第29話 「罪人にも、味方が付くのですか」
王女の視察日程に、氷雨が組み込んだ場所があった。
東京地方裁判所。一般傍聴できる、ありふれた刑事裁判である。
「儀典課は『地味すぎませんか』と渋りましたけど」と氷雨は言った。「この国の一番の見どころは、スカイツリーじゃなくて、ここです」
その日の法廷は、コンビニでの窃盗事件だった。被告人は五十代の男。弁当二つと栄養ドリンク。失職し、三日食べていなかったという。
傍聴席の王女は、開廷から一度も、身じろぎしなかった。
閉廷後、裁判所の廊下で、王女は氷雨を質問攻めにした。
「あの、被告人の隣にいた方は」
「弁護人です。被告人を守る側の法律家」
「……罪を犯した者に、味方が付くのですか」
「はい。必ず付きます。お金がなければ、国が費用を出してでも付けます。国選弁護人という制度です」
「国が!? 国が費用を!? 国は、罪人を罰する側でしょう!?」
「罰する側だからこそ、です」
氷雨は、いつもの淡々とした調子のまま、しかし、はっきりと言った。
「国家は強大です。個人はあまりに小さい。その二つが法廷で向き合うとき、個人の側に誰も立たなければ、それは裁判ではなく、ただの処刑になる。……だからこの国の法は、真っ先に、疑われた者の隣に人を立たせるんです。罪を憎むことと、人を潰すことを、混ぜないために」
「三度、裁判をやり直せるとも聞きました」
「三審制です。人は間違える。裁判官も人です。だから間違いを直す機会を、制度の側が最初から用意しておく」
王女は、廊下の窓から、裁判所の中庭を長いこと見下ろしていた。
「……王国では、裁きは王の言葉です。父上は賢王ですから、大きな過ちはありません。ですが」
彼女の声が、わずかに揺れた。
「父上が賢王であることは、ただの、幸運です。次の王が愚かなら、裁きも愚かになる。……この国は、『王の賢さ』という幸運に頼らぬよう、間違いを直す仕組みを、石垣のように積み上げたのですね」
「……殿下は、恐ろしく飲み込みが早いですね」
「書庫育ちですので」
王女は少し笑い、それから、真顔に戻った。
「一ノ瀬先生。折り入って、お願いがあります。王国の若い官吏を、あなたの下で学ばせたい。法を。手続きを。……『王の賢さに頼らない国』の作り方を」
「――お引き受けします。ただし殿下、私の指導は厳しいですよ」
「存じています。レオン様が『魔王より怖い時がある』と」
「あの依頼人、あとで説教ですね」
――こうして、氷雨の事務所に「アルディア王国法制研修生」の机が二つ、増えることになった。
異世界との交流は、剣でも魔法でもなく、六法全書から始まったのである。
(第29話・了)




