マダム・デュボワと石造りのアトリエ
数日後、早朝。
眠気まなこでネグリジェからドレスに着替える。
今日はとある事情でメリーアンはいないのだ。
けれど手伝いなどいなくとも、フリルたっぷりのドレスを纏うことは容易かった。
全ては「ヴェリアル様の隣に立っても恥ずかしくないように」というユーティオティアスの厳しい教えのおかげである。
今日は、あまり華美に装わない方が良い日だ。
何故なら、今日の主役は私ではないから。
ルキウスから贈られた高価なドレスや宝石には触れず、実家から持ってきたシンプルで子供らしい淡い水色のドレスを選んだ。
アデラインの透き通った海色の瞳には、この色がよく似合う。
さらさらの癖のないストレートの髪を編み込み、アップスタイルにまとめる。
アデラインの体は疲れに敏感だ。
鏡の中の子供らしからぬ隈が気になったので、申し訳程度に化粧を施した。
青白い頬にうっすらと紅を差すと、あら不思議。
あっという間に健康優良児の完成だ。
───さあ、行きましょう。
準備を終えて気合を入れ、小さな足で力強く歩き出す。
今日は大切な日なのだ。
意気揚々と部屋の扉を開けた私を待ち構えていたのは、壁に背を預け、不機嫌を絵に描いたような顔で腕を組む男だった。
「……おはようございます」
「……ああ」
眉間に深い皺を刻んだアゼル・ガイウスと目が合った。
三秒ほど考えたのち挨拶をすると、返ってきたのは非常に淡白な反応だ。
「……ちなみに確認ですが、私に何か用というわけではありませんよね? ただの通りすがり……といった感じの」
「お前の監視だ」
「……ああ、なるほど。それは……お手数をおかけします」
偶然を期待したが、そんな甘い話はないらしい。
頼んだ覚えはないが、付き合ってくれるというので、一応はレディらしく一礼しておく。
廊下ですれ違う人々はアゼルの険しい顔つきに怯え、困り顔で私を見捨てて早々に頭を下げて通り過ぎていった。
「いつも、こんな感じなのですか?」
「こんな感じとは?」
「こう……周囲からの畏怖といいますか……」
「まどろっこしい言い方をするな、分かりにくい」
「はい。いつもこんなふうに、遠巻きにされているのかと」
オブラートに包んだ問いかけは、彼の眉間の皺をより一層濃くするだけだった。
「……関わりのない相手に媚びを売って、何が楽しい?」
「語弊です。愛想を振り撒けと言っている訳ではありません」
「じゃあなんだ?」
「ガイウス卿は誤解されやすい方だな、と思いまして」
「エセルリードの小娘に言われる筋合いはない」
「失礼いたしました」
確かに、少し踏み込みすぎたか。
「……でも、その分侮られないのは良いことですね」
「お前は……喋りすぎるな」
「えへへ」
「褒めていない」
侮られないのが羨ましいのは本当だ。シャーロットの時も、アデラインの時も。もっと強そうに見えたならどれほど楽だったか、と思ったことは数え切れない。
やがて石造りの要塞、本日の目的地である魔術師団の詰所が見えてきた。
入り口にはユリウスが静かに待機している。
「アデライン様、お待ちしておりました」
「……私は見えていないと?」
「いらっしゃったのですね、ガイウス卿。恐れながら申し上げますと、怪我には十分お気をつけください。貴方様は、我が隊員たちからそれはもう熱烈な注目を浴びておりますので」
「はっ。魔術風情に、この私が傷などつけられようはずもなかろう」
相変わらずの犬猿の仲。私は小さく溜息をつき、二人の間に割って入った。
「喧嘩はだめですよ! 今日はすごく忙しいのですから」
「……失礼いたしました。準備は整っております」
ガイウスが鼻で笑い、私を揶揄うように視線を向けた。
