第32話 「宿舎に、鼠がいる」
最初の異変は、書類だった。
廃校宿舎の職員室――今は騎士団の執務室――で、若い書記の騎士が首を傾げた。
「おかしいな……レオン殿の講習記録の綴り、順番が入れ替わっている」
二つ目の異変は、理央の計測データだった。
月一計測のあと、理央が宿舎に置き忘れた予備の記録媒体が、翌日、あった場所から三十センチずれて発見された。中身は無事。だが理央は、青い顔で断言した。
「私、機材の置き場所は絶対に間違えない。実験屋なめないで。……誰かが、抜いて、読んで、戻した」
三つ目の異変に気付いたのは、セリスだった。
夜、宿舎の廊下で、セリスは偶然、ガレスと若い騎士の会話を聞いた。
「――で、レオン殿の腕輪だが。あれの『点検』の周期を、そなた、聞いておらぬか。ヴォルフ様が来日された折、次はいつ頃と仰っていたか」
「は、はあ……存じませんが……それが何か」
「なに、大事な英雄殿の御身を案じておるだけよ。……ああ、この話、レオン殿には内密にな。心配をかけるゆえ」
足音が近づき、セリスは咄嗟に柱の陰に隠れた。
通り過ぎるガレスの横顔は、いつもの如才ない笑みのままだった。だからこそ、セリスの背中を、冷たいものが伝った。
――なぜ、副団長が、腕輪の点検周期を探る? なぜ、レオンに内密に?
部屋に戻ったセリスは、寝台に腰掛け、考え込んだ。
告げるべきか。レオンに。団長に。
……いや。証拠がない。それに相手は副騎士団長、王国の重鎮だ。勇者の私が疑いを口にすれば、それだけで騎士団が割れる。この異国で、王国の内輪揉めだけは、起こせない。
(――なら、私が一人で確かめる。証拠を掴むまでは、誰にも言わない。レオンにも)
それが、セリスの決断だった。
誠実で、勇敢で――そして、後に「裏切り疑惑」として自分に跳ね返ってくる、勇者らしい不器用な決断だった。
――その夜から、セリスの単独行動が始まった。
深夜、宿舎を抜け出し、ガレスの動きを追う。副団長の外出記録を写し、会った人間を記録し、廃校の裏手から続く彼の散歩コースを、屋根の上から尾ける。
そして、三日目の深夜。
塾の帰りに商店街の角で、その現場を目撃した人物がいた。
「……あれ? セリスさん……?」
あかりだった。
黒装束で、屋根から屋根へ音もなく跳んでいく勇者の姿は、どこからどう見ても――怪しさ、満点だった。
「なんで、あんな時間に、あんな格好で……誰にも言わずに……」
あかりのスマホには、月夜に跳ぶセリスの後ろ姿が、一枚、写ってしまっていた。
(第32話・了)




