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七章 小さな違和感 大きな恐怖


「部活は疲れるもんだねぇ~、メグチン」

「疲れるより寒いわ」

「相変わらず寒がりだねぇ~」

 放課後の部活を終えた後、更衣室で愛理と小春はそんなことを話していた。

「だいたい短距離のメグチンや棒高跳びのアタシは、冬場は大会もないんだから、休ませてくれたらいいのにねぇ~」

「十二月に入ったら、冬休みも含めて一応、自由参加の形式になるじゃない」

「自由参加と言いつつ、ほとんど参加しなきゃいけない空気じゃんか~」

 驚いた。小春でも空気が読めるらしい。

「メグチン、今、鳩が豆を食って鉄砲を撃ったような顔、しなかった?」

「それは鳩なの? 怖い鳩ね。鉄砲が撃てるなんて……」

「その鳩の名は、デューク東鳩、またの名を、クルポサーティーン……」

「渋い鳩ね……」

 そんなくだらない会話は周囲でも行われている(この二人の会話ほど、意味の無いものは存在しないが)。

「メグチンは今日、まっすぐ帰るの?」

「そうするつもりよ。早く帰って、食器を洗って、洗濯物を取り込まないと……」

「ふーん、そう。明日は土曜で休みだし、今日はオールで遊ぼうか、とか考えたけど、メグチンが来ないなら、むしろ眠るほうが良いよね、と今、考え直した」

「……」

 欲望に忠実なのが、小春クオリティ。

 彼女の中では、食欲か睡眠欲が、常に優先されるようだ。

「明日は昼まで寝ることが決定しましたぁ~」

「そんなこと、宣言しなくてもいいわよ。後、休みだからって、寝すぎるのもどうかと思うわ」

「いいのだよ、休みなのだから~♪」

 なんとなく成り立っていない会話をしながら、小春は昼間買っていたアンパンの袋を開ける。

「メグチンも食べる~?」

「……っ!」

 思わず、愛理は小春の額に手を当てる。

「なにさ、メグチン?」

「いや、あなたが食べ物を人に勧めるなんて、新種のインフルエンザにかかったとしか……」

「――メグチンがアタシのことを食欲魔人と思っていることはよく分かった! ふ~んだ! どうせ色気より食い気ですよ~だ! それで! いるの? いらないの?」

 少し拗ねながらも、なおもアンパンを勧めてくる小春。

「何か、入ってるとか……」

「人を信じられないのは、悲しいことだよ、メグチン」

 小春に人の道を語られることほど、むかつくことはない。

「――分かったわよ、いただくわ」

「素直が一番だよ、メグチン」

 そう言いながら、小春は何故かアンパンを自分の顔に持っていき、

「さぁ、アタシの顔をお食べよ!」

 と、言い放った。

「……………………………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………………………」

 愛理と小春が無言になる。

 自分たちの話をしていた、周囲の部員たちも何故か無言になる。

 永遠に続くかのように思われた静寂は、やがて破られた。

「――寒いわ」

「メグチンは相変わらず、寒がりだねぇ~」

 食欲が減退した愛理は食べることを拒否し、アンパンは小春一人が食べることになった。

 その後、着替え終わった愛理と小春は、校門前まで一緒に帰った。そして、小春と別れ、家路に着いた愛理は、帰宅後のことを考える。

(とりあえず、食器を洗わなきゃ……あと、洗濯物を取り込んで、それから……)

 部活で遅くなったので、辺りはだいぶ暗くなっている。

(早く帰ろう)

 愛理は、なんとなく、歩調を速めた。周囲には、誰もいないが、なんとなく嫌な予感がしたからだ。


 その予感は、帰宅後に的中することになる。


「ただいま、管理人さん」

「おかえりなさい、愛理ちゃん」

 管理人に声をかけて、エレベーターに乗り込む。

 そして、五階へ着くと、自分の部屋を目指した。

(鍵、鍵、と…)

 鍵を取り出し、鍵穴に差込み、鍵を開ける。

 ドアを開いて、部屋に入る。

(ふぅ、さて、早いところ、食器を洗わなきゃ……)

 そう考え、コートを脱ぎつつ、キッチンに向かう愛理。

 キッチンに着いた愛理は、何か、違和感を覚えた。

(あれ?)

