第13話 「護衛です(監視とは言っていない)」
その女は、玄関から来なかった。
朝稽古の最中、庭の柿の木の上から、音もなく降ってきた。
「レオン・アークライト様ですね」
黒のパンツスーツ。結い上げた黒髪。感情の読めない瞳。着地の衝撃を完全に殺した膝の使い方に、俺の背筋が勝手に伸びた。
「……何者だ」
「如月真琴と申します。本日付で、あなたの護衛を命じられました」
「誰にだ」
「上に」
「上とはどこだ」
「上です」
会話が、縦にしか進まない。
騒ぎを聞いて出てきた与太郎さんが、真琴の名刺(内閣官房・肩書きは曖昧)を眺め、「ほーん、国のえらいさんも、ようやく兄ちゃんに気付いたか」と、さして驚きもせず茶を出した。この爺さんの胆力はどうなっているんだ。
「護衛、とは。俺は魔王を倒した男だぞ。守られる側ではない」
「存じています。動画は全て拝見しました。……ですが決定事項です。本日より二十四時間態勢で警護します」
「二十四時間!? 寝る時もか」
「屋根の上におります」
「屋根はやめろ。直したばかりだ」
――こうして、如月真琴の「護衛」生活が始まった。
彼女は有能だった。恐ろしく。
買い物に行けば、三歩後ろを完璧な死角で歩く。商店街の人混みでも決して離れない。俺が気配を消して撒こうとしたら(修行の一環だ)、三分で発見された。元・特殊部隊というのは、伊達ではないらしい。
そして、無口で、無表情で――時々、妙だった。
「真琴。お前も食うか、コロッケ」
「任務中ですので」
「揚げたてだぞ」
「……半分だけ」
食った。無表情のまま、目だけがわずかに輝いていた。
あかりが「真琴さん、猫っぽい」と評した。言い得て妙だが、言った瞬間のあかりへの真琴の視線は、猫というより猛禽だった。
――夜。
全員が寝静まった与太郎邸の屋根の上(結局登っている)で、真琴は小さな端末に、その日の報告を打ち込んでいた。
『対象の観察報告・七日目。
対象は本日、商店街の清掃活動に参加。老人の荷物を運び、迷子を交番に届け、コロッケを二個食べた。
戦闘能力:測定不能。当職の完敗を確信する場面が本日だけで三度。
危険性:――』
真琴の指が、止まった。
彼女は、月明かりの下でしばらく画面を見つめ、それから打ち直した。
『危険性:評価保留。
対象は本日、当職にコロッケを分けた。理由を「うまいものは半分にすると、うまさが倍になると与太郎さんが言っていた」と説明。論理は破綻しているが、反証もできない。
……個人的所見。この男を「監視対象」と呼ぶことに、当職は近日中に抵抗を覚え始める可能性がある。対策を求む』
送信ボタンを押してから、真琴は屋根の上で、コロッケの油の残る指先を、少しだけ見つめた。
(第13話・了)




