sideルキウス 眠り姫の呪い
女性達に囲まれた花園から抜け出したルキウスが早足で向かったのは、「翡翠の間」だった。
仕事に戻る前にアデラインの顔を見ておこう。
そう思ったのは、単なる心配だけではなく、先程の疑惑が頭から離れなかったから、というのも理由の一つだ。
扉を開ければ、ベッド横にはちょうど魔術師団長のユリウスと、護衛兼侍女としてこの部屋に配置した───アデラインと親しい仲だとかいう宮廷魔術師が控えていた。
部屋の空気が張り詰めており、足を踏み入れただけで只事ではないと肌で感じさせられる。
「……熱は、どうだ」
問いかけたルキウスに、ユリウスは苦悶の色を浮かべたまま首を横に振る。
「一向に下がりません。時々目を覚まして少量の水を口にするだけで、あとは寝て……いえ、ほとんど意識を失っている状態です」
「治癒魔法は効かないのか?」
普通、何かしらの原因がある病気に対して、治癒魔法を使えば完治は難しいが軽快はする。
勿論寿命や解明されていない病に対しては無効だ。
それゆえに、今までアデラインの虚弱体質が治ることはなかったのだろう。
しかし、いわゆる風邪に対しての発熱には、方法が確立されている。
それなのに、効果がないのは妙だと、魔術に精通していないルキウスですら感じていた。
「この者────メリーアンは、私の弟子であり……魔術師団長の私から見ても、治癒魔法の才能があります。その彼女がもってしても……アデライン様の体調は回復しないのです」
「何か別の方法は?」
「自然完治を待つしか……」
ルキウスの切迫した問いに、 メリーアンは首を静かに横に振った。その目には諦めが浮かんでいる。
ユリウスはベッドに横たわるアデラインの額に触れた。
そうして呪文を唱えるが、暫くして、深く溜息を吐いた。
「……殿下。アデライン様の身体に治癒魔法をかけ続け、ずっと、嫌な予感がしていました。ですが、先ほどようやく確信に至りました」
「……というと?」
「アデライン様はただ身体が弱いのではありません。呪術の類が掛けられている可能性が高い、かと」
「……呪術?」
思わず繰り返したルキウスに、ユリウスは頷いた。
「はい。これまで幾度もアデライン様に治癒魔法を試みましたが……その都度、まるで底知れぬ泥か何かに術式を食い荒らされるような、強い拒絶と抵抗を感じておりました。あれは、術者自身の命や魂を代償に組み上げられた――精巧で、あまりにも強力な『禁術』の痕跡なのではないかと……」
魔術と呪術。
整然としたことわりの範囲内で奇跡をなす魔術に対し、呪術とは、己の血肉と命を供物として捧げる禁忌の術だとユリウスは言う。
そんなものが、なぜアデラインに向けられているのか。
ルキウスの喉から、一瞬にして声が消えた。
冷たい汗が背筋を伝うのがわかる。
(彼女が、エセルリードの娘だからか……)
ルキウスの知るアデラインは、誰に対しても慈しみを持つ、不思議な少女だった。
誰かの恨みを買うような人間ではないと、短い付き合いでもよくわかった。
そして、それを掛けられる原因は恐らく1つ。
アデライン・エセルリードが、シャーロット・ラヴィアンジュを殺した仇の娘であるということ。
────この感情が、どういう感情かはわからない。
けれど、彼女がこうやって苦しんでいる姿をみると、彼女を苦しめる者に同じだけ……いや、それ以上の苦しみを与えてやりたい、と思った。
「……少し、この件で確認しておきたい記録があります。一度詰所に戻りますので、殿下、少しの間アデライン様を見ていてくれませんか?」
「ああ……頼む」
ユリウスの促しにメリーアンも無言で頷き、ふたりは足早に部屋を出ていった。
閉ざされた扉の音が、やけに重く室内に響く。
残された静寂の中、ルキウスはゆっくりとベッドへ歩み寄り、アデラインの額にそっと触れた。
ただでさえ真っ白な肌が血色なく青白い。
ぴたり、と当たる指先から伝わってくるのは、焼けるような熱さだった。
その瞬間、ぱち、とアデラインの長い睫毛が震え、静かに目を開けた。
アデラインはうっすらと視線をさまよわせ、そこにルキウスの姿をとらえたとき、花が咲くような笑顔で微笑んだ。
掠れた、か細い声。
「すまない、私が起こしてしまったな。何か飲むか?」
「平気、です」
「辛いか?」
「……平気です」
明らかに虚勢を張っている様子の少女は、見ていられないほど痛々しかった。
要らないとは言っていたが果実水をグラスに注いで差し出せば、アデラインはゆっくりとそれを飲み干した。
「……少しお話が聞こえておりました……。わたしに、呪術が掛かっているかもしれない、と」
「……あくまでも、可能性だ」
「ユリウス・ティリスがそう言っているのであれば、そうなのでしょう」
諦めたように、彼女はふっと息を吐く。
随分と彼の事を信頼しているようだった。
