状」は、翌日の夜、真琴のスマホに直接届いた。
『レッドフックの旧コンテナターミナルにて待つ。特別対処員殿、一人で来られたし。……ああ、猟犬殿。追跡はご自由に。だが君が「輪」の内側に入れば、周辺三区画の電力網に細工が発動する。停電した病院で何が起きるかは、君の想像力に任せよう』
「……人質は取らない主義かと思っていたが」
「主義など、あの男にはありませんよ」と真琴。「あるのは段取りだけです」
罠だと、全員がわかっていた。それでも行くと決めた俺に、氷雨は一枚の紙を渡した。特措法に基づく「単独対処の事前承認」。手続きの紙だ。「罠に飛び込むにしても、合法的に飛び込みなさい」――俺の軍師は、最後まで俺の軍師だった。
――深夜のコンテナターミナルは、鉄の峡谷だった。
積み上がったコンテナの谷底で、ガレスは待っていた。
一目見て、わかった。人間を、やめかけている。
細身の体躯に、黒い甲冑。だがその甲冑は「着ている」のではなかった。肩口や胸元で、装甲が皮膚に「編み込まれて」いた。オーガの骨柱。竜の腱。魔獣の心臓核。――白鳥ルートで掻き集めた素材の、成れの果てが、そこにいた。
「……ようこそ、英雄殿。この夜を、楽しみにしていましたぞ」
「ガレス。その体は、なんのつもりだ」
「実験ですよ」
ガレスは、両腕を広げた。装甲の隙間で、赤い光が脈打った。
「ヴォルフ様の設計図に、儂の調達した素材。テーマは単純――『才能なき者は、力を買えるか』。……ああ、誤解なさるな。儂は自分を憐れんではおらん。むしろ誇っておる。貴殿のような天与の器を持たぬ人間が、才能に追いつく方法は、これしかないのだからな」
「……一つだけ聞く。なぜヴォルフに付いた」
「――見せてもらったからですよ。三十年前、あの御方の書斎で。『完成図』をね」
ガレスの目が、恍惚と、細められた。
「法も、身分も、才能もない世界。あるのは純粋な力の秩序だけ。強い者が上に、弱い者が下に、一切の言い訳なく並ぶ世界。……美しいとは思いませんか。少なくとも、嘘がない」
「思わない」
俺は、構えた。
「その世界じゃ、俺の師匠は生きられない。六十五の噺家も、料理下手の定食屋も、書類仕事の警察官も、生きられない。……あんたの言う『嘘がない世界』ってのはな、ガレス。強い奴の言い訳だけが残る世界のことだ」
「――問答は終わりですかな」
鉄の峡谷に、赤い閃光が走った。
速い。
初撃を、俺は頬の横で受けた。掌が痺れた。オーガ以上、竜に迫る。二撃、三撃。ガレスの動きは、副騎士団長時代の剣技の骨格に、買った膂力と速度を上乗せしたものだった。厄介なことに、技の骨格は本物だ。この男、腐っても王国の剣士なのだ。
打ち合いながら、俺は、感じていた。
――だが、噛み合っていない。
技と力の「拍子」が、ずれている。技が右足で立とうとする瞬間に、力が左足を蹴り出させる。三十年かけた剣の体幹と、三ヶ月で編み込んだ borrowed 膂力が、体の中で、喧嘩をしている。
「(……与太郎さんなら、こう言うだろうな)」
噺と一緒や。他人の台本をなんぼ上手に読んでも、間ぁは、自分の呼吸でしか取られへん――。
「どうした英雄殿ォ!! 防戦一方ですぞ!!」
「ああ。……数えていた」
「何をッ!?」
「あんたの技と力が喧嘩する瞬間だ。――九十六回に、一回」
俺は、拍子を、合わせにいった。
ガレスの九十五回の完璧を、全て受け流し、捌き、凌ぎ――九十六回目の、技と力が体の中でぶつかる、その千分の一秒に。
踏み込んだ。
震脚が、コンテナの谷に雷鳴のように轟いた。
正拳は、装甲の一番厚い、胸の中央へ。壊すためではない。装甲と皮膚の「編み目」へ、浸透の勁を、通すために。
「――がッ……!?」
赤い光が、明滅し、乱れ、そして――装甲が、めりめりと音を立てて、剥がれ落ちた。魔獣の心臓核が砕け、骨柱の腕甲が外れ、鉄の谷底に、ただの細身の中年が、膝をついた。
「ば……馬鹿な……完璧な、強化を……」
「ガレス。あんたの剣は、本物だった。三十年の骨格は、打ち合えばわかる。……なんで、それを信じなかった」
俺は、拳を下ろした。
「借り物の力は、拍子が合わない。拍子の合わない強さは、強さじゃない。ただの重りだ。――あんたは今夜、買った力に、自分の三十年を潰されたんだ」
ガレスは、膝をついたまま、長いこと、動かなかった。
やがて、乾いた笑いが、漏れた。
「……くく。は、はは。……才能ある者は、いつも、そういうことを言う……」
その笑いが、不意に、止まった。
彼は、自分の胸元を見た。砕けた心臓核の奥で、小さな魔法陣が――誰も知らない魔法陣が、静かに、光り始めていた。
「……ああ。……そういう、契約でしたな、ヴォルフ様……。『敗れた駒は、口を開く前に』……」
「ガレス!?」
俺は駆け寄った。間に合わないと思った。
――だが、魔法陣は、発動しなかった。
銀の光が、横合いから走り、魔法陣を貫いて、掻き消したのだ。
コンテナの上に、サングラス(意味のない変装)の元魔王が、立っていた。
「――口封じの呪いか。趣味の悪い設計は相変わらずだな」
リリスは、ひらりと谷底に降り立ち、腰を抜かしたガレスを見下ろした。
「喜べ、鼠。貴様は今夜から、三百年ぶりに私が『守る』人間だ。……せいぜい長生きして、洗いざらい歌え」
(第68話・了)




