第26話 「裸の外交」
「――というわけで、行くで。温泉や」
与太郎さんの一声で、それは決まった。
連日の講習と手続きで、騎士団に疲れが見え始めた頃だった。行き先は商店街の外れの老舗銭湯「松の湯」。地元の年寄り連中――その多くが自衛隊OBや消防OBだ――の社交場である。
「与太郎さん。騎士五十人を銭湯に入れるのか」
「アホ。貸切や、貸切。町内会の顔で話つけた。……ええか兄ちゃん、風呂はな、この国最古の外交の場や。裸になったら、階級も、国籍も、世界も脱げる。理屈やのうて、湯で分かり合うんや」
――脱衣所で、早くも事件は起きた。
「鎧が……脱げません……」
式典用の鎧で来た騎士が三名いた(なぜだ)。留め具が複雑で、従者なしでは脱げないという。自衛隊OBの爺さんたちが面白がって手伝い、「ワシの現役時代の防弾チョッキより重いぞこれ」「ようこんなん着て動けるなあ」と、風呂の前から交流が始まった。
そして、浴場。
騎士たちは、湯船を前に整列し、ゲオルグの「入湯!」の号令で一斉に入り――全員で唸った。
「「「…………ぬおおお……」」」
「効くやろ」と、先に浸かっていた与太郎さんが笑う。「戦のあとの湯は、万国共通の褒美や」
四十二度の湯は、鎧の下の三ヶ月をゆっくり溶かした。誰かが、ぽつりと故郷の話を始めた。爺さんたちが、相槌を打った。言葉の半分も通じていないのに、なぜか会話は成立していた。風呂とは、そういう場所らしい。
「ときに、ゲオルグさんよ」
湯気の向こうから、元・陸自の会長さんが声をかけた。
「あんたら、ゆくゆくは何しに来なさった。……いや、責めとるんやない。ワシも制服組やったからな、軍隊が動く時は、理由がある時や」
浴場が、少しだけ静かになった。
ゲオルグは、湯を一掬いして顔を洗い、正直に答えた。
「――第一の任は、英雄殿の保護。第二の任は、この世界の調査。……だが、この十日で、それがしの本心は変わり申した」
「ほう」
「この国は、剣を預けろと言う。癪に障った。だが預けてみれば――剣がなくとも、誰も、それがしらを害さぬ。夜道は明るく、子は一人で歩き、丼は誰にでも等しく盛られる。……それがし、帰還したら陛下に言上つかまつる。攻めるべからず、学ぶべし、と」
「……ええ湯や、今日は」
会長さんは、それだけ言って、目を閉じた。外交とは、たぶん、こういうものである。
――ところで。
この歴史的な裸の外交を、最初から最後まで欠席した男がいる。
「ガレス卿は?」
「『湯あたりする質でして』と、宿舎に残られました」
その頃、廃校の宿舎。
人払いされた理科室の暗がりで、ガレスは小さな鏡を取り出していた。鏡面が波打ち、向こう側に、フードの人影が映る。
『――報告を』
「は。騎士団は完全にこの国に籠絡されつつあります。団長からして、あの体たらく。……計画に支障はございません。むしろ、油断は上々の隠れ蓑」
『結構。“ノック”の結果は、良好だ。次の門は、大きく開く。――彼らが最も、平和に慣れた頃にな』
「御意のままに。……ヴォルフ様」
鏡が、ただの鏡に戻る。
理科室の窓の外では、銭湯帰りの騎士たちが、牛乳瓶を腰に当てて飲む作法を、爺さんたちから伝授されていた。
平和は、続いている。
まだ、続いている。
(第26話・了)