「呪術は、どうすれば解ける?」
こんなこと、本来なら魔術師でもない彼女が知るはずもない。
─────だが。
「術者の魔力を使い果たす前に対象が死ねば術者は生き残りますし、逆に……何かが原因で術者が死ねば、解呪されます」
アデラインは淡々と常識を口にする。
「共和国と潰しあってもらおうと思っていたが……先にエルステラに侵攻するか?」
「え? な、なんでですか?!」
「術者を殺さねばならぬだろう」
アデラインに呪術を掛けた者をしらみ潰しに探して、殺す。
そうしなければいつまで経っても彼女の超虚弱体質は治らないし、こんな高熱が続けば────最悪、命を落とすのが先かもしれない。
(それは……国家の損失だから、だからこんな馬鹿げた提案をしているのだ。他意はない)
定石通りにいけば、悪手だが。
それでもアデラインを守る為には仕方ない。
そう思える程、アデラインはルキウスの中で価値を誇っていた。
しかし、当のアデラインは動揺している。
「ま、まだエルステラが呪術の原因と決まった訳ではありません!私はエルステラとの関わりなんてありませんし……」
「……本気で言っているのか?」
「?」
(こいつが馬鹿なのか、天才なのか時々わからなくなるな)
アデラインに直接関わりが泣くとも、彼女の父とエルステラが憎みあっていることなど、明白なのに。
異母兄は、自らの恋人が殺されたことを恨んで世界を壊そうとしているのだ。
だから、異母兄────ヴェリアルにとっては、アデラインは憎くてたまらない存在だろう。
直接の関わりがないとはいえ、恨んでも恨みきれない男の愛してやまない娘なのだから。
「……お前の父親は─────」
「ルキウス様───っ!お逃げ下さい!」
しかしルキウスが言い切るよりも早く、事態が急転した。
陽の差し込んでいた翡翠の間を、突如として底知れぬ夜の底のような闇が呑み込み、室内の空気を凍てつかせる猛烈な突風がぶわっと吹き荒れる。
ルキウスが反射的に抜き放った剣の冷光が闇を切り裂くより早く、何者かが指をぱちんと弾いた。
ありえない。
さっきまで、周囲に人の気配など微塵もなかったはずだ。
ユリウスたちが戻るには、まだ早すぎる。
ルキウスが意識を失う直前に見えたのは、頭からすっぽりと被った深い黒のローブ。その影に阻まれ、表情は一切見えない。
だが、ただならぬ殺気と、肌を粟立たせるほどの圧倒的な圧迫感だけが、侵入者の異常性を物語っていた。
侵入者の青年は、詠唱すら挟まない無詠唱のまま指先をわずかに鳴らし、その場の「時間の流れ」そのものを凍てつかせた。
音も、空気の揺らぎも、アデラインの呼吸やルキウスのまばたきすらもがその場に固定され、世界が完全な静止へと落ち込む。
凍りついた静寂の中、ただ一人、その魔術師だけが自由なまま、冷徹な呪文を紡ぎ出す。
「ジュ・アテ・フィン・フィンドラーレ。迷いの森へ、深く、深く落ちていけ」
重厚な祝詞が空間そのものを歪ませ、澱んだ魔力の波紋が部屋を満たしていく。
────迷いの森。
ミルヒオールの作った、主に精神の拷問で使う魔術だ。
対象が生きてきた中で最も恐怖を感じた情景、あるいはトラウマの深淵へと、強制的に意識を閉じ込める。
そしてその悪夢の中で命を落とせば、現実世界で二度と意識が戻ることはない。
さらに厄介なことに、ミルヒオールはその夢の領域へと自由に行き来することができた。
彼はその精神の牢獄で苦しむ対象から欲しい情報を引き出し、用済みとなれば絶望の中にそのまま置き去りにするのだ。
「んん、……あれぇ? なんか、もう一人、巻き込まれちゃったぁ?」
先ほどの冷徹な死の気配が嘘のように、コロッと気の抜けた、間延びした声が響いた。
声の主である青年────ミルヒオールは不思議そうに首をかしげながら、再び動き出した世界の中で、巻き込んでしまった少女の方へと足を進める。
アデラインのベッドの脇に崩れ落ち、昏倒したルキウスをひと目見て満足げに鼻を鳴らしたあと、彼は興味津々といった様子で、黒髪の少女をまじまじと見つめた。
どこかで見た顔だ。
ミルヒオールの記憶のどこかに、その姿があった。
もっとも、ミルヒオールの知る彼女は、あくまで「エセルリード家の次女・アデライン・エセルリード」に関連する書類による知識でしかなかったのだが。
しかし、ミルヒオールはその些細な正体の発覚よりも何よりも早く、背筋を駆け抜けた別の圧倒的な異変に気がついた。
不意に足取りがピタリと止まり、彼の瞳が鋭く、危険な輝きを帯びて変わる。
「────孤独のダイヤモンド……っ!」
少女の胸のあたりで、ひときわおぞましく、それでいて気高くたゆたう、底知れぬ魔力の気配。
世界最強と謳われる魔術師の天才が、目の前にある膨大な魔力の核に気が付かないはずがなかった。
ついにミルヒオールと再会を果たしました




