ロマンスは突然に
その日から、王宮は物々しい空気に包まれていた。
エルステラから届いた、残酷な招待状。
それを受け、軍議を終えたルキウスは、エルステラの魔術師たちへの対抗策として帝国魔術師団の半数を率いることを決めたらしい。
加えて同行するのは、彼が信頼を置く腹心の騎士たちのみ。
─────少数精鋭。
敵の懐へあくまで穏便に飛び込むには、それが最善だと判断したのだろう。
王都からフィレンツェ領までは、魔術で飛べばそれほど時間はかからない。
けれど、これから向かうのは味方の領地ではない。
エルステラとの境界に近いフィレンツェは、いつ戦場になってもおかしくない場所だ。
だからこそ、移動中の魔力を温存するため、今回は馬で向かうことになった。
問題は、馬を飛ばしても四日はかかる距離だということ。
エルステラから指定された期限まで、残された時間は七日。
つまり、移動だけでほとんどの猶予を使い切ってしまう。
帝国魔術師団も、ルキウスも、今頃は出発に向けた準備に奔走していることだろう。
……だろう、と伝え聞いているだけなのは。
私が部屋に軟禁されているからである。
かつての軟禁は、もっと物理的なものだった。
ヴェリアルによって足の感覚を奪われ、歩くという手段そのものを封じられた軟禁。
けれど今回は違う。
間違ってもエルステラ行きの馬車に潜り込んだりしないように、部屋の前を二十四時間体制で誰かが見張っている。
ただ、扱いは格段に優しい。
退屈しないよう、書庫からまだ読んでいない本を山ほど運び込んでもらったし、城のメイドたちは私の好きなケーキと紅茶を用意してくれる。
まるで軟禁という名の優雅な長期休暇だ。
……ただし、扉の外には常に見張りがいるけれど。
(ルキウス様のやることは正しい。何故なら、私は本当に馬車に潜り込もうとしていたから)
時折、監視役として見知った人たちが送り込まれてくる。
そして口を揃えて言うのだ。
余計なことはしないように。
大人しくしているように。
絶対にエルステラへついてこようなどと考えないように。
……耳にタコができるほど聞かされた。
「……ふふ。駄目よ?」
そして、いよいよ出発を明日に控えた夜。
今日の監視役は、どこまでも笑顔のお姉様・ルチアだった。
部屋には、二人きりのためにフルコースの食事が用意されている。
こうして姉妹だけで食卓を囲むのは、随分と久しぶりだった。
「……お姉様」
「駄目よ?」
「領地への帰り道に、少しだけ荷物に紛れ込ませてもらうとか……」
「公爵令嬢が荷物に、ですって?」
呆れたように眉を下げたルチアが、白ワインを一口飲んだ。
「大体、皇太子殿下から『あなたの無茶を止めるように』と派遣された相手に、よくそんなことを頼めるわね」
「うう……」
スっと目が細められる。
訪れそうなお説教モードを回避すべく、私はルチアから目を逸らした。
「そもそもどうして、そんなにエルステラに行きたいの?」
心臓がドキリと跳ねた。
根底にあるのは、戦争を止めたいという想い。
大事な人達が争うのを止めたい。
その為の手段として、私はミルヒオールとの賭けに勝たなければならない。
そして。
あんな残酷な手段を選ぶようになってしまったエルステラを……。
ヴェリアル・クレミア・ルーファスを、知らなければならない。
向き合う覚悟が出来たから、なんて綺麗事は言わない。
けれど私はこの賭けに勝つためのヒントを少しでも探すべく、ユリウスにお願いして6年前に元の場所に隠してから一度も開かなかった父の日記を持ってきてもらった。
「……見たいんです。今、この世界がどう歪んでしまっているのかを」
……日記は、誰かの都合の悪いところは読めないようになっていた。
あるページはぐちゃぐちゃにペンで真っ黒にされていて、あるページから先は何度読んでも、頭に全く内容が入ってこない。
