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悪人の罪



「アディ」

 

「お父様!」

 

「入ってもいいかな。……ああ、綺麗だね」


 

 

 重厚な扉の前に立っていたのは、白髪混じりの黒髪を端正に揺らす壮年の男性。

 

 我が父(・)エセルリード公爵だった。

 穏やかな微笑みとともに、深い愛惜の皺が目元に浮かぶ。

 かつての面影を残したその姿は、いつの間にか16年という確かな年月をその身に刻んでいた。

 

 彼がそっと差し出した大輪の薔薇の花束からは、芳醇で気高い香りがふわりと広がった。

 

 薔薇は好き。

 

 きっとそれは息の詰まる特区の冷たい閉塞感から這い出て、初めて自分の手で種をまき、命を芽吹かせた記憶がその花と共にあるから。


 ふたりを包む沈黙を破るように、エセルリード公爵はかすかに眉をひそめた。


 

「にしても、皇太子殿下はあまりにも無遠慮だな。本当に、嫌な思いをしていないか?」

 

「ふふっ、良くしてもらっています。無遠慮なのは否定しませんが」


「それなら良いが……」


 

 冷えた大理石の床に靴音が重く響く。

 改めてエセルリード公爵は、私の姿を上から下まで慈しむように……そしてどこか切なそうに見つめた。


 

「やはり、マダム・デュボワのドレスは良く似合う」

 

「凄く素敵です。用意してくださってありがとうございます」



 このデビュタントの時期に、王都の貴婦人たちがこぞって憧れるマダム・デュボワのドレスなんて、手に入れるのがどれほど困難かなんて想像に難くない。

 

 裏でどれだけの苦労や根回しがあったのだろう。

 

 こんなにも素敵なドレスを私に誂えてくれたことへ心からの感謝を伝えると、エセルリード公爵は少しだけ困ったように眉を下げて、目を伏せた。



「いや、これくらいしかお前にしてやれる事がなかった……。お前は急に大人びて、王室に目をつけられてしまったから。本当はもっと穏やかな場所で、のんびりと育ててやりたかったのに……」

 

「ありがとうございます。でも、王宮も……穏やか、では無いかもしれませんが、素敵なところでしたよ」


 

 嘘偽りのない言葉だった。

 

 ア(・)デ(・)ラ(・)イ(・)ン(・)としての運命を思えば、自身の虚弱体質の根源が呪術にあると突き止められただけでも、途方もない前進だった。

 

 まだ解呪は出来ていない。


 夜の帳が降りる頃、身体を焼かれるようなあの強い発熱が、身悶えるほどの痛みを伴って身体を襲うこともある。

 

 それでも、以前に比べれば幾分か頻度も減って、楽になっていたのは事実だ。


 

 ……それに、身体の事だけじゃない。

 ずっと家にいるだけでは得難い出会いも、たくさんあったから。

 


 

 微笑む私に安心したような表情を浮かべ、エセルリード公爵は窓辺に設えられた重厚なソファに腰掛けた。

 

 その温かな掌で隣の座面をポンポンと叩き、私を優しく促してそこに座らせる。

 

 窓の外では登城し始めた貴族たちの楽しそうな声が響いていた。

 


 

「デビュタントの前に1つ、話をしておこう」

 

「はい」

 

「この話は、ルチアにもしている。1人の大人として、お前にも聞いておいてほしい」



 

 光の差し込む美しい部屋の中で、エセルリードの表情が一段と真剣なものに変わる。

 

 その緊迫した空気に煽られるように、室内の気温がぐっと冷えたような気がした。


 

「エセルリードは騎士の家だ。元はといえばただ爵位のあるだけの貧乏貴族。それがどうして公爵位を与えられたかというのは、皆に知られた話だ」

 

「シャーロット・ラヴィアンジュを討ったから、ですね」

 

「お前はそれをどう思う?」

 

「どうって……?お父様はすべき事をしただけです」


 

 だって、あれは私が頼んだこと。

 そこにエセルリード自身の野心や意思など、初めから存在しなかった。


 

 あの時、心臓を止めた目的は孤独のダイヤモンドの破壊。

 けれど、彼は……エセルリードは決してエルステラの非戦闘員達に手を出さなかったと知っていたから。


 その気高さを知っていたからこそ未来を託して、シャーロット・ラヴィアンジュの命を踏み台にしてほしかった。


 それが私の願いだったから。

 


 

 エセルリードはずっと、遠くを見つめている。

 

 そしてぽつりと、まるで本音じみた声色で、彼は小さな真実を漏らした。


 

 

「後悔しているのだ」

 

「……え?」




 

 凍てついた部屋の中で、まるで時が止まったかのように感じられた。


 

「……父様は罪を犯したのだよ。だからその報いを、これから受けなければならない。必ずだ」

 

「ど、どうしてそんな事を……」



 

 どっと、冷や汗が背筋を伝う。

 せっかくのマダム・デュボワのドレスが。

 メイド達に綺麗にメイクをしてもらったというのに。


 

 (後悔?…………どうして?)


