第56話 「成立の日」
「W」の脅威は、特措法の審議を、最後のひと押しで加速させた。
七つのアンカーの存在は、国民には伏せられた(パニックを避けるため、撤去作業は「地下鉄の耐震工事」の名目で進められた)。だが、国会の空気は、明確に変わった。「いずれ来るかもしれない脅威」が、「もう来ている脅威」になったからだ。
――採決の日。
衆議院本会議場の傍聴席に、俺たちはいた。正装のフィリア王女とゲオルグ。制服の美咲。白いスーツの麗華(あの告発以来、彼女の白は、なんだか強くなった)。セリス、理央、あかり、陽菜、真琴、与太郎さん。そして、なぜか堂々と最前列に座る、サングラス姿のリリス(変装のつもりらしい。銀髪が全く隠れていない)。
壇上では、最後の討論が行われていた。賛成討論に立ったのは――大神一徹だった。
「――わしは、この一年、異世界人は帰れと言い続けた男であります」
老議員は、原稿を持たずに、話し始めた。
「その男が、なぜ賛成討論に立っておるか。……諸君、わしはこの目で見たのであります。剣を預けよと言われて、預けた騎士団を。裁判所に、自分の足で入っていった英雄を。父親を告発した、十七の娘を。そして――わしの選挙区の婆さんの家の雨樋を、いつの間にか直していった、名乗らん誰かを」
議場が、静かになった。
「あの連中は、法を守ったのではありません。法を、信じたのであります。異世界から来た連中が、われわれの法を信じた。……ならば諸君、応えるのが、立法府の意地でありましょう!! 彼らが信じるに足る法を、われわれの手で、書き上げようではありませんか!!」
――起立採決。
与野党の議員が、次々と立ち上がっていく。その光景を、王女は身じろぎもせず見つめ、ゲオルグは目を閉じて聞き、与太郎さんは「ええ光景や」と呟いた。
『――起立多数。よって本案は、可決されました』
議場に、拍手が鳴った。
「異世界存在対策特別措置法」、成立。異界性人の法的地位、危険生物への対処権限、王国軍の武力行使の枠組みと縛り、被害補償――すべてが、この瞬間、この国の法律になった。
――傍聴席の隅で。
氷雨が、動かなかった。
眼鏡の奥の目から、一筋、こぼれていた。彼女は慌てて眼鏡を外し、ハンカチを探して、見つからず、結局、袖で乱暴に拭った。
「……あら。おかしいわね。法律が一本できただけなのに」
「一本やない」
隣の与太郎さんが、前を向いたまま言った。
「あんたが言うた『継ぎはぎ』が、また一枚、増えたんや。……ええ継ぎはぎや。今までで、一番な」
その夜、与太郎邸で、ささやかな宴が開かれた。
陽菜が(俺の監修のもと)揚げた山盛りのコロッケを囲み、誰もが笑っていた。リリスは新しい法律の在留資格条項を三回読み返し、「これで分割払いが組める」と真顔で乾杯した。セリスは「聖剣の『美術品』も卒業ね!」と喜び、氷雨に「運用次第です」と釘を刺されていた。
俺は、縁側で、その光景を眺めていた。
――魔王を倒した夜、王城の宴で、俺は同じように輪の外から仲間を眺めていた。あの夜と同じで、あの夜と全然違う。あの夜の俺は「戦いが終わった」と思っていた。今夜の俺は、知っている。
法律は、できた。
つまり、ここからが――本番だ。
西の空で、遠雷が鳴った。理央のポケットで、観測アラートが、小さく、鳴り始めていた。
(第56話・了)