 一瞬、自分がここに何をしにきたのか、分からなくなった。

(私は、ここに……)

 シンクを見つめる愛理。

(食器を、そう、今朝使ったお茶碗を洗いに……)

 今朝は、寝坊したので、間違いなく、使用した茶碗を洗わないまま、シンクに放置して、でかけたはずだ。

(洗いに、きた、のに……)

 なのに、何故、

 きれいに洗われた茶碗が、そこにあるのだろう……?

 

「何で……?」

 思わず、愛理は疑問を声に出してしまう。

 今朝、自分が茶碗を洗ってないことは間違いない。

 では、何故、ここに、洗われた茶碗が存在しているのだろうか。

 自分が洗った、ということは絶対無い。

 今朝はもちろん洗っていないし、たった今、ここに帰ってきたばかりの自分が洗えるわけがない。

(誰かが洗った……?)

 いったい、誰が洗うというのだ。

 玄関には、鍵がかかっていたし、ベランダのガラス戸にも、遠目での確認であるが、鍵はかかっている。ガラスが割られているということもない。鍵を持つもの以外の進入は不可能であるはずだ。

(鍵は、私と、管理人さんしか……)

 管理人は各部屋のマスターキーを保管している。

 しかし、茶碗を洗う、といった理由で、マスターキーを使ってここに入るわけがない。

 仮に、何らかの理由があって、部屋に入ったとしても、その理由を先程、帰宅したときに報告するはずであるし、やはり、茶碗を洗う意味はない。

 愛理は、嫌なことを想像してしまった。

(ストーカーとかだったら……)

 もし、どこぞの都市伝説のように、ストーカーがベッドの下などに隠れていたりしたら、鍵を開けずとも、この部屋にいることが出来るし、自由に出入りできる。

 しかし、そうだとすると、大変なことが考えられる。

 愛理が帰宅したとき、玄関の鍵はかかっていた。

 ベランダのガラス戸にも、だ。

 つまりは、

(まだ、この中に、いる……?)

 ということになる。

 愛理の体が、恐怖に震えた。

「っ!」

 ダダダダダダッ!

 愛理は急いで玄関に向かう。

 そして、部屋から出て、管理人室を目指した。

 管理人に自分の部屋に入っていないか、という確認と、部屋に誰か潜んでいないか、の確認を手伝ってもらうためである。

 エレベーターを待つ時間も惜しく感じた愛理は、階段を凄い勢いで下っていく。

 そして、一階にたどり着くと、すぐさま、管理人に声をかける。

「管理人さん!」

「ど、どうしたんだい?愛理ちゃん?そんなに慌てて……」

 管理人は、愛理の必死な様子に心底、驚いている。

「私の部屋に、今日、入ったりしてませんよね?」

 愛理が、質問すると、管理人は不思議そうな顔をして、

「え、えぇ。入る理由がないし、いくら管理人だからといって、入居者の部屋に勝手に入ったりしないわよ」

 と答える。

 愛理はその答えを聞いて、またも不安になる。

 一番、そうであってほしかった理由が、否定されたからである。

「……管理人さん、すみませんが、私の部屋にきてくれませんか?」

「ど、どうしたの?」

 愛理の声や表情に怯えがあることを感じ取った管理人は、その理由を聞く。

「……誰かが、私以外の誰かが、部屋にいるかもしれないんです……」


「洗ってないお茶碗が、洗われていた?」

「……はい」

 管理人と共に、自分の部屋の前までやってきた愛理は、事の次第を説明した。

「実は、勘違いだったとか……」

「いえ! それはないです! 寝坊したので、洗わないで出かけたことは、間違いないです!」

 管理人の言葉を全力で否定する愛理。実際、洗っていないことは間違いないのだ。

「それに、実を言うと、昨日も同じ様なことがあったんです。昨日は、疲れていたから曖昧にしちゃったんですけど、今思えば、昨日も洗ってない食器があったはずなんですけど……」

「……分かったわ。誰かいないか、とりあえず、確かめましょう」

 管理人はそう言って、愛理の部屋のドアノブを握る。

「開けるわよ?」

 愛理は、頷いて、許可を出す。

 そして、ドアが開かれ、愛理たちは中に入る。

 慎重に、愛理と管理人は、部屋の中を探した。

 まず、愛理は風呂場を調べるが、異常はなかった。

 管理人もトイレを調べたが、やはり、異常はない。

 次に、二人はリビングに移動し、管理人が、ベッドの下を確認する。

 愛理は、クローゼットの中を見る。

 どちらにも異常はないようだ。

 しかし、またも、愛理は違和感を覚えた。

(なんだろう、何か、おかしい、気が……)

