第35話 「魔王城(六畳一間)」
リリスの住処は、秋葉原からほど近い、古いアパートの二階だった。
六畳一間。窓際に最新エアコン。そして、部屋の三方に、天井まで積み上がった段ボールの壁。
「……リリス。この箱の山は、なんだ」
「城壁だ」
「城壁」
「ネット通販、というものを知っているか、レオン・アークライト。ボタン一つで、翌日、世界中の物資が門前に届く。……補給線の完成形だ。魔王軍の輜重隊が三百年かけてできなかったことを、この国は『置き配』で解決した」
段ボールの中身は、湯沸かしポット、加湿器、電気毛布、サーキュレーター、扇風機三台(「気流制御は基本だろう」)、そして大量の冷感寝具と、なぜか落語のCD全集だった。
「与太郎さんの师匠のやつじゃないか、これ」
「うむ。夜に流すと、よく眠れる。あの老人の一門、なかなかの術者だぞ。声だけで人の心拍を操る」
「術じゃない。芸だ」
――ひとしきり城(六畳)の自慢を聞かされたあと、俺は本題を切り出した。宿舎の盗難。セリスの疑惑。ガレスの動き。腕輪の「点検周期」。理央の観測する、右肩上がりの漏出。
リリスは、麦茶(来客用のグラスがないので計量カップで出てきた)を啜りながら、黙って聞いていた。
そして、聞き終えると、私の左腕を、顎で指した。
「――まず、一番大事なことを言ってやる。レオン・アークライト。貴様、ずっと栓を抜かれているぞ」
「……理央と、同じことを言うんだな」
「小娘の機械にもわかることが、貴様にはわからんか。三百年の魔力知覚で見れば、一目瞭然だ。その腕輪、封じると見せかけて、こう――少しずつ、汲み出している。井戸のつるべのようにな。しかも汲み出す量が、貴様がこの世界に来てから、段階的に増えている」
「誰が、そんなことを」
「作った者に決まっているだろう」
リリスは、事もなげに言った。
俺の心臓が、嫌な音を立てた。
「……ヴォルフ様は、恩人だ。じいちゃんの旧友で、俺のために」
「ふん。恩人、ね」
リリスは計量カップを置き、初めて、まっすぐに俺を見た。
「なあ、英雄。魔王だった私が、人間について三百年観察して得た、たった一つの真理を教えてやろうか。――『善人の顔は、作れる。だが、善人の“設計”は、作れない』。その腕輪の設計は、善人のものではない。以上だ」
「…………」
「まあ、信じる信じないは貴様の勝手だ。私は隠居だからな。……ああ、それと、盗難の件」
リリスは、面倒くさそうに立ち上がった。
「現場に連れて行け。魔力の残り香というものがある。人間の術者が触れたものには、指紋のように痕が残る。三日以内なら、私には視える。……勇者の小娘の痕か、別の誰かの痕か、はっきりするだろう」
「! 行ってくれるのか」
「コロッケ二個目の対価だ。……それにな」
元魔王は、段ボールの城壁の隙間から、窓の外の空を、ちらりと見た。
「あの『ノック』の術式、私はほつれ越しに視ている。あれを組んだ術者は――趣味が悪い。ああいう術式を組む輩が野放しだと、私の隠居生活に響く。エアコンのある世界は、私が守る」
動機の九割が私欲だったが、頼もしいことに変わりはなかった。
(第35話・了)




