短編二 『桂与太郎の異世界落語紀行 〜門、再び開く〜』
終戦から三年後の春、門は、人の手で、再び開いた。
理央君の研究班と、獄中のヴォルフの記録(彼の裁判は今も続いている。氷雨先生は先月、王国の旧法廷制度に関する証人尋問で、王国の裁判史をひっくり返したそうだ)が、ついに「安定した往来」を実現させたのである。
第一便の公式訪問団は、政府要人、研究者、レオン(王命の履行である)、そして――
「――なんでワシが第一便やねん」
「王女様のご指名だ。『あの噺を、王国の民に、生で』だそうだ」
「無茶言いよるわ、あの姫さんは。……言葉、通じるんかいな」
「翻訳の魔道具がある。それに与太郎さん、あんたの芸は、半分は言葉じゃないだろう」
――というわけで、ワシ、桂与太郎、六十八歳。人生初の異世界公演である。
会場は、王都アルディアの中央広場。特設の高座(騎士団が一晩で組んだ。釘を一本も使わん見事な組み方やった)。客は、広場を埋め尽くす王国の民、五万人。
五万人。……ワシの人生最大の寄席が、まさか異世界とは。
高座に上がって、まず、驚いた。
客の「圧」が、違うのである。この国の民は、三年前まで「娯楽は貴族のもの」やった。庶民が芸を、それも異界の芸を、タダで聴ける――その飢えと期待が、広場全体から、湯気みたいに立ち上っとった。
ようし。ほな、遠慮のう。
「――えー、海の向こう、ならぬ、世の向こうから参りました、桂与太郎と申します」
つかみは、あの噺と決めていた。「異世界英雄住民票」。世界を書き直した一席、などと大層な名で呼ばれとるが、なに、ただの人情噺や。あの阿呆弟子が空から降ってきて、書類と戦って、家を見つけるまでの噺。
――結果を言おう。
五万人が、笑うた。
翻訳の魔道具越しに、半拍遅れて笑いが来る。その半拍を計算に入れて「間」を組み直す。六十八年の芸人人生で、一番難しゅうて、一番楽しい高座やった。
新宿の職務質問の場面で、客席の騎士たちが「あるある!」と膝を打ち(お前らも同じ目に遭うたんかい)、「あなた、法的には存在しません」の場面で、広場が静まり返り――ワシは見た。客席のあちこちで、平民の年寄りたちが、そっと目元を拭うのを。
この国にも、おったんやろう。書類の前で泣いた人が、ようけ。
そやから、落げ(サゲ)は、こう変えた。
「――ほんでその阿呆、今どうしとるか言いますとな。学校行って、遅刻して、先生に怒られとります。世界を救った男が、廊下に立たされとります。……え? 情けない? ――なんの。ワシはあれが、あの子の一番の勲章やと思うとります。廊下に立たされる英雄がおる国は、もう二度と、英雄を化け物にはせん国や、いうことですさかい」
――万雷の拍手の中、ワシは高座を降りた。
袖で、レオンが待っとった。
「……師匠。最後の、あれ」
「なんや。学校のことなら陽菜ちゃんから聞いてしもたんや。諦め」
「違う。……いや、それも恥ずかしいが。……ありがとうな、と思って」
「気色悪いこと言いな。ほれ、次はあんたの仕事やろ。姫さんとこの議会で、講義があるんちゃうんか」
「ああ。『法治国家の作り方・実践編』。……なあ、師匠。俺の講義より、あんたの落語の方が、よっぽど法治の宣伝になった気がするんだが」
「当たり前や」
ワシは、扇子で自分の胸を、とん、と叩いた。
「――法律は頭に入れるもんやけどな、兄ちゃん。噺は、腹に入るんや。人間、最後に動くのは、腹の方やで」
――紀行の最後に、一つだけ。
帰り際、ワシは一人で、王都の外れの丘に登った。レオンに場所を聞いた、天堂寺鉄山の墓である。三年前の戦後、王国が正式に建て直した、立派な墓やった。墓碑には、王国語と日本語で、こう刻まれとった。
『天堂寺鉄山 ここに眠る。異界より来たり、五十年、この地の民に武と礼を教う。その系譜は二つの世界を救えり』
ワシは、持ってきた日本酒を墓にかけて、線香を上げて、正座した。
「……大師匠。初めまして。孫弟子の与太郎です。……あんたの拳の系譜な、めぐりめぐって、ワシが預かっとります。ええ子ですわ、あの子は。ほんまに、ええ子で……」
あかん。歳を取ると、涙腺が近うなっていかん。
ワシは洟をすすって、それから、墓の前で、一席やった。「寿限無」や。武術家に落語がわかるかいな、と思われるやろうが、なに、かまへん。
――噺は、人の頭ん中に住むもんや。
なら、五十年ここで待っとった大師匠の頭ん中にも、一席くらい、住まわせてもらわな。
(『桂与太郎の異世界落語紀行』・了)