恐らく、認識阻害の魔術が掛けられていて。
これ以上先に踏み込むなと、誰かに止められているみたいだった。
読める範囲で日記に出てきたのはほとんど、ヴェリアルとユーティオティアスの話。
アルカの日記はヴェリアルとユーティオティアスへの愛情が綴られていた。
それを読んで、純粋に思ったのだ。
(今のパパがエルステラを知ったら、悲しむだろうなって……それに)
なんだかますます、彼らのことが分からなくなってしまったのだ。
私の知ってるヴェリアル・ルーファス・クレミア。
そして、ユーティオティアス・ソフリファスという魔術師たちは、何を考え、何を見て何を感じて生きているのか。
賭けだけの為じゃない。
純粋に、友として知りたいと……知らなきゃいけないと、思ったのだ─────。
「……女の子は暖かい部屋でお茶を飲みながら刺繍をして、子供を産み育てていればいい……」
「……っ」
「なんてことは、言わないわ」
時代遅れだもの、とルチアは柔らかく笑う。
その瞳には宿っているのは、単なる優しさだけではない。
彼女の覚悟と力強さが確かに、そこにある。
「エセルリード公爵家は、誇り高き騎士の家ですもの。あなたは私の可愛い妹。だから、あなたも自分の信念のために戦おうとしているのでしょう」
「……お姉様」
「でも……今回は流石に、危険すぎるわ」
「…… 一応、策はあります」
「私に説明出来て?」
「……いいえ」
「…………ねえ、アディ?そんな悲しい顔をしないで」
ルチアは、困ったように目を細めた。
(彼女が心配してくれているのが、伝わる。申し訳ない……。アデラインならきっと、こんな事で家族を心配させることはなかったのに)
「可愛い妹。また遠く離れてしまうけれど、もし今後貴方が何かに困ったら、フィレンツェに手紙を寄越してちょうだいね。貴方の味方は、ちゃんといるのだから」
私は微笑んだ。
上手く笑えてるか分からなかったけど、微笑んだ、つもりだ。
ルチアの愛情は血の繋がったアデラインに向いていて。
でもわたしは、本物のアデラインじゃない。
だから本当はこの温かい優しさを受け取る権利はないのだけれど。
「……ありがとうございます、お姉様」
それでも私はその言葉が凄く嬉しくて。
込み上げる何かをルチアに知られる前に、笑顔で蓋をした。
楽しいディナーの時間はあっという間に過ぎ行く。
暖かな紅茶を飲みながら、私たちは久しぶりに他愛もない話をした。
フィレンツェの珍しい食べ物。最近王都で流行ってること。
その中でも一番盛り上がったのは、やはり恋の話。
ルチアとフィレンツェ辺境伯────ロアの馴れ初めだった。
「それで……ロアが言ったの。私は君を、生涯愛すだろうって」
頬をほんのり赤く染めながら、ルチアが微笑む。
時は数年前。エルステラと共和国は戦争の真っ最中。
共和国に最も近いフィレンツェは危険な土地で、二人はルチアが輿入れするその日まで、まともに顔を合わせたことすらなかった。
そして、運命の日。
領主の屋敷へ到着し、馬車から降りたルチアを待っていたのは、フィレンツェの破滅を企む悪漢だった。
突然の襲撃。飛び散る血。
そして。
妻を守る為、返り血で真っ赤になってしまった夫の手を取り……ルチアは微笑んだという。
(未来の夫に一番最初に笑顔を見せたかったの、なんてお姉様は言うけれど……きっとそれはフィレンツェ辺境伯にとって、文字通り恐ろしく美しい光景だったのでしょうね……)
そして、二人が初めて交わした言葉こそ、
『私は君を愛するだろう』だったなんて。
あまりにも御伽噺じみていて。
「素敵……」
うっとりと呟くと、ルチアが照れたように笑った。
穏やかな夜だった。
戦争のことも。エルステラのことも。賭けのことも。
全ての重圧をほんの一瞬だけ、全部忘れられるような。
