第58話 「あれは私の軍ではない」
七基目の捜索が難航する中、それは起きた。
深夜、リリスのアパートの窓が、内側から開いた。元魔王は、パジャマ(通販で三着買った)のまま屋根に立ち、西の空を、身じろぎもせず睨んでいた。
三十分後、彼女は与太郎邸の雨戸を叩いた。全員が叩き起こされた。
「――人間ども。寝ている場合ではない。伝えることがある」
茶の間に集まった俺たちの前で、リリスは、湯呑みも取らずに言った。
「裂け目の『向こう』の気配が変わった。あれは魔物の群れの無秩序な溢れ方ではない。――軍だ。編成された軍が、門の向こうに集結しつつある」
「軍……魔王軍、ということか」とセリス。
「そう呼ばれているものだ。だが、最初に言っておく」
リリスの声は、静かで、そして刃物のようだった。
「――あれは、私の軍ではない」
「……どういうことだ、リリス。魔王軍は、お前が退位して、散ったんじゃなかったのか」
「散った。散ったはずだった。……だが、向こうの気配には『核』がある。玉座の気配だ。誰かが、新しい魔王を名乗っている」
リリスは、そこで初めて、腰を下ろした。
「編成の癖でわかる。あれは私のやり方ではない。私の代の将たちのやり方でもない。……もっと、幾何学的だ。魔物の軍というより――駒の、並べ方だ」
「駒……」
「そうだ。そして、駒を並べる指は、盤の外にある」
――翌日から、防衛態勢は一段、引き上げられた。
理央の観測網は太平洋岸に増設され、騎士団は即応配置に移り、特措法に基づく「対処本部」が官邸に常設された。七基目のアンカーの捜索には、リリスの魔力知覚も投入されることになった。
その捜索の最中、リリスは、地下坑道の壁に残る微かな「残り香」の前で、足を止めた。
「……ふん。七基目を背負って逃げ回っている鼠は、ガレスだな。残り香が一致する。……だが、妙だな」
「何がだ」
「アンカー本体の術式の匂いだ。ガレスのような『使うだけ』の男の匂いの、奥に――設計者の匂いがある。これが……」
リリスは、目を細めた。三百年の記憶を、遡る目だった。
「……レオン・アークライト。この匂い、私は昔、嗅いだことがある」
「なに?」
「五十年……いや、もっと前だ。私の代の前半。人間との戦争が、なぜか終わらなかった時代。……講和の使者が消え、和平派の将が失脚し、戦だけが続いた、あの嫌な時代の――幕の裏で、いつも同じ匂いがしていた」
元魔王は、顔を上げ、俺の左腕を――腕輪を、指差した。
「――その腕輪と、同じ設計者の匂いだ」
(第58話・了)




