第37話 「鼠、船を降りる」
真琴の予測は、三日後の深夜に的中した。
午前二時十四分。謹慎室の見張りが、扉の隙間から漏れる異様な光に気付いた。踏み込んだ時、室内はもぬけの殻。床には――焼け焦げた、真円の魔法陣。
「短距離の転移門だと!?」駆けつけたセリスが叫んだ。「そんな魔道具、王国にだって数えるほどしか……!」
警報は、即座に街を駆けた。美咲の署が緊急配備を敷き、真琴が単独で追跡に出た。彼女はガレスの「散歩コース」を全て頭に入れていた。
追いついたのは、河川敷だった。最初の転移が行われた、あの場所。
「――ガレス卿。動かないでください」
「……ほう。この闇で追いつくか。大した猟犬だ」
月明かりの下、ガレスは旅装だった。腰には、どこに隠していたのか、細身の剣。
「言っておくが、猟犬殿。それがしは君と戦わん。時間の無駄ゆえ」
「逃がしません」
「逃げるのではない。――降りるのだ、この船を」
ガレスは、笑った。いつもの如才ない笑みではなく、初めて見る、乾いた笑みだった。
「なあ猟犬殿。君は優秀だ。だから教えておいてやろう。この街は、じきに戦場になる。それがしの主が、そう設計したのでな。……それがしの仕事は下見と、種蒔きと、そして頃合いを見て消えること。全て、完了した」
「主の名前を」
「はは。それを言えば、それがしは明日、心臓が止まる。そういう契約でな」
ガレスが、袖から黒い球を落とした。閃光と煙。真琴は迷わず突っ込んだが、煙が晴れた河川敷には、もう誰もいなかった。ただ、二つ目の焼け焦げた円だけが、草を焦がしていた。
――翌朝の与太郎邸は、お通夜のようだった。
「……全部、俺の落ち度である」
畳に、ゲオルグが、巨体を折って頭を下げていた。
「ガレスの背信、見抜けなんだ。あまつさえ勇者殿に疑いを向け、待機まで命じた。……セリス殿。この通りである」
「だ、団長、頭を上げてください! 私こそ、黙って動いたから、話がこじれて……!」
「ううん、元はと言えば、私が写真撮っちゃったから……」とあかり。
「提出したのは私よ。職務とはいえ」と美咲。
謝罪の四つ巴である。誰も悪くない者同士が謝り合う光景ほど、見ていて居心地の悪いものはない。
収拾したのは、意外にも、コロッケ(差し入れ・三個目)を齧っていたリリスだった。
「――くだらん。全員、間違えていない」
元魔王は、面倒くさそうに言った。
「写真の小娘は、疑いを隠さず大人に渡した。警察の女は、職務で上げた。勇者は、証拠を集めた。団長は、規律で縛った。……全員が『自分の持ち場の正しさ』をやった。悪いのは、それを利用した鼠一匹だ。以上。この話、終わり。私は次のコロッケの話がしたい」
「……ふ。はっはっは! 元魔王殿の言う通りである!」
ゲオルグが笑い、ようやく、部屋の空気が緩んだ。
――ただ、俺は一人、笑い損ねていた。
ガレスの逃亡が残した「宿題」が、頭から離れなかったからだ。
短距離転移の魔道具。解錠の魔道具。上等な設計。……王国であれほどの魔道具を設計できる人間を、俺は、一人しか知らない。
そして、その日の夕方。
理央から、着信が入った。
『レオン、observatory(観測所)から緊急! 漏出値、跳ねた! 過去最大! それとね……変なの。跳ね方が、まるで――誰かが「点検」でもしたみたいに、綺麗なの』
(第37話・了)




