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笑顔

少しホラー展開あります。ご注意ください。



 地下牢獄は、血の匂いで満ちていた。


 決して道を間違えた令嬢が迷い込むことのないように、その入口は昼夜問わず複数人の衛兵によって監視されている。



「道を間違っていますよ、レディ……」


 

 背格好だけを見れば、最初は誰もがそう思ったのだろう。


 こんな場所に、ひとりの令嬢がいる。


 それだけで、あまりにも場違いだ。

 


 けれどきっちりとひっつめた髪や特別に誂えてもらった黒い軍服。そして胸元に光る皇太子直属部隊のブローチを見るやいなや、衛兵たちから敬礼が返ってくる。

 


 私は小さく頷き、螺旋状の階段を踏みしめるように降りていく。



 下へ。さらに、下へ。


 降りるほどに、血の匂いが濃くなる。

 鉄臭さに混じって、何かが焼けたような臭いまで漂ってきた。

 


 途中、顔見知りの魔術師団員が階段に伏せっているのを見つけた。

 

 まだ年若い青年だ。

 彼の顔は真っ青で、肩が小刻みに震えている。


 私はポケットから小さな水筒を取り出した。

 


「平気?お水でも飲む?」


「公爵令嬢……?!どうしてここに」

 

「皇太子殿下に許可をいただいたの。本当よ」


「いけません……!あんなものを……」


「……あんなもの」


 

 そう言葉を返した瞬間、彼の顔からさらに血の気が引いた。


 あんなもの。

 想像は、つく。


 このやり取りを聞きつけてやってきたのは、よく見慣れた傾国の魔術師だった。


 

「アデライン様……!」


「ユリウス」

 

「申し訳ございません。お傍を離れてしまって」


「当然のことよ。……状況は?」


「実行犯10名を全員捕縛、尋問中です」


 

 その黒い軍服には、目立った赤い汚れはない。

 けれどその身体からはおぞましい程濃い、死の匂いがした。


 

「お覚悟は」


「ええ」


 


 それはまるで、地獄へのエスコートだった。


 並ぶ牢獄には、新聞で見た事のあるような凶悪犯たちがずらりと並び、その刑が執行されるのを待っている。


 そしてその牢獄の更に先。


 他の牢とは明らかに空気の違う場所に、一枚の鉄扉があった。

 

 ユリウスがそれを開くと、錆びた、ギィィ───という耳をつんざくような音がする。



「……」



 ここに来る以上、決して悲鳴などあげないと決めていた。

 そうじゃなければただ見学にきただけの、お(・)嬢(・)様(・)になってしまうから。


 けれど想像していた以上の残酷さに、本能的に1歩後ずさる。


 

 そこで鞭をふるっていたのは、アゼル・ガイウス。

 その場には複数の第二騎士師団と魔術師団の団員がいて。

 そしてついさっきまで優雅にワルツを踊っていたルキウスと、私がここにいることに目を見開いている父・エセルリード公爵の姿があった。


  呻き声。

 

 悲痛な叫び。


 荒い呼吸。


 床に落ちた血。


 そこに満ちているのは、苦しみと死の気配だけだった。


 これはまさに、この世の地獄。


 

「……吐かなければ、これ以上のことをすることになる」


 

 ガイウス卿が淡々と言う。


 

「……だがしかし、ここにいらっしゃる皇太子殿下は寛容な御方だ。もし首謀者を語るというのなら、命を奪うことまではしない」

 

「っ……あ」


 

 ここへ来るまでにいったい、どれだけの策略が張り巡らされていたのだろう。


 私が到着した時には、すでに数人は事切れていた。


 ガイウス卿の甘言は、恐怖に支配された彼らへ差し出された、たった一本の蜘蛛の糸だったのだろう。


 そしてその男はついに、何かを話すことを決意した。


 

「い、命は……助けてくれ……」


「いいだろう」


 

 ガイウス卿が振り返り、ルキウスを見る。


 ルキウスは、静かに頷いた。


 ─────その瞬間だった。


 

 

「おえっ……」


 

 男が突然苦しみだし、喉を押さえた。


 

「どうした!」

 


 ガイウス卿が駆け寄る。


 男の身体が大きく痙攣したかと思うと────彼はゆっくりと顔を上げる。


 

 そこに浮かんでいた表情を見て、私は息を呑んだ。


 つい先ほどまで苦痛に歪んでいた顔が、まるで別人のように──────笑っていた。


 

 無邪気な笑顔だ


 サーカスを見て喜ぶ子供のような、何の曇りもない笑顔。


 この血と死に満ちた場所には、あまりにも不釣り合いなそれが、ぞっとするほど恐ろしい。



「……初めまして、皇太子殿」



 男は楽しそうに、にかっと笑う。

 いや、笑(・)わ(・)さ(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)。


 

 一目で魔法で操られていると全員が理解した。

 それだけの異変。


 

「この度、旧共和国領でエルステラ国の誕生を祝うパーティーをすることになりました!」



 明るい声。弾むような声音。まるで、歌うみたいに。


 

「ルキウス・アリュール・ルーファス殿下。是非、ご参加くださいね。両国の平和の為に!」



 その瞬間。

 

 既にこと切れていた兵士たちも、ぱっと明るい表情と共に顔を上げる。


 

「平和の為に!」


「この美しい世界のために!」


「必ず、お会いしましょう!」



 

 笑顔。


 笑顔。


 笑顔。

 

 

 あまりにも残酷で、あまりにも狂っている。


 背筋を、冷たいものが這い上がった。

 


 

「……あまりにも馬鹿げた連中だ」


「……全員事切れています。……首謀者は言うまでもありませんが」



 ガイウスが静かに答えたその時、最後に死んだ侵入者の口から、泡とともに何かが零れ落ちた。


 よく見るとそれは羊皮紙で。


 ルキウスが拾い上げると、二つ折りにされた紙を彼は無造作に開く。


 

「……七日後」


 紙面に記された日付を睨む。


「フィレンツェと共和国間の国境で待つ、と。ご丁寧に地図まで付いている」

 

 

 苦虫を噛み潰したような顔でそう告げた。

 

 

「……行くしかないだろうな。そうしなければ、事態は進まない」


「……あまりにも悪趣味なパーティへの招待状ですね」



 ユリウスは、目を見開いて苦しそうに死んでいる侵(・)入(・)者(・)で(・)あ(・)っ(・)た(・)も(・)の(・)達(・)の瞼をそっと閉じてあげる。

 

 その言葉には、いつも感情の揺らがない彼にしては明らかな怒気が込められていた。

 

 

「パーティと。そう銘打っているのであれば、あまりに武装して行く訳にもいかないでしょう。かえって開戦の理由を与えてしまう」


 

 この中で最も戦場を知るエセルリード公爵が低い声で続けた。


 

「なら、開戦すればいい」


 

 ルキウスが笑った。


 その笑顔を見て、私は息を呑んだ。


 

「共和国との戦争で疲弊しているのはエルステラも同じだ。ならば兵を連れて、パーティとやらに参加してやろうではないか」


 

 よく知っている彼の、知らない顔。


 ───冷たい。酷く冷たい。


 まるで、人の命など盤上の駒としか思っていないような、そんな顔。



 (知らない、人みたい)



 

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