第3話 「あなた、法的には存在しません」
翌朝。警察署の相談室に現れたのは、細身の女だった。
黒のスーツ。銀縁の眼鏡。腕には分厚い本を三冊。歩き方に無駄がなく、足音がしない。……武術か? いや、違う。これはたぶん、「効率」だ。
「弁護士の一ノ瀬氷雨です。九条さんから概要は聞いています。座って」
「レオン・アークライトだ。俺は魔王を――」
「その主張は法的に無意味なので省略します」
開幕、一刀両断だった。
氷雨は机に本を置いた。鈍器のような厚さの、「六法全書」というらしい。この国の魔導書か。
「まず現状整理。あなたには戸籍がない。国籍を証明するものがない。旅券もない。つまり日本の法制度上、あなたは『存在しない』。ここまでで質問は」
「存在しないなら、昨日から俺に飯を出しているのは誰だ」
「……いい質問ね」
氷雨の眼鏡が、きらりと光った。あとで美咲に聞いたところ、彼女が他人を褒めるのは年に三回らしい。一回目を初日で使わせたことになる。
「そう、制度上は存在しなくても、現実にあなたはそこにいる。この『制度と現実のずれ』を埋めるのが法律家の仕事。――方針を言います。家庭裁判所に、就籍許可の申立てを行う」
「しゅうせき」
「戸籍のない人間が、新しく戸籍を作る手続き。実在する制度よ。無戸籍の方が実際に使っている。あなたはこの国で生まれた証明ができない特殊例だけど……前例がないなら、作ればいい」
前例がないなら、作ればいい。
いい言葉だ。師匠の一人が同じことを言っていた。そいつは前例のない技を作って、前例のない骨折の仕方をしたが。
「ただし」
氷雨は指を一本立てた。
「問題が三つ。一つ、時間がかかる。二つ、あなたの『出自の説明』をどうするか。『異世界から来た』と書面に書けば、審判官の心証は最悪。三つ――」
「三つ?」
「それまでの間、あなたには住む場所も、収入も、身元保証人もない。法律は万能じゃない。書類が整うまでの『今日の飯』は、法律の外にあるの」
彼女は書類の束を鞄にしまい、立ち上がった。
「書面はこちらで整えます。あなたの仕事は、それまでこの国で――問題を起こさずに、生き延びること。できる?」
「生き延びるのは得意分野だ」
「その自信が一番の不安要素よ」
氷雨は去り際、一度だけ振り返った。
「レオン・アークライト。あなたの話が全部本当なら、あなたは魔王より厄介な相手に喧嘩を売られてることになる。――この国の『制度』は、殴れないから」
殴れない敵。
望むところだ、と言いたいところだが、正直、腹は減っていた。
(第3話・了)