だから────まさか、この直後に自分へ爆弾が落とされるなんて思っていなかった。
「……それはそうと、アディ」
「なんですか?」
「皇太子殿下からの求婚に交換条件を出して破談になったってお父様が嘆いていたわよ」
「げほっ、ごほっ……!」
私は飲んでいた紅茶を盛大に噎せた。
まさか、この話に飛び火するとは。
「ご、誤解です!」
「皇太子妃になるかと聞かれたのでしょう?」
「それは、その……でも結局のところ、私にエルステラ行きを諦めさせるためにそう言っただけで……」
「あれこれ言わずに妃になると言えばよかったのに」
「え?」
当然、と言わんばかりのあまりにもあっさりとした口調に、思わず目を瞬いた。
「だってそうでしょう?頷けば、今後も付きまとう婚約者問題は解決。あなたはこの国の皇族になって、エセルリード家は安泰」
ルチアは優雅に紅茶のカップを置くと、指を一本ずつ折りながら続ける。
「しかもエルステラに行ける。貴方の希望はほぼ叶うでしょう?」
「それはそう……ですけど」
「何が不満なの?」
「国母になる覚悟なんて……ない、です。それに、そもそもあれは悪ふざけとかの類で」
だって、どう考えたってあり得ない。
本気で、皇太子である彼が、私に求婚した、なんて。
そんなこと、あるはずがないのだから。
(そんなの、いつもの性格の悪い冗談に決まっている)
悪ふざけ。
そう分かっていた上で、その話に乗ろうした。
いつまでも結婚しようとしない彼の冗談に乗って交換条件を出して。そうしてもし、戦争を止められる可能性があるのなら、試してみようと思って。
どうせ、本気じゃないと思って……。
そう結論づけようとして、ふと気づく。
……彼は、嘘だと言わなかった。
(……本気じゃない、のに)
考えれば考えるほど、答えは出ない。
私たちは、変わった子供と、変わった皇太子。
昔から、何かと意地悪をされて、振り回されて。
……ただ、それだけの関係のはずなのに。
「まあ、あなたがそう思いたいのなら、無理には言わないけれど」
ルチアは意味ありげに微笑んだ。
「ただ、殿下のお気持ちまで、あなたの都合で悪ふざけにしてしまうのは、少々お気の毒ね」
「お姉様……!」
反論しようとした、そのときだった。
廊下の向こうから、にわかに人のざわめきが聞こえてきた。
複数の足音。慌ただしく交わされる声。
その気配に気づいたルチアが、ふっと口元を緩めた。
「噂をすれば、なんとやら」
「え?」
問い返す間もなかった。
次の瞬間、扉がノックもなく開かれる。
この王宮で、そんな無作法を許されている人物は限られている。
そして、その人物が誰なのかを確かめる必要もなかった。
「アデライン」
「はっ……はい」
黒髪の皇太子が、こちらを見つめる。
その表情からは何を考えているのか分からないけれど、彼の視線が私を捉えた瞬間、なぜだか心臓が跳ねた。
「……ルチア嬢。悪いが、彼女と少し二人きりにしてくれないか」
「あら」
ルチアは目を丸くしたあと、すぐに楽しげな笑みを浮かべた。
「レディを追い出すだなんて。ずいぶんなお願いですこと」
「そう言われると、返す言葉もないな」
「では、貸しにしておきますわね」
「随分と大きな借りになりそうだ」
「まぁ、よくお分かりで」
皇太子を相手にしても、ルチアは一歩も引かない。
そんな彼女のやり取りを前に、私はただ、所在なく視線をさまよわせるしかなかった。
やがてルチアは席を立ち、私の頬にそっと口づけた。
「お休み、アディ」
耳元で囁かれた声は、ひどく楽しそうだった。
……絶対に、面白がっている。
抗議する間もなく、ルチアはひらりと踵を返し、部屋を出ていった。
扉が閉まり、静寂が落ちた。
つい先ほどまで、あれほど賑やかだった部屋が、嘘のように静まり返っている。
そして─────。
私は、ルキウスと二人きりになってしまったのだった。