「イメージ戦略だったか。そんなものに何の意味があるのか、私には理解できんがな。予算を見たが、本当にその価値を生み出せるのか?」
「ご心配なく。失敗した暁には、先日殿下からいただいた宝石を切り売りして資金にいたしますから」
「おまっ……それは流石に不敬だぞ……」
「冗談です」
軽口を叩き合いながら到着したのは食堂だった。
そこには、ルキウスに依頼して呼び寄せた、現在の帝国で名を馳せる一流の服飾師と髪結い職人たち、そして帝国魔術師団の団員が勢揃いしていた。
その中でも、ひときわ華やかな装いの30代程の女性が目を惹く。
深緑色の巻き毛を揺らし、洗練されたアイメイクを施したその人。
彼女こそ、私がどうしても会いたかった人物だ。
「ご機嫌よう、マダム・ルヴァン……ですね。私は、アデライン・エセルリードと申します」
「ご機嫌麗しゅう、レディ・エセルリード」
彼女のサロン『ルヴァン・ド・デュボワ』は社交界でも名高く、まさに「流行を作り出す者」の代名詞だ。
本来であれば数年待ちが当たり前の予約を、私は権力を行使して無理やり呼び寄せた。
失礼なのは承知の上だ。けれど、どうしても彼女の魔法のような力が必要だった。
「この度は無作法をしてしまい、申し訳ございません」
真っ直ぐに視線を向け、深く頭を下げて謝罪する。
マダム・デュボワは意表を突かれたのか、驚いたように目を見開いた。
「……頭をお上げください。可愛らしいレディからのご指名、光栄の至りにございますわ」
顔を見合わせて、私たちは柔らかく微笑み合った。
「さて、私たちに何をお望みでしょうか? お嬢様」
私は職人たちをゆっくりと見渡し、確かな自信を込めて口を開いた。
「皆さまには、帝国魔術師団員全員分の制服を新調していただきたいのです。髪型も同様に、一新してください」
私はわずかに口角を上げ、静かながらも力強く告げる。
「オーダーは、そう……『美しいこと』。予算に上限はありません。全て、皆さまの美学にお任せいたします」
その言葉に、職人たちの瞳が職人としての情熱で爛々と燃え上がった。
「ふふ……これは、やりがいのある仕事になりそうですわね」
こうして、私が最初に手掛けたのは『見た目の改革』だ。
時代遅れの黒のローブを脱ぎさり、誰の目にも帝国魔術師団だと一目でわかり、そして圧倒的な存在感を放つ制服を作り直す。
彼らを、この帝国の「一員」に変えるために。
職人たちは一人ひとりのサイズを丹念に測り、記録していく。
布を身体にあて、針を走らせれば、魔力によって糸が生き物のように動き、たちまち縫製が進んでいく。
これは、全てユリウスの莫大な魔力頼みの手法だ。
今まで魔術をすべて管理下に置いていた帝国では考えもしなかったやり方だろうが、 大量生産が必要な今、これが最適解だった。
私がもう一つこだわったのは「白」の制服であること。
ぱっと見の明るい印象を与えるため────そして、血で彼らを汚させないという、私なりの祈りにも似たこだわりだ。
慌ただしくなってきた食堂の隅で、私たちは手持ち無沙汰になった。
ふと振り返り、関係なさそうな顔で立っているユリウスを見て、私はにやりと笑う。
「というわけでユリウス。貴方もよ」
「……いや、あの」
「その持て余している長い髪、少し整えましょう。貴方が指揮を執る隊の長なのですから、ね?」
「……っ、アデライン様が仰るのなら……」
戸惑うユリウスを有無を言わせぬ態度で職人たちの元へ連行すると、後ろでガイウスが面白そうにその背中を見つめていた。
「随分と氷の魔術師団長殿と打ち解けたものだな」
連行という大仕事を終えた私に、ガイウスはそんな爆弾を落とす。内心でぎくりとしつつも、私は涼しい顔で微笑んでみせた。
「……彼は意外と子供好きなんですよ」
