6年分の気合いを込めて
昔、むかしのお話。
せかい は、 絶望に包まれていました。
何故なら ごうまん な めがみ ルウェルは、自らの力を人間のいくつかにお遊びで分け与えたからです。
そうなると、もう大変。
力を得た人間は あくま のように振る舞いだしました。
そしてその結果、帝国中に かみなり が轟き、荒れ狂う かぜ が大地を削り、月さえも空から消え去って、世界は えいえん の夜に包まれたのです。
おう は天の神に助けを求め、その けいけん な祈りに応えた男神ケネスから一振りの せいけん を授かりました。
おう は せいけん を振るい、悪しき力を持つ者たちをそれぞれの感情と共に、五つの石へと封じ込めたのです。
──苦悩のラピスラズリ。
──嫉妬のターコイズ。
──激昂のサファイア。
──孤独のダイヤモンドを。
──そして、悲痛のアメジスト。
五つの宝石は魔術師の野望と共に、 えいえん に封印されました、と……。
めでたし、めでたし────。
「さま……!アデライン様……!」
「……ユリウス?」
「貴方は、何故此処にいらっしゃるのでしょう。明日はデビュタントの夜だというのに……」
「そうよ?」
「今、何時かご存知で?」
「何時って……まさか、もう3つ時……?!」
────またやってしまった。
活字の海に一度足を踏み入れると、時間の流れすら忘れて没頭してしまう。
周囲の音が遠のき、世界から切り離されるようなこの集中力は、私の数ある悪癖の中でも最も他人に迷惑をかけるものである。
今日の元凶は、本当に些細な確認事項だった。
執務の片手間に生じた疑問を解消するためだけに、夜の帳が下りた図書館へと足を運んだ。
けれど、調べ物を終えて書架に本を戻そうとした瞬間、ふと視界の端に吸い寄せられるように『宝石王』の背表紙が飛び込んできたのだ。
気付けば夢中でページをめくり、何度読んだかも分からないその物語の世界へ意識を持っていかれていた。
ユリウスに声を掛けられたのは、まさにその甘美な読書にどっぷりと浸っていた最中だったのだ。
この6年の月日は、ユリウス・ティリスという人間の印象を劇的に塗り替えた。
初めて出会った頃の彼は、感情というものも捨て去ったかのように冷たく、静かで。
そして何より私が救うことが出来なかった───贖罪の対象でしかなかった。
けれど、実際に触れ合った彼は、懐に入れた相手にはどこまでも深く優しく、誰よりも器の大きい人で。
そして今は、誰よりも信頼できる仲間である。
いつもなら「また夢中になっていたのですか」と、呆れたように、けれどどこか優しく微笑んで許してくれるはずのユリウス。
しかし、青い瞳に宿る光はどこまでも冷ややかで、今日の彼は珍しく、一切の妥協や見逃しを許さない圧倒的なプレッシャーを醸し出していた。
「メリーアンが泣きついてきました。アデライン様を止められない、と」
「ご……ごめんなさい」
「メリーアンが貴方のデビュタントをどれほど心待ちにし、準備に奔走していたかご存知ですね?」
「……はい」
明日は、皇太子ルキウスの二十五歳の誕生日を祝う記念すべき夜。
そして同時に、私───アデラインのデビュタントの日だった。
帝国の子女は十六歳を迎えれば、デビュタントを行うことが決められている。
デビュタント。
初めての、公式での舞踏会への参加。
貴族社会で一人前の大人として正式に認められるための、誰もが通る通過儀礼。
それが、まさに明日なのである。
貴族の娘であれば誰もが羨み、両手を挙げて喜ぶはずの晴れ舞台。
しかし、私が心の底から素直に喜べない理由は、ただ単にこれが「二度目の人生」だからというわけではなかった。
静かに溜息をついたユリウスが、積まれた本を片付けようと机に手を伸ばす。
その動作の途中で、彼は無造作に放り出された一枚の紙に気づいた。
それは、酷く揉みくちゃにされ、クシャクシャに丸められた新聞だった。
「その新聞は……」
「……そう。共和国の、敗戦宣言よ」
共和国は、敗北した。
この広大な大陸を二分するほどの強大な大国が、ついに負けたのだ。
一面に躍る見出しには、大統領の敗戦宣言、そして自らエルステラの軍門に下るという決断が記されていた。
今後の国政における一切の全権を、ヴェリアル・クレミア・ルーファスへと譲り渡す――その不敵な宣言とともに。
紙面には、満面の笑みを浮かべる大統領と、冷徹な美貌を湛えたヴェリアルが力強く握手を交わす、悪夢のような写真が大きく掲載されていたのだった。
「足掻いた方です」
「……そうね」
この六年の歳月は、彼らにとって決して短いものではなかった筈だ。
小国であればわずか数日で容易く制圧してきたエルステラにとって、これほどまでに長く、労力を強いられた侵略はかつてなかった。その苦闘は容易に想像がついた。
──それでも、エルステラは進んでいる。
かつての私が命を懸けてでも止めようとした、どうしようもない破滅の道へと、確実に歩みを進めているのだ。
「お気持ちは、お察しします。……眠りの魔術でも掛けましょうか?」
