sideエルステラ 死を告げる天使
共和国首都・アンミシェル。
首都は壊滅していた。
人々の営みは無理やり奪われ、街は焼かれ、人々は逃げまどう。
共和国の侵略というフルコースのデザートは、最高会議場での籠城戦だった。
そして、最も奥の閉ざされた部屋の中。
ついにそこまで、彼の刃が届いた。
「っ、最早、ここまで……か」
白髪の男──首相ニア・メーデイア。
彼の不幸は、ただ1つ。
ヴェリアル・クレミア・ルーファスと同じ時代に生まれ落ちたことだった。
「メーデイア首相。随分と、貴方は強敵でした」
ぱちぱち、と乾いた拍手を送る。
作り物のように整った美しい顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいた。
それは、何も知らない人間が見れば慈愛に満ちた天使と評されるだろう。
「共和国はどうしてここまで強いか? それは、魔術師をモノとして徹底的に管理したからなんですね。その強さは賞賛に値します」
それは決して、敗者をあざ笑う煽りなどではない。
エルステラは、共和国の圧倒的な戦力に苦しめられた。
実に、6年もの歳月をかけて。
魔術師を道具として使い潰す共和国の戦法は、同胞を大切に思うエルステラの者たちにとって悪夢そのものだった。
命を投げ打って特攻してくる敵の魔術師たちは、一様に目に生気がなかった。
だからこそ、ヴェリアルは彼らを救うことに決めた。
何故なら、彼らもまた同じ同胞だから。
そして──シャーロットならきっと、彼女なら彼らを助けると思ったからだ。
だからこそ、6年もかかったのだ。
「ヴェリアル・クレミア・ルーファス……死神め。この世界をどうするつもりだ? 冥界にでもする気か?」
不遜な物言いに、ヴェリアルの背後で控えていたユーティオティアスが殺気と共に術を放とうと指先を向けた。
「構わないよ」
「……はい」
ユーティオティアス・ソフリファス。
死神の右腕と呼ばれる男。
重厚なカーテンで閉ざされた暗い部屋にはもう、無惨な死体とメーデイアのほかに生きる者はいない。
それでもユーティオティアスは決して殺気を収めることはしなかった。
何故なら彼は、目の前の主の前でもうこれ以上、大切なものを何も失いたくなかったからだ。
対して、ヴェリアルからは何の感情も読み取れなかった。
怒りも、蔑みも、憎しみもない。
侵略者に相応しい黒い情動が、その瞳には一切存在しない。
それが、メーデイアにとって何よりも不気味だった。
ヴェリアルはかつ、かつ、と静かに靴を鳴らして近づいてくる。
「メーデイア殿。この世界を、どう思いますか?」
「……どう、とは?」
「汚れているでしょう?」
汚れ。
淡々と紡がれるその言葉が、これほどまでに理解できなかったことはメーデイアの人生で初めてだった。
ヴェリアルとの距離が、目と鼻の先になる。
メーデイアは脳裏で反芻する。
今まで共和国は幾度となく戦争をしてきた。
勝利を積み重ねてきた。
それでも戦争の終わりにはいつも、ほんの少しの虚しさが残った。
敗者には死を。勝者には名誉と、拭えぬ罪悪感を。
それが、人間たちの営む「戦争」というものではないのか。
それなのに、この男は─────。
「あまりにも汚いのですよ、全てが。だから、ちゃんと綺麗にしないと。そうじゃなければ、彼女をまた迎え入れることができない」
「……何を、言っている」
「安心してください。この世界を、今よりずっと美しく変えてみせる。だから……その命を、いただいても?」
この男には、罪悪感などない。
疑うことなく、本気で「善いこと」をしていると信じ込んでいる。
「……狂っているな」
「それは貴方たち、非術師の方です」
最後は、あまりにも呆気なかった。
ヴェリアルは魔力で強靭に鍛え上げられたその手で、まだ脈打つメーデイアの心臓を躊躇いなく掴み、引きちぎった。
─────これで、共和国は落ちた。
そしてまた、全てはここから始まるのだ。
「ヴェリアル様。お手を」
「ありがとう」
ユーティオティアスから差し出された純白のハンカチには、今まさに消えたばかりの命の温もりが、仄かに残り香のように映し出されていた。
「ヴェリアル様、お仕事は終わりましたぁ?」
「終わったよ。君の方は?」
「ちゃあんと此処で働いていた人間達は捕らえましたぁ。今はみんな、仲良く暗い牢屋に閉じ込めてまぁす」
「良くやったね」
ひょこっと古めかしい扉の隙間から顔を出したのはミルヒオールだった。