「数年の付き合いだが、それは初耳だ」
「新たな一面が知れて良かったじゃありませんか」
軽口を叩いている間に、ユリウスの変貌は着々と進んでいく。
やがて椅子から立ち上がった彼を見て、その場にいた誰もが息を呑んだ。
纏う空気は以前のままに、しかし計算し尽くされた髪型が顔立ちの冷ややかな美しさを際立たせている。
鏡の中の彼は、冷徹な氷の魔術師団長というより、まるで物語から抜け出してきたような、この世のものとは思えぬ美男子へと昇華していた。
「……なるほど。印象は確かに、変わるものですね」
ユリウス自身も驚きに目を見開き、鏡を覗き込んでいる。
「お師様、素敵です!」
「……素材が良いと料理のしがいがありますわね。今度、我がサロンの広告モデルをしていただけませんか?」
「いや、そういうのはちょっと……」
自身もすっかり白の制服を可愛らしく着こなしているメリーアンが、キラキラとした瞳でユリウスを見つめる。
マダム・デュボワさえも認めるその美貌に、私は満足げに頷いた。
見た目の変化は、心理的な変化の入り口に過ぎない。
けれど、人が最も情報を得る器官は「視覚」だと、人心掌握に明け暮れたシャーロット時代に学んだ。
人は美しい者を優れていると錯覚する。
子供だましのようだが、この改革の効果は絶大になるはずだ。
「アデライン様……」
困惑したように整えられた髪に触れるユリウスへ、私は告げる。
「この制服は、私には少々目立ちすぎではありませんか」
「それが狙いです。美しさは時に、剣よりも鋭い武器になるのですから」
私は満足げに頷き、アゼルの方を振り返った。
先ほどまで鼻で笑っていた彼も、さすがに言葉を失い、腕を組んだままユリウスを値踏みするようにじろじろと見つめている。
「……なるほど。その面構えなら、多少は魔術使いどもも、野蛮さを隠せるかもしれん。少なくとも、表面上はな」
「素晴らしい評価をありがとうございます、ガイウス卿」
貶しているようでいて、これはアゼルなりの最大限の褒め言葉なのだろう。
そう思うと、少しだけ口元が緩んだ。
周りを見渡せば、鏡に映る生まれ変わった己の姿に、気恥ずかしさと誇らしさが入り混じった表情を浮かべる魔術師たちの姿があった。
その中の一人、まだ幼さの残る男の子の魔術師が、キラキラとした瞳で私に駆け寄ってくる。
「かっこいい制服をありがとうございます、アデラインさま!」
私はその小さな肩の前にしゃがみ込み、優しく頭を撫でた。
「今日からその制服に相応しい振る舞いで、帝国の人々に『魔術師とは素晴らしい存在だ』と教えて差し上げなさい。……貴方たちは、病んだ人を癒すことも、悲しむ人を笑顔にすることも、何だってできるのだから」
その言葉は、目の前の彼だけに向けたものだったはずだ。
それなのに、食堂は不自然なほど静まり返り、誰もが私の声に深く耳を傾けていた。空気が、ピリリと張り詰める。
その沈黙を破るように、ユリウスが静かに一歩前へ出た。
その瞳には、かつての陰りなど微塵もない。
彼は真っ直ぐに私を見据え、背筋を正して声を張り上げた。
「団員諸君。……我らはこれより生まれ変わる」
凛とした声が、石造りの食堂に高く響く。
「魔術師として、この国に清く正しく向き合うこと。それこそが、今この瞬間より我らに課された使命だ」
「はっ!」
全員が揃って返事をする。その顔には、先ほどまでの迷いはなく、未来への期待と引き締まった緊張感が溢れていた。
────良かった。彼らが前を向くきっかけを作ることが出来たのね。
でも、あれ……?なんか、身体が、熱くて重い……?
「……おい……っ!アデライン・エセルリード……!?」
最後に覚えているのは珍しく焦った調子の、アゼルの驚く顔だった。




