恨み言を、ずっと言いたかったんだ。
袋小路の冷たい闇が、私たちをすっぽりと包み込んでいた。
私をきつく抱きしめる黒いローブの青年────ミルヒオールからは、かつては纏うことのなかった、彼に良く似合う甘い砂糖菓子のような香水の香りが漂っている。
「許さない……」
細く、震える彼の声が、しんとした耳元で掠れた。
「……うん」
「許さないから……何、勝手に死んでんの……?」
きしむ衣擦れの音と共に、肩越しに伝わってくるのは、胸を抉るような痛切な熱と、抑えきれない怒りの震えだ。
「……ごめんね」
「どんだけ……会いたかったと思ってんのぉ、馬鹿ロティっ……!」
ミルヒオールが決して腕を緩めることはない。
まるで二度と離さないと言い聞かせるように、その細い腕には異常なまでの力が込められていた。
肩に顔を埋められているため彼の表情は直接見えない。
しかし、あてられた肩口がじわじわと濡れていくのが生々しく分かる。
かすかな鼻を啜る音。そして震えが、痛いほどに私の心へ突き刺さった。
「ごめんね、ミルヒ。相談……すれば良かったよね」
自分の不甲斐なさと浅はかさに、私はたまらず視線を落とした。
独断で動いた。信じるとか、託すとか。そういう綺麗な言葉を理由にして残っている皆に全てを任せた。
それは、どんなに言い訳しようとも紛れもない事実だった。
最善を考えたつもりだった。
それでも、大切な仲間をここまで追い詰めてしまったという後悔が喉の奥を締め付ける。
「……相談ってなんのだよぉ」
「孤独のダイヤモンドを飲み込んで、心臓を止めた事……だよね」
「………………は?」
空間を切り裂くような鋭い声。
そこには拭いきれない激しい怒りと、それを遥かに凌駕する底知れない恐怖が複雑に混ざり合っていた。
「……ちょ、はぁ?どういう……」
「……だってあの時、ベルが孤独のダイヤモンドを使うのを諦めさせなきゃいけなかったから……。足も上手く動かない、味方も封じられた。そんな私に出来ることなんてそれくらいしかもう残っていなかったの」
「…………なにそれ?じゃあエセルリードに殺されたんじゃなくて、ロティが自分で死んだって事?」
「……事実だけを言うとそうなるかな……。いや、でも、あの時はそうするしかなかったって言うか……ね?」
「へぇー、そっかぁ、そうするしかなかったんだねぇ、ごめんねぇ、頼りなかったみたいでぇ」
皮肉に歪んだ声。
「ミ、ミルヒ。怒ってる?」
「はらわたが煮えくり返りそう」
おえ、とミルヒオールは子供のように舌を出した。
片方の唇を深く釣り上げ、引きつったような残酷な笑みをつくる。
その瞳には狂気が揺らめいていた。
「でもさぁ、ロティ?その甘っあまの、穴だらけの、馬鹿馬鹿しい自己犠牲の希望を引っさげて死んだみたいだけどさぁ、ヴェリアル様はそれで諦めたと思う?」
「で、でも現に宝石は使っていないのでしょう?」
「使い道がぁ変わっただけだよ。来るべき時に備えて、まだ温存してるだけぇ」
「……使い道って?」
「まずは、ロティを生き返らせるためにねぇ」
にっこりと、完璧な笑顔をつくる。
笑っている。なのに、怒りの炎でその内側から黒く焦げ付いているのが痛いほど伝わってきた。
そして今度こそ、私は思考を凍結させた。
都市の一個や二個を軽く壊滅させるほどの古代兵器を、私を蘇らせるためだけに使うというのか。
正直、客観的なメリットなど微塵も思い浮かばなかった。
確かにラヴィアンジュの血統が絶えるのは惜しいかもしれない。
けれど私の魔力は目の前の天才には遠く及ばないし、カリスマ性だってヴェリアルには敵わない。勤勉さはユーティオティアスの足元にも及ばず、探究心においてヴィクトリアの背中すら見えていない。
天災と恐れられるのは自分が女神の末裔だからだ。
人並みの魔術師であるという自負はある。だからこそ、自分の命と引き換える価値などどこにもないはずなのに。
「宝石は二つ、すでに手元に集まっている。まぁ正確に言えば、ロティの身体にあるのを含めて三つなんだけどさぁ。でもあえて使わないのは、そのすべてをロティのために注ぎ込むためぇ」
「えっと……何を作ろうとしてるの……?兵器?」
「うるさいなぁ。俺は天才魔術師だからね、それくらい簡単にやれるの」
不貞腐れたように子供っぽく頬を膨らませ、ミルヒはぎろりと私を睨み上げた。
