第17話 「監視対象と呼ばないで」
その日、俺は聞くつもりのない会話を、聞いてしまった。
夕方の商店街の外れ。買い物袋を提げて路地を抜けようとしたとき、停まった黒い車の陰から、声がした。真琴と、見知らぬスーツの男。
「――如月。報告書の件だ。『危険性:評価保留』が三週続いている。上は満足していない」
「事実、評価に足る危険行動がありません」
「いいか、お前の任務は護衛じゃない。“監視”だ。対象が危険と判断されれば、確保作戦に移行する。その時の制圧プランを作るのが、お前の本来の仕事だろう」
「…………」
「情が湧いたか? 特殊部隊で『機械』と呼ばれたお前が」
「……プランは、提出済みです。第七次改訂版まで」
「そうだ。それでいい」
車が走り去る。
路地の入口で、俺は立ち尽くしていた。買い物袋の中で、豆腐が少し崩れた。
――監視。制圧プラン。第七次改訂版。
そうか。あの無口な護衛は、俺を倒す方法を、七回も書き直していたのか。
振り向いた真琴と、目が合った。
彼女の顔から、いつもの無表情が、初めて剥がれ落ちた。
「……いつから、そこに」
「豆腐を買った頃からだ」
「…………そう、ですか」
真琴は、目を伏せた。それから、腰の後ろに手を回し――手錠でも銃でもなく、一通の封筒を取り出して、差し出した。
「辞令の写しです。本当の任務は、監視。あなたが危険なら、確保する。そういう仕事です。……黙っていて、すみませんでした」
「知っていた」
「……え?」
「初日からだ。護衛と名乗る人間が、護衛対象の俺に、一度も背中を見せなかった。護衛は対象に背を向けて、外の敵を見るものだ。お前の目は、いつも俺を見ていた。あれは護衛の目じゃない。監視の目だ」
真琴の肩が、小さく揺れた。
「気付いていて……なぜ、何も」
「別に、困らんからな」
俺は、崩れた豆腐の袋を提げ直して、言った。
「なあ真琴。俺は、思っただけで山を動かす魔法を持って生まれた。だから誰よりも知っている。――力は、見張られているくらいで、ちょうどいい」
「……」
「それにだ。俺がもし暴走したら、誰かが止めねばならん。この国でその役目を張れる人間は、そういない。お前は三分で俺を見つける女だ。適任だろう。……だから、監視でいい。むしろ頼む。俺が道を誤ったら――全力で、止めてくれ」
しばらく、真琴は動かなかった。
やがて、彼女は封筒をしまい、背筋を伸ばし、深く、頭を下げた。
「……如月真琴、任務を継続します。ただし」
顔を上げた彼女の目には、初めて見る色があった。
「報告書の様式を、本日付で変更します。『監視報告』ではなく――『警護日誌』に」
「様式の違いが、わからんのだが」
「大違いです」
真琴は、きっぱりと言った。
「監視は、対象を疑う仕事。警護は、対象を信じる仕事です」
――その夜の「警護日誌」第一号には、こう記されたという。
『対象……ではなく、警護対象レオン・アークライト氏は、本日、崩れた豆腐を「これはこれで麻婆に向く」と言って笑った。
当職は本日付で、確保作戦第七次改訂版の欠陥に気付いた。
欠陥:全プラン共通で、当職があの人を倒せる想定になっていること。
……修正の必要あり。当職はたぶん、もう、あの人を倒したくない』
(第17話・了)