 

 一人で死ぬことも出来た。

 

 それでも、折角命を捧げるのであれば……少しでも世界を良くする方へ、身を投じようと思った。

 ここで帝国がシャーロット(天災)を殺しておけば、エルステラに傾いたパワーバランスが戻る。

 それなら、帝国の中でも善人を選ぼうと────。


 

 

 震える私をどう察したのか、エセルリードは力強く抱きしめる。

 その腕は、残酷なくらい温かい。



 

「いいかい、アデライン。今後、帝国とエルステラは戦になるだろう。そしてその結果は……どうなるかは分からない。ただ、ヴェリアル・クレミア・ルーファスはお前やルチアを狙うかもしれない。何故ならお前達が大罪人の娘だからだ」


 

 大罪人。

 ただ真っ当に生きてきたはずの彼に、私が背負わせた彼(・)の罪。


 

「そうなったら、私の首を差し出しなさい」

 

「……それ、お姉様はなんて言ってましたか?」

 

「戦って死ぬ、と。……困った子だ」


 

 聞かずとも想像がついた。

 ルチアなら、迷うことなくそう答えるだろうと。

 何故なら彼女もまた、愚直なまでに善人だから。


 

「何故……何を後悔されているのですか……?お父様は、すべきことをしただけ……」

 

「アデライン……命を奪う、というのは……その影響は、その人間に限った話ではない。彼女がこれから救った命の全ても、消え失せる」


 

 私が、かつて彼女の代わりに救うはずだった……命。


 勿論、あのままシャーロットであったなら、私はエルステラの未来のために全霊を注いだだろう。

 

 道で飢えに怯える子供たちがいなくなるように。

 虐げられ、声なき声を殺す魔術師たちが、心の底から笑える世界になるように。

 

 けれど───私はベルを止めなければならなかった。

 彼の底知れぬ暗い闇を祓う手段が、他にどうしても思いつかなかったから。

 だからこの身をもって、ベルを止めた───つもりだった。



 

「知っていたのだよ。シャーロット・ラヴィアンジュは悪人ではない、と。何故なら、エルステラに生きる者たちは幸福そうな顔をしていたから」

 

「……っ」

 

「あの時、殺さなければ……この世界は、もう少し違う形をしていたかもしれない、なんて。仮定の話をしても仕方がないがな」


 

 ぽん、とエセルリード公爵は冷えた私の頭を慈しむように撫でた。


 

「話はこれだけだよ、アデライン。すまないね、大切な日に。……もう君は大人だ。だから、その判断は君に任せよう」


 

 そう言い残して立ち去った後、部屋には重苦しい沈黙だけが残された。

 

 エセルリードの配慮だったのか、少しして、控えめなノックとともにメイドが静かに紅茶を運んできた。


 

「貴方がそんな風に苦しんでいるなんて、思わなかった」


 

 カップから立ち上る湯気を見つめながら、私は誰にも聞こえない声で呟く。


 

「……ごめんなさい、エセルリード」


 

 これは私の罪。

 いいえ、こ(・)れ(・)も(・)私(・)の(・)罪(・)。



「アデライン様、そろそろお時間です」



 

 どれくらい時間が経ったのか、ドアがノックされた。

 開けると、帝国魔術師団の制服に身を包まれたユリウスがそこにいた。

 月の光を宿したような眩い美貌が、ドレス姿の私を捉えた瞬間、かすかに憂いを帯びて曇る。


 彼は私をドレッサーの前に連れ出すと、丁寧に口紅を塗り直してくれた。

 鏡に映る自分の桜真珠のように整えられた唇から、赤いものがじわりと滲み出ていた。


 ああ、痛いと思ったら……唇を噛み締めていたのね。

 



「貴方が背負ってる運命の重さを知っている私からすると、こんな言葉はなんの慰めにもならないかもしれません」



 青い瞳は、視線が唇だけに集中する。

 目が合わないということが、この瞬間は何故か少しだけ心を穏やかにしてくれた。


 

「それでも、私は貴方に救われた一人です。どうかその重荷を共に背負わせてください」


「……」


「駄目ですよ。折角メリーアンが綺麗にしてくれたのでしょう。……泣いたら」


 


 あの日、一人の青年に背負わせた重荷。


 自分1人で背負わなけれないけない、業。


 わかってる。誰かに頼るなんて、間違ってるって。


 これは私が始めた物語だ。


 ……けれど今は、ユリウスの優しさが痛いくらい眩しかったのだ。

 


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