第61話 「特別対処員の一番長い日」
その日は、午前四時十一分に始まった。
池袋の地下、廃坑道。逃亡中のガレスが背負い続けた七基目のアンカーが、ついに、起動した。
サンシャイン通りの上空、高度三百メートル。空が、直径二百メートルの円形に、裂けた。
これまでの裂け目が「傷」なら、これは「門」だった。正確な真円。縁には幾何学の文様。自然発生を装うことすら、もうやめた、堂々たる侵攻用の門だった。
そして、門から降ってきたのは――整列した軍勢だった。
黒い鎧の魔兵、約二千。翼持つ獣に曳かれた戦車。地に降り立つと同時に、一糸乱れぬ方陣を組む。
「……気持ち悪い」
第一報の映像を見た瞬間、セリスが呟いた。
「魔物の軍はね、もっと、こう、ぐちゃぐちゃしてるのよ。雄叫びとか、抜け駆けとか、仲間割れとか。あれは……全員が、同じ拍子で動いてる。心臓が一つしかないみたい」
「駒だと言っただろう」と、リリスが吐き捨てた。「指が一本で、駒が二千。それだけのことだ」
――特措法下の日本の初動は、教科書に載る速さだった。
午前四時十五分、対処本部設置。十九分、危険区分・甲の認定と避難指示。二十三分、統合任務部隊に出動命令。二十六分、王国騎士団への協力要請。そして午前四時三十分――
『特別対処員レオン・アークライト。池袋の防衛線へ。……頼む』
「受諾した」
俺は、与太郎邸の玄関で靴紐を結んだ。背後の茶の間には、もう全員が集まっていた。それぞれの持ち場へ散る前の、数秒の沈黙。
「……ほな、行こか」と与太郎さん。「各自、生きて帰って、晩飯や。陽菜ちゃん、今夜は多めに炊いとき」
「はいっ! 十人前……ううん、二十人前!」
それが、俺たちの軍議だった。王国の出陣式より、よほど背筋が伸びた。
――池袋の戦いは、十四時間続いた。
魔兵二千は、強かった。個々はオーガに劣るが、連携が完璧すぎた。盾兵が崩れれば槍兵が埋め、槍兵が倒れれば戦車が轢き潰しに来る。防衛線は三度、破られかけた。
三度とも、そこに俺がいた。
方陣の横っ腹に正拳で穴を開け、戦車の車軸を投げの理合でへし折り、屋上から降る翼獣を空中で捌いた。自衛隊が火力で面を制し、騎士団が白兵で線を守り、警察が民を後ろへ送り続けた。三ヶ月前は定義を探していた国が、今日は、役割を果たしていた。
夕刻、魔兵の最後の一隊が門へ退き、門が閉じた。
人的被害――死者、ゼロ。負傷者百十七名、全員生存。
世界中のメディアが、この数字を「池袋の奇跡」と呼んだ。だが、対処本部の誰も、奇跡とは呼ばなかった。積み上げた手続きと訓練の、当然の結果だったからだ。奇跡と呼ばれるほうが、むしろ心外だという顔を、みんなしていた。いい顔だった。
――ただ、一つ。
誰にも言わなかったが、戦闘の間じゅう、俺の左腕の腕輪は――微かに、熱かった。
戦えば戦うほど、熱く。
まるで、俺の戦いを、何かが、美味そうに啜っているかのように。
(第61話・了)




