第2話 「取調室と黙秘権」
取調室、というらしい。
机ひとつ。椅子ふたつ。窓には格子。壁は灰色。
王城の地下牢より清潔で、俺の実家の客間より狭い。出された茶は温かく、「かつ丼は出ないからね」と先に釘を刺された。何の話だ。
「じゃ、始めるわよ」
机の向かいに座ったのは、九条美咲だった。本来は別の係の仕事らしいが、「言い出しっぺが面倒を見なさい」と上司に言われたそうだ。この国の軍にも理不尽はあるらしい。少し親近感が湧いた。
「氏名は」
「レオン・アークライト」
「生年月日」
「王国暦418年、風の月の三日」
「……西暦で」
「せいれき、とは?」
美咲は書きかけの筆を止め、天井を仰いだ。
「年齢は」
「十七」
「未成年!?」
彼女の声が裏返った。慌てた様子で部屋を出ていき、廊下から「保護者は!? いないわよ異世界だもの! 誰に連絡するのよ!」という叫びが聞こえた。この国では、十七歳は一人で捕まることも許されないらしい。過保護な国だ。
戻ってきた美咲は、疲れた顔で座り直した。
「……続けます。住所は」
「ない」
「本籍地は」
「アルディア王国、アークライト辺境伯領」
「日本国内で、よ」
「ならば、ない」
「ご家族は」
「じいちゃんが領地に。ここには、いない」
「……身分を証明できるものは? 何でもいいの。学生証、保険証、パスポート」
「これを」
俺は懐から、王家の紋章が入った銀の勲章を出した。魔王討伐の功で陛下から直々に賜った、王国に三つとない最高勲章だ。
美咲はそれをしげしげと眺め、裏返し、光に透かし、そして言った。
「……よくできてるけど、これ、どこの国のものでもないのよね」
「アルディア王国のものだが」
「その国が、地球のどこにもないの」
彼女は端末を操作し、画面をこちらに向けた。青い球体が回っている。
「これが今、あなたがいる世界。地球。約二百の国があるけど、アルディア王国はない。はい、ここまでで何か言いたいことは?」
「その球体、平面ではないのか」
「そこから!?」
――それから二時間、俺は「地球」の講義を受けた。
世界は丸いこと。日本は島国であること。魔法は存在しないこと(俺は腕輪を撫でて黙っていた)。魔王もドラゴンもいないこと。戦争を放棄した憲法があること。
最後のやつには、さすがに耳を疑った。
「戦争を、放棄?」
「そう。九条って言うの。……私の名字と同じで、よくからかわれるけど」
「馬鹿な。放棄して、どうやって国を守る。魔族が攻めてきたらどうする」
「魔族は来ないのよ、この世界には」
美咲は当然のように言った。
……このときの彼女の言葉を、俺たちは第41話あたりで思い出すことになるのだが、それはまた別の話だ。
「まあいい。それで、俺はいつ釈放される。罪はないはずだ。誰も殴っていない」
「そこなのよね……」
美咲は書類の束を睨んだ。
「銃刀法違反は、刀身十センチ未満の折れた剣で、鑑識曰く『金属疲労が激しく武器としての性能は栓抜き以下』だから微妙。公務執行妨害は未遂ですらない。決闘罪は申し込みの相手が警察官で、当の警察官が受理してないから不成立。つまり、あなた、罪状がないの」
「なら英雄的解決だな。帰るぞ」
「どこに?」
「………………」
「そういうこと。罪はないけど、帰る家もない。身元もない。あなたはいま、法律用語で言う『要保護者』。……もっと言うとね」
彼女は一枚の紙を机に置いた。何も書かれていない、真っ白な紙だった。
「これが、この国から見たあなた。戸籍がない、住民票がない、国籍がない。つまり日本の制度上、レオン・アークライトという人間は――存在しない」
存在しない。
その言葉は、静かに、深く、刺さった。
魔王の城で、俺は死を覚悟したことがある。竜の谷で、腕の骨を三本折ったこともある。だが「おまえは存在しない」と宣告されたことは、十七年の人生で一度もなかった。
「……存在しない人間は、どうなる」
「働けない。家を借りられない。銀行口座も、病院も、携帯も、まともには何も。……この国はね、書類の国なの。書類がない人には、とことん冷たい」
「魔王より恐ろしい国だな」
「でもね」
美咲は、初めて少しだけ表情を緩めた。
「書類さえ揃えば、とことん守ってくれる国でもあるの。無戸籍の人が戸籍を作る手続きも、ちゃんとある。……時間はかかるけど」
「ほう。つまり、攻略法は存在するわけだ」
「攻略って言わない」
俺は椅子の上で姿勢を正した。敵の正体が見えれば、やることは決まっている。修行と同じだ。型を学び、体系を知り、一手ずつ崩す。
「九条美咲。その『こせき』の作り方、詳しい者はいるか」
「……明日、うちの署に出入りしてる弁護士の先生が来るわ。ちょっと、かなり、相当に理屈っぽい人だけど、この手の案件なら日本一よ」
後に知る。この「理屈っぽい先生」こそ、一ノ瀬氷雨。俺の日本攻略における軍師となる女だ。
――ところで、その頃。
世界の裂け目を挟んだ向こう側、アルディア王国の王城では。
「英雄レオン・アークライト、凱旋式の最中に消失――」
玉座の間に、報告の声が響いていた。青ざめる重臣たち。泣き崩れる王女。捜索を求めて詰めかける民衆。
その混乱の中で、ただ一人。
宮廷魔導師ヴォルフだけが、誰にも見えない角度で、静かに口の端を上げていた。
「――計画通り」
彼の袖の中で、小さな魔法陣が、腕輪と同じ色に光っていた。
(第2話・了)