彼の顔は鮮血で染まり、その双眸が無邪気な光をたたえて瞬く。
ヴェリアルは、ミルヒオールに挽回の機会を与えた。
6年前、帝国の皇太子ルキウス・アリュール・ルーファスを彼は討ち損ねたからだ。
───本来ならその罪はヴィクトリアのものだったが、ミルヒオールが自らの失態だと頑なに譲らなかった。
だからこそヴェリアルは今回の共和国戦で、彼を最前線の最高指揮官として起用した。
そして彼は、その期待に見事応えてみせたのである。
「大勢いますけど、どーしますぅ?」
「時間が掛かっても、地道に調教していくしかないね。予定通り彼らには首輪をつけよう。少しでも牙を剥いたら、綺麗に吹き飛ぶようなやつを」
「わかりましたぁ。ならまぁ、先に魔術師たちの洗脳を解いて手伝って貰うのが良さそうですよねぇ。キリないですし。あ! 魔術師たちの保護はぁ、ちゃんとヴィクトリアに任せてまぁす。ご安心を」
「ああ。ヴィクトリアはもともと共和国の人間だ。同郷の者に寄り添われる方が、彼らも少しは安心するだろう」
エルステラが掲げた今回の戦いには、いくつかの決定的な目的があった。
ひとつは、魔術師たちの完全なる解放。
そしてもうひとつは、魔術師と非術師の地位の完全な逆転。
つまり、かつて共和国で魔術師たちが味わった底知れぬ屈辱と奴隷の境遇を、今度はそのまま人間の番として味あわせるのだ。
それがどれほど歪んだ正義であるか、この場に異を唱える者など一人もいない。
何故なら此処にいるのは狂った王様と、狂王に魂を捧げ、心酔しきった臣下たちだけなのだから。
ミルヒオールは足元に転がる、冷たくなったメーデイアの亡骸を興味深そうに見下ろした。
「それにしても、見事に心臓をくり抜きましたねぇ」
「その方が、死後の処置も綺麗にいくだろう?」
「はぁい。じゃあ、彼はちゃんとこちらで回収しておきますねぇ。これからも働いて貰わなきゃいけないですしぃ」
ミルヒオールはメーデイアの死体を軽々と俵担ぎにすると、その場で優雅に術を行使した。
それは魔術師の最高峰に位置する、無詠唱の空間移動術。
静けさを取り戻した最高会議場。
ヴェリアルは残された血痕を暫く見つめていたが、ふいに長い睫毛を伏せて立ち上がった。
「……どちらへ行かれるのですか?」
「エルステラへ」
「ヴェリアル様、まだ盛大な戦勝パーティーが控えていますよ……?」
「すぐに戻るよ」
ヴェリアルは、あらかじめ座標を固定していた転移陣に足を踏み入れ、一瞬にして数百キロ離れたエルステラへと姿を消した。
人の気配が完全に絶たれた、古い館の地下。
全ての────彼と彼女の、運命の始まりの場所。
「……ただいま、シャーロット」
地下へ続く長く冷たい階段は、まるで彼の走馬灯のように、かつての鮮やかな記憶を甘やかに甦らせる。
暗がりの中、ヴェリアルは今日も変わらず彼女の髪をそっと撫でた。
指先をすり抜けるのは、絹糸のように柔らかく、微かに癖のあるピンクブロンド。
魔術師という生き物は、時の流れから取り残されたように歳を取るのが遅い。
とは言え、彼女だけは、いつの時代もどこか幼さの残るあどけない少女のままだった。
「今日はね、君にとても素敵なお土産を持ってきたんだよ」
ヴェリアルは人形のように美しい微笑みを絶やさず、冷たく硬化したシャーロットの掌の上に、まだ微かに温もりを帯びた赤いそれをそっと置いた。
ほら、しっかり掴んでいなくちゃダメだよ、と。まるで幼子を優しく窘めるように、彼はその指をそっと折り曲げる。
「共和国の大統領の心臓だ。わかるかな。ついに僕たちは、この大陸の半分を手に入れたんだよ」
かつて誰も成し得なかった、共和国の陥落。
その途方もない奇跡を、エルステラは完遂した。
世界を揺るがす恐怖と人類の敗北は、今やこの死神の掌の上で静かに息を潜めている。
「あの頃、君は共和国を恐れていたね。でも、もう大丈夫。新しく生まれ変わった共和国では、魔術師が非術師を従えるんだ。君が怯える理由は、もうどこにもないんだよ」
ヴェリアルは愛おしそうに、まるで祈るように彼女の冷たい額へと口づけた。
「ねえ、『孤独のダイヤモンド』はどこに隠したの? あれほど厳重に管理していたのに、まだ見つからないんだ。……ふふ、分かっているよ。君の仕業だろう? また僕を困らせようとして、そんな悪戯をしているんだね」
暗い地下室に、鈴を転がすような笑い声が静かに響く。
「シャーロット。だから、早く目を覚まして。君に見せたい綺麗な景色が、この世界にはまだたくさんあるんだからね」




