第64話 「大阪防衛戦、または高座は降りない」
その裂け目は、最悪の場所に開いた。
大阪、天満。日本一長い商店街のアーケードの、真上である。折しも与太郎さんは、天満の寄席「繁昌亭」に、二日間の特別公演で招かれていた。
魔兵三百と、オーガ六体。アーケードの屋根を破って、買い物客の真っ只中に、降ってきた。
――第一報を受けた対処本部が戦力を送り込むまで、二十二分。
後の検証で、この二十二分は「空白の二十二分」と呼ばれるはずだった。
だが、実際にそう呼ぶ者は、いない。大阪では、別の名で呼ばれている。
「師匠の二十二分」である。
――防犯カメラと、無数のスマホが、その一部始終を記録していた。
悲鳴が渦巻くアーケードで、寄席の座布団を小脇に抱えた着流しの老人が、魔兵の隊列の前に、ひょい、と出た。
「――はいはい、皆さんお慌てなさんな。落ち着いて、店の奥へ。……ほんでお前さんらは」
老人は、座布団を、ぽん、と地面に置き、その上に、正座した。
魔兵三百を前に、正座である。
「まあ、座り。……いや、座らんか。ほな、こっちの勝手で始めさしてもらうで。えー、毎度ばかばかしいお笑いを――」
魔兵の槍が突き出された。
――瞬間、老人の姿が、消えた。
正座から、膝のバネだけで槍の内側に滑り込み、穂先を扇子で逸らし、魔兵の膝を崩して、隊列の一列目を、将棋倒しに崩した。倒れた魔兵は、なぜか全員、綺麗に商店街の「邪魔にならない側」に積み上がっていった。
「……ワシはな、六十年、高座で『間』ぁ measuring 計っとんのや」
与太郎さんは、扇子一本で、二列目を崩しながら、独りごちた。
「客席の呼吸、咳の出る半拍前、笑いの起きる四分の一拍前。……お前さんらの槍の出る一拍前くらい、読めんでどうする」
オーガが吼えて突進してきた。老人は避けなかった。半歩、沈んだ。
次の瞬間、三メートルの巨体が、綺麗な弧を描いて、鮮魚店の空の発泡スチロールの山に、頭から突っ込んだ。崩れた発泡スチロールの音だけが、やけに賑やかだった。
「――投げてへんで。あんたが勝手に、ワシの後ろに転んだんや」
二十二分後、駆けつけた俺と統合任務部隊が見たものは――「邪魔にならない側」に整然と積まれた魔兵の山と、発泡スチロールに埋まったオーガ六体と、商店街の奥から老人に浴びせられる「師匠ー!」「ようやった!」「うちのコロッケ持っていき!」の歓声だった。
そして与太郎さんは、俺の顔を見ると、扇子で自分の首筋を扇ぎながら、言った。
「……おう、兄ちゃん。遅かったな。ほな、あと頼むわ。ワシ、二席目があるんや」
「二席目!? この状況でか!?」
「アホ。この状況やから、や」
老人は、破れたアーケードの下、避難の済んだ客たちが恐る恐る戻り始めた寄席へ、座布団を抱えて歩き出した。
「――怖かった晩はな、笑うて寝るのが一番なんや。それを届けるんがワシの本業。さっきのは、余興や」
その夜の繁昌亭は、立ち見の札止めになった。
演目は「胴斬り」。客席は、泣くほど笑ったという。
――後日、この「師匠の二十二分」の映像を解析した三隅一尉は、レポートの結論にこう書いた。
『結論:桂与太郎氏の技術は、当職の理解の外にある。
特記事項:全編を通じ、同氏は一度も、相手を「攻撃」していない。崩し、いなし、転がし、積んだだけである。魔兵三百が相手ですら、である。
所見:レオン・アークライト氏はかつて「この国で一番強いのは、たぶん俺じゃない」と発言した。当職は当時、謙遜と解釈した。……訂正する』
(第64話・了)




