第11話 「マッドサイエンティスト、押しかける」
その女は、朝稽古の最中にやってきた。
正確に言うと、与太郎邸の塀の上から、双眼鏡と巨大なアンテナ付きの機材を構えて、こちらを覗いていた。
「……与太郎さん。塀の上に、白衣の不審者がいる」
「ほんまやな。……おーい、あんた! 覗きは犯罪やで!」
「覗きじゃありません! 観測です!!」
女は塀から転がり落ち、機材ごと庭に着地し、機材だけを庇って肘を擦りむき、それでも笑顔で立ち上がった。
「初めまして! 東都大学・応用物理学研究室の天城理央、二十六歳! 専門は『未知エネルギー現象』! 単刀直入に言います!」
彼女は、擦りむいた肘のまま、俺をびしりと指差した。
「あなた、物理法則を壊してますよね!?」
「壊していない。堪えている」
「その言い方!! 最高!! 詳しく!!」
――話を聞くと、彼女は数週間前から、都内で観測される「説明のつかないエネルギー波形」を追っていたらしい。動物の異常行動、局所的な磁場の乱れ、そして先日の「自販機全とっかえ事件」。波形の中心は、いつも俺だった。
「で、極めつけがその腕輪!! さっきから計測器が悲鳴あげてるんですよ! 内側に何を封じ込めたらそんな数値になるんですか!? ちょっとだけ! ちょっとだけ外してみてもらったり――」
「「「絶対にあかん(ダメ)(です)」」」
与太郎さん、駆けつけた美咲、電話越しの氷雨の声が、綺麗に揃った。
「えー!? 科学の進歩が!!」
「科学の進歩より新宿の地形が大事なの!」
だが、理央は引かなかった。マッドと呼ばれる人種は、断られてからが本番らしい。それから三日、彼女は与太郎邸に通い詰め、ついに「取引」を持ちかけてきた。
「わかりました。腕輪は外さなくていいです。そのかわり――『外から』観測させてください。稽古の見学と、月一回の非接触計測。それだけ」
「俺に、何の得がある」
「こちらをどうぞ」
理央が差し出したのは、黒い板状の物体だった。
「特製スマホケース。電磁遮蔽と応力分散の特殊複合素材。あなたの『持ち物が壊れる』現象、原因はたぶん、微弱な漏出エネルギーによる金属疲労の加速。なら、遮蔽すればいい。理論上、これであなたのスマホは折れません。……剣サイズも、いずれ作れるかも」
全員が、息を呑んだ。
「剣が……折れなくなる、かもしれない、だと?」
「あくまで理論上はね! データが要るの! だから観測させて!!」
俺は与太郎さんを見た。与太郎さんは「まあ、敵ではなさそうやな。目ぇは正直や」と笑った。氷雨は電話越しに「契約書を作ります。観測データの外部提供は禁止条項に入れる」と即答した。この軍師は仕事が早い。
こうして、天城理央は「観測係」として、俺の日本生活に加わった。
――契約書に署名した帰り際、理央はふと、真顔になった。
「……ひとつだけ、気になることがあるんだけど」
「なんだ」
「あなたの漏出エネルギー、記録を遡って整理したの。転移してきたっていう日から今日まで――ほんの少しずつだけど、右肩上がりに増えてる」
「……腕輪の、劣化か?」
「わからない。劣化にしては規則的すぎる。まるで――」
理央は、自分の言葉に、自分で眉をひそめた。
「――誰かが、少しずつ蛇口を開けてるみたい」
春の夕暮れは、まだ明るい。
だが、そのときの俺は、袖の中の腕輪が、ほんの少しだけ重くなった気がした。
(第11話・了)




