第63話 「国連演説」
ニューヨークへの機中、俺は生まれて初めてのネクタイと格闘していた。
「レオン様。それは絞首の結び方です」と真琴。
「窮屈すぎる……鎧のほうがましだ……」
「世界中が見る場です。我慢なさい」
――国連総会議場。百九十余りの国の代表を前に、まず、フィリア王女が壇に立った。
「――地球の皆さま。わたくしは、空の裂け目の向こうから参りました、隣人です」
王女の演説は、二十分だった。だが、議場は一度も、ざわめかなかった。
「わたくしたちの世界は、三百年、戦争をしてきました。誰も始まりを覚えていない戦争を、です。力は力を呼び、報復は報復を編み、憎しみは相続財産のように、子へ、孫へ、律儀に受け継がれました。……皆さまの歴史にも、覚えがおありのはずです」
「わたくしは日本という国で、別の道を見ました。危機に際して、あの国はまず、法を書いたのです。誰が決め、誰が守り、誰が責任を取り、壊れた家を誰が直すか。退屈で、まどろっこしい、紙の仕事を。……そして、その紙が、二千の軍勢から、一人の死者も出さずに街を守りました」
「ですから、ご提案します。力の同盟ではなく、約束の同盟を。恐怖の連合ではなく、手続きの連合を。――脅威を焼く軍隊は、いずれ互いを焼きます。脅威に備える約束だけが、危機が去った後も、皆さまの手元に残るのです」
拍手は、長く、鳴り止まなかった。
――そして、議長が、俺の名を呼んだ。
正直に言う。演説の予定稿は、あった。外務省と王国文官が三日かけて書いた、立派な原稿が。だが壇に立って、百九十の国の目を見た瞬間、俺は原稿を、畳んだ。
「……レオン・アークライトだ。肩書きは色々あるが、要は、殴るのが得意な十七歳だ」
議場の空気が、ふっ、と緩んだ。
「俺は、魔王を素手で倒した。だから世界最強と呼ばれた。……その俺が、日本に落ちて最初に教わった言葉を、あんたたちに教える。『どんなに強くても、殴った時点で負け』だ」
「最初は、意味がわからなかった。今は、こう思ってる。――強さってのは、選択肢の数のことだ。殴るしかない奴は、どんなに硬い拳を持ってても、弱い。殴る前に、警告できて、交渉できて、裁判ができて、法律が書けて、それでも駄目な時に、最後の最後に、初めて殴れる奴が――一番、強い」
「あんたたちは今、怖いはずだ。空が裂けて、化け物が降ってくるんだからな。怖い時、生き物は選択肢を捨てる。撃つだけになる。焼くだけになる。……そうなった国から、負けていくぞ。魔物にじゃない。自分にだ」
俺は、議場をぐるりと見た。
「日本の法律は、俺に居場所をくれた。戸籍のない、国籍のない、存在しないはずの俺にだ。紙とハンコの積み重ねの果てに、『お前はここにいていい』と言ってくれた。……あんたたちの国にも、これから、空から誰かが落ちてくるかもしれない。魔物かもしれないし、俺みたいな馬鹿かもしれない。その時、撃つ前に、一枚の書類を差し出せる国であってくれ。――以上だ」
――三日後、国連総会は「異界性事象対処協力機構」の設立決議を、賛成多数で採択した。
後に「世界連合」と呼ばれる枠組みの、産声だった。
決議文の前文には、日本の特措法の条文が、ほぼそのまま引用されていた。氷雨は決議文の写しを額に入れ、事務所の一番いい壁に飾った。「継ぎはぎが、海を渡ったのよ」と言いながら、また袖で目元を拭っていた。
(第63話・了)