「……お願いしようかしら。明日は久しぶりにお姉さまと辺境伯も舞踏会にいらっしゃるみたいなの。隈があったら怒られちゃう」
「フィレンツェ辺境伯夫妻もご出席されるのですね」
「そうなの。……会えるのが楽しみだわ」
私は暗い空気を誤魔化すように、楽しそうに見えるように微笑んだ。
思い出すのは、三年前の婚礼。
ルチアは、ロア・フィレンツェのもへと嫁いでいった。
相手は彼女より十歳年上の、若くして領地を束ねる凄腕の辺境伯だ。
フィレンツェ領は共和国と国境を接する最前線。
だからこそ今後の政情を見据えたとき、ルチアのような女性こそがその座に相応しいと、ルキウスから聞かされた。
初めのうちは、その大柄で筋肉質な圧倒的な体躯に気圧されてばかりいたけれど。
ルチアを心底大切にしてくれて、どこまでも温かい人だと知ってから、私はようやく安心して姉を預けることができたのだった。
本を書架に返し終わり、部屋を出る。
翡翠の間への帰り道、回廊でユリウスがふと動きを止めた。
「……アデライン様」
「ん?」
振り返った彼の瞳には、先ほどまでの呆れや怒りは微塵もなかった。
代わりに浮かんでいたのは、どこか気まずげな戸惑いで。
「最後に聞きますが……本当に、私のエスコートでよろしいのですか?」
「今をときめく天才魔術師のエスコートなんて、私には勿体ない、でしょう?」
くすくすと冗談めかして笑ってみせれば、彼の整った白い顔に、ほんのりと赤みが宿った。
「やめてください。仕立てたのは貴女の指示でしょう。……そうではなくてですね」
「魔術師だから?そうね、それはこの6年で、魔術師がどれだけ国の中枢を担うことになったかを思い出してから発言してちょうだい?」
「……そうは言っても、古い貴族たちの偏見は未だに消えないでしょう。貴方の折角のデビュタントが……」
「それは教会のせいね。早くどうにかしないと。突破口になりそうな資料を探しているのだけど……」
「仕事の話はしないでください。……もう寝ると言ったでしょう」
部屋に入ると、暖炉にはすでに暖かな火がくべてある。
もうすぐ春を迎える季節とはいえ、夜の冷え込みはまだ厳しい。
ユリウスはベッドに横たわる私に歩み寄り、優しく毛布をかけてくれた。
「……それにしても、貴方がルキウス様のエスコートを断ってからというもの、あの方の私に対する当たりが強いのですよ」
「主役である皇太子のエスコートなんて、そんな目立つ大役を受けるはずないでしょう?」
「そうですね。あなたは、そういう方でした」
「明日はよろしくね、ユリウス」
「はい、光栄です……お休みなさい、いい夢を見られますよう」
ユリウスの言葉に、 私は穏やかな微笑みを返す。
そして、彼はそっと私の額に触れると、心地よい眠りにいざなう魔術を施してくれた。
意識が微睡みへと沈んでいく中、 私は「アデライン」として生きてきたこの6年の日々を静かに振り返っていた。
アデラインの人生は決して思い描いていたような平坦な道ではなかった。
(鉄の匂いも、血に濡れた剣の重みも知らない世界。愛してくれる家族に囲まれて、年相応の恋なんかをする。
そんな、ありふれた幸福な人生……。)
シャーロットとして死ぬ時に願ったそんな砂糖菓子のような日々は、結局まだ訪れていない。
特別秘書官として、ルキウスの傍で帝国の立て直しをする。
それは時折誰かの血を流す事だってあったし、非道にならなければならない瞬間もあった。
大っぴらに魔術を使えず歯がゆい思いもした。
子供と侮られて、言葉が通らないこともあった。
それでも……。
(悪くは、なかったな)
ルキウスは正真正銘の冷徹な皇太子だ。
人の心があるの?そう思って対立する日もあれば、彼の戦場仕込みの倫理観に静かに怒りが湧いてきたそんな日もあった。
でも、ルキウスはいつも向き合ってくれた。
真っ直ぐ、逃げずに、目を見て。
「言え」と、半ば強引に。
私は彼のそんな所を────。
「ま、アデラインお嬢様……!」
「ん……?」
「いいお天気です!さぁ、準備をしましょう!」
「おはようメリーアン……まだ、朝の……9時よ……?」
チュンチュン、と朝を告げる鳥の鳴き声がする。
メリーアンの元気な声に目を擦り、私はのろのろと身体を起こした。
「お嬢様、悲しいです。今日は私、お嬢様を大陸で一番綺麗にするために、どれだけ楽しみにしてきたことか……結局いったい、昨夜は何時に寝たのですか?」
「……ごっ、ごめんなさい」
メリーアンは、怒っていた。それも、満面の笑みで。
こんな芸当が出来るようになったのは、ひとえにユリウスの教育の賜物だ。
「というわけで、これから徹底的にパックをします。全身ツルピカに仕上げますよ。さあ、皆さん!」
メリーアンの快活な掛け声と同時に、バァンと自慢の木製扉が開け放たれる。
訓練されたメイドたちが、ずらりと手際よく部屋になだれ込んできた。
「お、お手柔らかにお願いします……っ!」
逃げ場を失った私は、観念したように小さく両手を上げる。
長い一日の始まりである。




