アルカ・ラヴィアンジュの日記 2
今日は数人の魔術師を連れて、ソフリファス公爵家へと向かった。
ソフリファス侯爵家に魔術師が誕生したのは、歴代初めてのことだと言う。
……実際のところは、魔術師だと分かった段階で殺していただけだろう。……ここはそういう世界だから。
ただ彼が生かされている背景には、王家に生まれた魔術師────ヴェリアルが関係しているのだろう。
ヴェリアルが、何かの間違いで力を持った時。
その侍従として、ソフリファス侯爵家が甘い蜜を吸えるように。
彼は、質素な別棟の、暗く閉ざされた部屋の中にいた。
ヴェリアルの時よりは環境はまだましだが、子どもを育てるにふさわしくない環境であるのは間違いない。
彼は、小さな天窓からずっと外を見つめていた。
おもちゃも、絵本もない。友達もいない。
ただ、知識だけが与えられていた。
感情を知らぬまま。笑い方も、遊び方も知らぬまま。
いつか呪われた王子に仕えるために育てられた子ども。
私は、その小さな背中にそっと手を触れると、肩が僅かに跳ねる。
驚いたように振り返った彼の瞳は、髪と同じ栗色だった。
「……やあ、ユーティオティアス」
その名前を呼ぶと、彼は不思議そうに私を見上げた。
「ここは魔術を学ぶには少しばかり不向きだ。もっと、心躍るような場所で始めようじゃないか」
連れて帰ってきたユーティオティアスは、ヴェリアルの姿を見るなり、迷うことなく傅いた。
「お初にお目にかかります、ヴェリアル殿下」
小さな身体。小さな手。
けれど、その動きには妙なほどの迷いがなかった。
それがソフリファス家によって、ヴェリアルに仕えるようにそう刷り込まれた結果なのだということは、すぐに分かった。
最初は分け隔てなく、友達のように。あるいは兄弟のように育てようとした。
それでも。
命じられれば、嬉しそうに駆けていく。
褒められれば、もっと嬉しそうに笑う。
ヴェリアルもまた、それを当然のこととして受け入れている。
どちらが悪いわけでもない。
ただ、大人たちが二人にそういう関係しか与えなかっただけだ。
だから私は、この小さな子どもたちの歪な主従関係を無理に壊すことはしなかった。
いつか彼ら自身が、その関係の形を選べるようになるまで、ただ見守ることに決めたのだ。
魔術師。
呪われた生き物。
そう虐げられ、この世の暗闇ばかりを眺めてきた彼らがほんの少しでも幸せを得られるように。
「わ……!」
魔術を見せると、ユーティオティアスの瞳が大きく見開かれた。
「アルカ。これはなんの魔術ですか?」
「ふふ。何もない場所から、キャンディを生み出す魔術さ」
小さな手のひらに、色とりどりのキャンディが落ちる。
「すごい……!」
けれど。
「……嘘」
隣から、呆れた声が飛んできた。
「副団長の部屋から盗んできたんでしょう。また怒られるよ、アルカ。ほら、足音」
「えっ」
しまった。
どうやら私には先生としての才能があるらしい。
ヴェリアルは、すでに私の術のカラクリを見抜いていた。
遠くから聞こえてくる、規則正しい足音。
私は慌ててキャンディを隠した。
「……二人とも、逃げようか」
「逃げるって……アルカ!待ってください!」
「ふふ、こうなると思った」
そんなくだらないことばかりをしていた。
魔術に誇りを持つものからすればくだらない、子供だましだと馬鹿にされてしまいそうな奇跡ばかり彼らに見せたものだ。
けれど彼らの年頃の子供たちには、冷たい剣よりも甘いキャンディを与えたかった。
笑う理由を、楽しみにできる明日を。
そんなものを、少しでも知ってほしかった。
それはきっと私のエゴだ。
本当なら僕の子どもにしてあげたかったことを、彼らにしてあげていただけなんだ。
ねぇ、名前も知らない僕の天使。
君に会えるようになったら、2人の兄を紹介するよ。
1人はとても真面目で、繊細な子。けれど眼鏡の下に熱い情熱を持っているから、勉強を教えてもらうといい。
きっと君のためになる。
そしてもう1人は、何でも出来る優秀な子……のように見えて、とても寂しがり屋なんだ。
男の子か、女の子かまだ分からない。
けれどどちらにせよ、可愛い君の存在を知ったら、兄としてきっとその手を離さないだろう。
だから……たくさん話してあげてほしい。
君の綺麗な瞳が映し出す、綺麗な世界のことを。
この世界には、まだ、こんなにも美しいものがあるのだと。
いつか、君自身の言葉で教えてあげてほしい。
その日が来るまで、僕はやれることは全てやるつもりだ。
────ここから先、数ページにわたり、記述がぐちゃぐちゃに塗り潰されている。
「アルカ」
「なんだい」
「何処へ行くの」
「南の貧民街へ」
「こんな夜に、何をしにいくんですか……?」
私は少しだけ考えてから、笑った。
「仲間探し、だよ」
決して帝国を裏切る為ではない。
……少なくとも、最初は。
この帝国に生まれ落ちた魔術師たちの行き先は、あまりにも少ない。
殺されるか、売られ搾取されるか。
売られた先が神殿なら、その命尽きるまで他人の傷を癒す薬箱として使われ。
帝国魔術師団ならば終わりの瞬間まで、国を護る盾として使われる。
そして、ほんの少しのきっかけで永遠に地下を彷徨う亡霊となる。
どこへ行っても地獄。
富むものも貧しいものも、病めるものも健やかなるものも。
魔術を使える身体で産まれてきてしまったからには、その運命からは逃れられない。
ならば出来るだけ自分の手の届く範囲に置いておきたかった。
魔術は、呪いではない。
己を守る唯一の手段。
魔術師ならば、傷を癒せる。
魔術師ならば凍えて死んでしまいそうな夜でも、火を灯せる。
それを、一人で苦しんでいる同胞達に伝えたかったから。
いつかきっと、魔術は祝福なのだと。
そう言って笑えるように。
そうして力を合わせて生き抜けばいつかきっと、特区なんてものを廃止出来るんじゃないか。
空のない地獄から、君と、君の天使を救い出せるのではないか。
「ヴェリアル、ユーティオティアス」
「なぁに、アルカ」
「はい」
魔術師の多い南の村。
飢えた者たちには、ほんの僅かだが食料を配る。
怪我をした者たちには、私たちが魔術を施す。
帝国に謀反の意ありと目をつけられないように。誰にも見つからないように。
それでも……私たちがしていることは、小さな反逆なのだろう。
国はきっと、魔術師が自分の気持ちで動くことを良しと思わないから。
村を離れる前、私は二人の少年を振り返った。
「君たちが、同胞たちを守ってやるんだよ」
ヴェリアルが、真っ直ぐに私を見る。
ユーティオティアスも、その隣で静かに頷いた。
「魔術師は、決して劣った存在なんかじゃない」
そう言って、二人の頭にそっと手を置く。
「誇りに思いなさい」
彼らは、きっと優れた魔術師になるだろう。
才能もある。
学びたいという意欲もある。学べる場所もある。
歴史に名前を残す魔術師になる。
だから。
だから、私は彼らに────────。
──────ここから先。
認識阻害の術がかけられている。




