第60話 「東京湾防衛戦」
警報は、月曜の午前十時に鳴った。
理央の太平洋岸観測網が、東京湾上空の大気の「歪み」を検知。十一分後、房総沖の空が裂けた。
これまでで最大の裂け目から現れたのは、ゴブリンでも、オーガでもなかった。
翼だった。
翼開長八メートルの飛竜。それが、六十七頭。編隊を組んで、東京湾を、都心へ向かって飛んでいた。
――編隊を、組んで。
「編隊飛行だと!?」と、セリスが双眼鏡を握り潰しかけた。「ワイバーンは群れても編隊なんか組まない! あれは――調教されてる! 竜騎兵の運用よ!」
「リリスの言った通り、軍、ということだ」
――だが、この日の日本は、三ヶ月前の日本ではなかった。
特措法第八条、発動。対処本部が武力行使を承認するまで、四分。手順は、全て、書いてあった。誰が決め、誰が命じ、誰が撃つか。もう、誰も、会議室で定義を探さなかった。
『航空自衛隊、スクランブル。異界性生物、危険区分・甲と認定』
『王国騎士団、竜種対処の知見に基づき、統合任務部隊の指揮下で行動を開始せよ』
『沿岸住民への避難指示、発令。報道各社は――』
俺は、鷹峰からの電話を、一言で受けた。
「――特別対処員レオン・アークライト、要請を受諾する」
特措法が作った、俺のための地位だった。「異界性生物への対処について特別の能力を有する者」。日本の法律の中に、俺の戦う場所が、初めて、条文で用意されたのだ。
――戦闘は、湾岸で行われた。
F-15の編隊が、ワイバーンの群れを海上で足止めし、威嚇と誘導で隊列を割った。割れた隊列に、ヘリで空輸された騎士団の弩部隊が、翼膜を狙って正確な斉射を浴びせた。セリスは返還された聖剣を手に、湾岸のクレーンの頂から、跳んだ。文字通り、跳んで、空中のワイバーンを斬り伏せた(後に「クレーンの勇者」として切手になる)。
そして俺は――埠頭のガントリークレーンを駆け上がり、低空に誘い込まれた竜の群れの、ど真ん中にいた。
拳で竜を落とすのは、実は、二度目だ。一度目は異世界の竜の谷で、腕の骨を三本折った。
今日は、折れない。あの頃より、俺は強い。この国で、壊さない稽古を三ヶ月やり直した俺は、あの頃より、ずっと正確だ。
一頭目、顎を撥ね上げて海へ。二頭目、翼の付け根を極めて埠頭のコンテナヤード(無人・事前避難済み・氷雨の指示が徹底していた)へ。三頭目からは、数えるのをやめた。
――九十分後。
六十七頭のワイバーンは、一頭残らず、海上と埠頭に「そっと」置かれていた(特措法により、異界性生物の遺骸及び捕獲個体は国の管理物となる。つまり、もう無主物ではない。乱暴に扱うと器物損壊なのだ。世知辛い)。
人的被害、ゼロ。建物被害、コンテナ十七基(無人)。
対処本部の記者会見で、官房長官は、声を震わせて言った。
「――特別措置法は、機能しました。……法律が、この国を守りました」
――その夜。
迎賓館の最上階で、ヴォルフは、湾岸の戦いの映像を、何度も、何度も、巻き戻して見ていた。
「……九十分。竜騎兵の先鋒が、九十分」
老魔導師の指が、初めて、肘掛けを、こつ、こつ、と叩いていた。
「法で編んだ盾、か。……面白い。実に面白い、忌々しい。――よろしい」
彼は立ち上がり、窓の外の、光る街を見下ろした。
「小手調べは終わりだ。第二幕を開けよう。――今度は、盤ごと、ひっくり返す」
その左手の袖口から、一瞬だけ覗いた腕には――俺のものと同じ意匠の、古い、古い腕輪の痕が、刻まれていた。
(第60話・了)




