第41話 「ゴブリンは鳥獣か、賊軍か」
夜明けの官邸対策室は、戦場だった。ただし、飛び交うのは剣ではなく、法令の条文である。
「環境省の見解を述べる。当該生物は野生鳥獣に類似するも、鳥獣保護管理法の『鳥獣』は本邦に生息する野生動物を前提としており、異世界産は想定外!」
「法務省・入管庁より。仮に知性ある存在なら不法入国だが、旅券制度の適用は困難!」
「警察庁。棍棒と刀剣で武装した集団である以上、凶器準備集合の枠組みも検討し得るが、そもそも『人』でなければ刑法の適用が――」
「――あの!! 定義の前に、住民避難の話をしていただけますか!!」
現地からのオンライン中継で叫んだのは、美咲だった。応援派遣で麓の町に入っていた彼女の背後には、体育館に集まる住民たちが映っていた。
――現場は、もっと単純で、もっと深刻だった。
ゴブリンの群れ三百は、夜の間に山を下り、麓の廃工場地帯に「巣」を作り始めていた。先遣の機動隊が盾の壁で県道を封鎖している。だが、それだけだ。誰も、一歩も、踏み込めない。
「踏み込む法的根拠が、まだ決まっていない」からである。
その封鎖線の後ろに、俺とセリスはいた。鷹峰の要請による「有識者(異世界枠)」としての同行だった。戦力としてではない。
「ねえレオン。あの巣、まずいわ」とセリスが小声で言った。「ゴブリンは巣を固めたら、次は必ず『物資の略奪』に出る。つまり、人里に来る。今夜か、明日の夜」
「ああ。……鷹峰さん、聞いての通りだ。時間がない」
「わかっている。わかっているが……」
鷹峰は、疲れ切った顔で、タブレットの会議中継を睨んだ。
「……君の国なら、どうしている」
「鐘が鳴って、騎士団が出て、終わっている。……ただし」
俺は、封鎖線の機動隊員たちを見た。彼らは一睡もせず、住民を逃がし、盾を並べ、そして誰一人、功を焦って突出しない。
「王国のやり方なら、勲章と一緒に、棺も並ぶ。騎士団の突撃は、毎回、誰かの葬式で終わる。……あんたたちの『まどろっこしさ』は、棺の数を減らすためにあるんだろう。なら、恥じることはない。ただ――急げ」
――その夜、恐れていた事態が起きた。
ゴブリンの一隊、約三十が、巣を出て、封鎖線の隙間の沢を抜け、集落の外れの民家に迫ったのだ。
通報。悲鳴。駆けつけられたのは、俺とセリス、そして非番も返上していた美咲だけだった。
「レオン! 交戦の許可は!?」
「ない! ――が、氷雨の講義を思い出せ!」
俺は、逃げ遅れた老夫婦と、ゴブリンの間に割って入った。
「刑法三十七条、緊急避難! 『自己又は他人の生命、身体……に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為』は、罰しない! ――今この瞬間、あの爺さんと婆さんに現在の危難がある! よって!」
先頭のゴブリンの棍棒を、掌で受け流し、そのまま沢へ、そっと(全力で)投げ落とす。
「――この投げは、合法だ!!」
「条文唱えながら戦う英雄、史上初じゃないかしら!?」
セリスは聖剣を持っていない(美術品)。だから彼女は、機動隊から借りた大盾二枚を両手に構え、鬼神のような防御戦を展開した。攻めない勇者は、それはそれで壮観だった。
三十匹の隊は、一匹も民家に届かず、一人の死者も出ず、夜明け前に山へ潰走した。
……そして、夜が明けて。
俺は対策室の片隅で、氷雨から、みっちり二時間の「事後検証」を受けていた。
「結論。あなたの行動は緊急避難でぎりぎりセーフ。ただし! 三匹目を投げた沢の高さは過剰の疑いが残る! それと戦闘中に条文を叫ぶのはやめなさい、動画に撮られて法学者が論争を始めたでしょうが!」
「合法性の宣言は大事だと教えたのはお前だろう!?」
ネットでは、その動画にこんなタイトルが付いていた。
『【異世界】条文詠唱おじさん(17)、ゴブリンを合法的に投げる』
おじさんではない。十七だ。
(第41話・了)