 愛理が、考えていると、ベランダを調べてきた管理人が、愛理に話しかける。

「愛理ちゃん、誰もいなかったわよ」

 そう、告げられた愛理は、納得がいかなかった。

「じゃ、じゃあ、何で、茶碗が……」

 洗われていたの、と言おうとする愛理に、管理人は、心配そうに、

 「愛理ちゃん……きっと、疲れてるんだよ」

 と、愛理の両肩を掴んで言った。

「つ、疲れて、る?」

「そうだよ。遅くまで、練習したりしてるんだろう? 気付かないうちに、疲れがたまっていて、ちょっと神経質になってるんだよ」

 管理人は、愛理を納得させようと、優しく、諭すように語りかける。

「今日は早く寝て、明日は休みなんだしゆっくり過ごしたほうがいいわ」

 愛理は、否定したかったが、現に、誰もこの部屋には、潜んでいなかった。

 そして、もしかしたら、本当に疲れているのかもしれないとも思い出した。

「そ、うですね、疲れているのかもしれません……」

「そうよ、愛理ちゃん。あなたは頑張り屋さんだから、疲れをためこんじゃってるのよ」

 ついに、愛理は、納得できないままではあるが、管理人の話を受け入れた。

 そして、二人は玄関まで移動する。

「じゃあ、ゆっくり休むんだよ。……もう大丈夫だね?」

「は、い、ご迷惑をおかけしました」

「気にしないの! 学生なのに一人暮らしなんて、ストレスも疲れもたまるんだから、仕方ないわよ」

 管理人はそう言ってドアを開け、

「じゃあね、おやすみなさい、愛理ちゃん」

 と言って、出て行った。

「おやすみ、なさい……」

 愛理も、小声ながら、そう答えた。

 そして、愛理は、ふらふらとリビングに向かう。

(疲れてる……そうなのかもしれない……もしかしたら、無意識にいつの間にか、洗ってたとか……)

 愛理は、しばらく、そんなことを考えながら、リビングで立ち尽くしていた。

(そうだ、疲れてるんだ……明日は休みだし、今日はもう寝てしまおう)

 愛理は、実は納得し切れていない自分自身を、むりやり納得させる。

(気のせいだ、気のせいなんだ、早く寝て、疲れをとろう……)

 そして、何気なく、ベランダの方を見た。

 自分の疲れた顔が、ガラス戸に反射して、映っていた。

(……っ!)

 愛理は、先程感じた違和感の正体に気付いてしまった。

 最初に帰宅して、ガラス戸の施錠を確認したときには気付かなかったこと。

 管理人と、先程、不審者の捜索をしたときにも、気付かなかったことに、今、気付いてしまった。

 愛理は、クローゼットを、もう一度、確認する。

 そこには、

 登校時には、ベランダに干していたはずの洗濯物が、収納されていた。

(っ!取り込んでない! 私は、絶対に取り込んでない! 帰ってきたときには、ベランダに近づいてもいない! 学校に行くときに干したのは間違いないのに! 何で!?)

 帰宅したときは、茶碗のことで頭がいっぱいで気付かなかった。捜索のときには、ベランダを管理人が探していたので、気付かなかった。クローゼットを探したとき、違和感はあった、しかし、気付けなかった。

 そして、今、気付いてしまった。

(誰かが、取り込んだんだ……)

 愛理は、またも恐怖に震えた。

(ど、どうしよう……)

 得体の知れないものが、近くにいるかもしれない恐怖の中、愛理はなんとか思考する。

 管理人をもう一度頼るか?

 否、今さっき、疲れのせいだと断言されてしまった。もう一度頼っても、同じことを言われるだろう。

 警察を頼るか?

 否、現状では、物理的な被害がない上、証拠もない。管理人と同じように、疲れのせいにされるか、相談しても、捜査はしてくれないだろう。

 じゃあ、誰を頼れば、いいのだろう?

 分からない。分からない分からない。分からない分からない分からない。

 愛理は、混乱した頭を抱えて、その場に座り込んでしまう。

 そして、思わず、声に出してしまう。

「っ! 誰か、たすけてっ……!」


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