その美しい緋色の瞳の奥底では、涙の膜の向こう側で、狂おしいまでの執着と独占欲が静かに、だが確実に燃え盛っている。
「てゆうかぁ、百歩譲ってその馬鹿な決断をしたとしてもさぁ!早く連絡しろよぉ!生きてるんだったらさぁ!」
直後、頬をぎゅう、と強引に横へと引っ張られる。
反射的に「ほめんなはい」と、情けない言葉にならない声が零れた。
「……でも私、もうただの人間の女の子だよ?魔術だって、もう使えない」
「そういうこと言ってんじゃないのっ……!」
荒く息を吐き出すと、ミルヒオールはふっと視線を落とし、不器用な手つきで自分の前髪を雑にかき上げた。
「……俺たち、血は繋がってないけどさぁ。俺はロティのこと、本気で家族だと思ってるよお。もしロティが生きてるって一言でも教えてくれたなら、俺は大陸の反対側にだって、這いつくばってでも飛んでいったのに…………」
「……ミルヒ。大好きよ」
脳裏によぎる懐かしい昔の面影を重ね合わせるように、あふれる眩しさに思わず目を細める。
そう告げられたミルヒは不機嫌そうに顔を背けた。
けれどそれはどこか気恥ずかしそうで、嬉しそうにもみえた。
それから彼は、傍らで眠るように意識を失っているキキへと、ちらりと視線を走らせた。
先ほどまで命の気配を放っていたその身体は、ミルヒオールが術式を解いたことで、今はただの精巧な人形のように微動だにしない。
「今さぁ俺、キキの兄ちゃんみたいな役回りをやってるんだよ。あいつ、可愛いね。素直でちょーいい子ぉ」
「キキを目覚めさせてくれて……仲良くしてくれて、本当にありがとう」
「いーのいーの。また後でなぁ、キキ」
まるで本当の弟を労るかのように、ミルヒオールはキキの頭を優しく、愛おしそうに撫でた。
その細い指先がぱちんと乾いた魔力の音を立てて弾け飛ぶと、世界がぐにゃりと歪み、閉ざされていた暗い空間から一転して、元の現実の場所へと景色が引き戻される。
そしてはっきりと意識が戻ってきて、最初に目に映ったのは──────。
ベットに倒れ込むように脱力しているルキウスの姿だった。
「ミルヒ」
先に現実に戻っていたのだろうか。彼の手元は既に次の目的へと移っていた。
「ん?」
軽やかな返事をしながらも、ミルヒオールの手は一瞬たりとも止まらない。
カーペットに這わせた指先から淡く冷たい光の軌跡が伸び、複雑な魔法陣がみるみるうちに描き上げられていく。
彼ほどの圧倒的な天才魔術師が、わざわざ手ずから陣を刻まなければならない───その事実だけで、これから行使しようとしている術の規模が嫌でも察せられた。
「ルキウス様も、私と同じ術式にかかってるの……?あれは、一番辛かった記憶の深淵に精神を閉じ込めて、そこで……命を奪うための術式、よね?」
「ご名答。まぁ、一番絶望した記憶の底を永遠に這いずり回ってもらうってことだよぉ。そこで負った精神の致命傷は少しずつ現実の肉体に蓄積されて、最終的には綺麗な心臓麻痺という形で、綺麗に死因として反映される仕組みぃ」
シャープな線が走り、最後の魔法陣が引き終えられる。
完璧な出来栄えを確かめるように、ミルヒオールは満足げに目を細めてその幾何学模様を見つめた。
そして、ベッドに伏せる帝国皇太子を一瞥すらもしないまま、私に満面の笑みを向けた。
「じゃ、行こっかぁ」
「どこに?」
「どこ?決まってるじゃん。帰るんだよぉ、エルステラに。ロティは今ただの非術師なんだからぁ、安全にこれで帰ろうねえ」
まるで楽しいピクニックにでも誘うかのような軽やかな口調で、ミルヒオールはくすくすと喉を鳴らす。
「ミルヒ、ルキウス様の術を解いてあげて」
「え?んー、無理、かなぁ?」
首をこつんと傾げたミルヒオールは、どこか楽しげですらある冷たい声音でさらりと言ってのけた。
「ヴィクトリアがぁ俺には直接何も言わないんだけどさぁ、あれだけこいつを殺したがってるってことは、ヴェリアル様に裏で命令されたんだと思うんだぁ。だから手伝ってあげなきゃなぁって。ヴィクトリアは非力だしねぇ」
「……ミルヒ。ルキウス様を殺してはダメよ。この人が皇太子として立ち上がってくれれば、帝国で魔術師たちも人間と共にちゃんと生きられる未来があるの」
「……」
ふっと、ミルヒオールの顔から柔らかい笑顔が綺麗に凍りついた。
あどけなさが消え失せ、表情が強ばる。その美しい緋色の瞳の奥に、底冷えするような暗い影が落ちた。
「……それって、俺達を裏切るの?」




