第59話 「魔王退位の真相」
その夜、リリスは、初めて全てを語った。
六畳一間の魔王城。段ボールの城壁に囲まれ、エアコンの効いた部屋で、元魔王は三百年の話を、淡々と始めた。
「私が玉座に就いたのは三百年前だ。人間との戦争は、その時すでに『伝統』だった。誰も、始まりの理由を覚えていない戦争だ。私は即位のときに決めた。私の代で、終わらせる、と」
「……初耳よ、そんな話」とセリス。
「言っていないからな。……講和は、九回試みた。九回、失敗した。使者は消え、密書は漏れ、会談の場所には必ず『偶然』人間の討伐隊が現れた。和平派の将は次々に失脚した。証拠を残さない、見事な手際でな。まるで、戦争そのものを飼っている者がいるようだった」
リリスは、麦茶を一口飲んだ。
「五十年ほど前、私は一度だけ、尻尾を掴みかけた。魔王軍の武具庫に、出所不明の魔道具が紛れ込んでいた。異様に精巧な、人間製の道具だ。将たちはそれを『戦利品』と言ったが、戦利品にしては、都合が良すぎた。我が軍が負けそうになると、必ず、ちょうどいい道具が『鹵獲』される。……戦争を長引かせる燃料が、定期的に補給されていたのだ」
「その道具の設計が……」
「そうだ。お前の腕輪と、同じ癖を持っていた。術式の『指紋』が、な」
俺は、左腕が、鉛のように重くなるのを感じた。
「……それで、お前は、なぜ退位した」
「掴みかけた尻尾の代償だ。私が『盤の外の指』を探り始めた途端、面白いように足元が崩れた。側近が離反し、強硬派が台頭し、玉座は戦争継続派に囲まれた。私は魔王でありながら、戦争を止める力を失った。……そこへ、お前が来たのだ、レオン・アークライト」
リリスは、俺を見て、三百年ぶんの皮肉を込めて、笑った。
「魔王城に単身殴り込んでくる、馬鹿のような若造がな。……私はお前の拳を受けながら、考えていた。『ああ、これは使える』と。魔王が英雄に敗れて退位する――これ以上ない、戦争の終わらせ方だ。誰の面目も潰さず、誰の陰謀のせいにもせず、物語として、綺麗に終わる」
「……じゃあ、あの『もういい。魔王やめるわ』は」
「九割は演出だ。……一割は」
元魔王は、エアコンの風に目を細めた。
「本音だ。心底、疲れていたのでな。三百年、誰かに飼われた戦争の、番人をやらされることに」
――座敷が、長く、静かだった。
口を開いたのは、与太郎さんだった。
「……リリスはん。あんた、それを承知で、なんで今まで黙っとったんや」
「証拠がないからだ。三百年目の老いぼれの『匂いがする』など、誰が信じる。……それに」
リリスは、初めて、言葉を選んだ。
「……この街の連中は、私を『元魔王』ではなく『エアコンの人』として扱った。分割払いの審査の心配をする隣人として、な。その平穏に、三百年の古傷を持ち込みたくなかった。――だが、もう遅い。向こうから来る。だから、話した」
俺は、立ち上がった。縁側に出て、夜空を見た。
五十年前に消えた武術家。終わらない戦争。飼われた戦い。俺の腕輪。七つのアンカー。新しい魔王。――全部の糸が、一人の「設計者」の指に、巻き取られていく。
名前は、まだ、誰も口にしなかった。
口にした瞬間、何かが、後戻りできなくなる気がしたからだ。
……だが、俺はもう、打ち消すのを、やめた。
(第59話・了)




