第66話 「特別顧問と、七人の司令官」
ジュネーブに、世界連合――正式名称「異界性事象対処協力機構(通称UNIT-X)」の司令部が置かれた。
加盟、百四十二ヶ国。統合司令部の下に、七つの方面軍。人類史上初の、地球規模の統合軍事機構である。
その発足式で、俺は、辞令を受け取った。
『レオン・アークライト殿を、UNIT-X特別顧問に任命する』
「……なあ、氷雨。特別顧問というのは、何をする役職なんだ」
「一般的には、組織の外にいて、専門的助言をする人ね」
「俺は何の専門家として助言するんだ」
「『異界性生物を素手で無力化する分野』の、世界唯一の専門家として」
「専門分野の説明で、こんなに情けない気持ちになる専門家がいるか」
――発足式の後、七つの方面軍の司令官が一堂に会する、最初の作戦会議が開かれた。
俺は末席の「顧問席」に座った。正直、置物のつもりだった。だが、会議は開始十分で、俺の想像と違う方向に転がった。
「――アジア方面軍として、まず伺いたい」と、インドの将軍が口火を切った。「池袋の戦闘記録を全て見た。二千の敵に対し、死者ゼロ。あの防衛線の設計思想を、教義として言語化してほしい」
「欧州方面軍からも同意見だ。加えて、京都の『竜の解放』について。あれは戦術なのか、倫理なのか。教義に組み込めるものなのか」
「アフリカ方面軍からは、より根本的な質問がある。顧問殿。――我々は、何に勝てば、この戦争に勝ったことになるのか」
置物でいる暇は、なさそうだった。
俺は、顧問席から、話した。飾る言葉は持っていないので、知っていることだけを話した。
「防衛線の設計思想は、簡単だ。『守る物の優先順位を、戦う前に、紙に書いておく』。それだけだ。日本の連中は、それが異常に上手い。命が一番、次が暮らし、その次が建物、最後が面子だ。面子を最初に書く軍隊から、負けていく」
「京都のあれは、戦術でも倫理でもない。観察だ。敵をよく見たら、敵じゃなかった。それだけのことだ。教義にするなら、こう書いてくれ。――『引き金を引く前に、相手の首輪を探せ』」
「そして、何に勝てばいいか、だが」
俺は、少し考えて、言った。
「……たぶん、この戦争は『敵の全滅』では終わらない。門を開けている奴がいる。そいつは、俺たちが恐怖で自滅するのを待っている。だから勝利条件は二つだ。一つ、門を閉じること。二つ――閉じるまでの間、俺たちが、俺たちのままでいることだ。恐怖で法を捨てず、憎悪で隣人を撃たず、朝には飯を食い、夜には眠る。……それが続いている限り、俺たちは負けていない」
会議室は、しばらく静かだった。
やがて、議長役の事務総長が、眼鏡を外して言った。
「……顧問。今の発言、議事録の冒頭に載せる。機構の基本文書として」
「大げさだな」
「大げさなものか。人類は今、『勝利の定義』を初めて手に入れたのだ」
――だが、この日の会議には、もう一人の「顧問」がいた。
上級学術顧問、ヴォルフ。
彼は会議の最後に発言を求め、いつもの柔和な笑みで、こう提案した。
「――皆さまの決意、老骨の胸に沁み申した。ときに、門を閉じるためには、門の観測が肝要。つきましては、儂の設計した観測装置の増設を、七方面軍の全司令部に。……なに、費用はかかりませぬ。老い先短い身の、罪滅ぼしですじゃ」
満場の拍手が、彼を包んだ。
拍手をしなかったのは、末席の俺と――オブザーバー席の、白衣の研究者だけだった。
会議後、理央は、廊下で俺に囁いた。
「……装置の増設先、七方面軍の司令部。つまり、世界の防衛の中枢、全部。もし、あれが観測装置じゃなかったら?」
「防衛網が、丸ごと『門』になる」
「うん。……だから、対抗策を考えた。私、UNIT-Xの技術検証局に入る。装置の定期検査の権限を、この手に握る。向こうが『中』に入るなら、こっちも『中』から見張る」
「一人でか」
「一人じゃないわ」
理央は、廊下の先を、顎で指した。
そこには、就任したての「UNIT-X異界性文化担当官」リリス(在留資格の安定した職を得て、ついに分割払いの審査に通ったらしい。就任の動機がそれである)が、事務総長を捕まえて「執務室のエアコンの機種」について交渉していた。
「……三百年の魔力知覚と、私の工学。二人で見張れば、あの爺さんの『指』も、そう自由には動かせない」
――盤の上に、駒が出揃っていく。
向こうの指も。こちらの指も。
決戦の盤面が、静かに、組み上がりつつあった。
(第66話・了)




