私の新しい革命
城に戻り、冷え切った身体を温めるべく翡翠の間に足を踏み入れた私は、扉の向こうの光景に思考を停止させた。
「お嬢様……こ、これは一体……っ」
「……なに、これ……」
メリーアンと顔を見合わせること五秒。
硬直したまま恐る恐る部屋の奥へ進むと、そこには異様な光景が広がっていた。
見渡す限りの宝石の山、豪奢なドレスの列、咲き乱れるような花の香り、そして焼きたてのお菓子の甘美な匂い。
部屋の中央で、まるで山のような荷を解いているメイドに声をかける。
「あの、これは一体どういうこと……?!」
「わ……私は、翡翠の間にこれをすべて運ぶようにと、上から厳命を受けておりまして……」
開け放たれた木箱の中を覗き込む。
そこに並ぶのは、私の身体に合わせたかのようなサイズ感の子供服の数々。
どれも繊細なレースが施され、今の私が身に纏えば、まるで砂糖菓子のように可愛らしく見えるであろう代物ばかりだ。
こんな突飛な真似ができる人間など、この広大な城には一人しかいない。
「……ルキウス様っ!」
私は濡れた靴の音も顧みず、執務室へと駆け出した。
執務室の重厚な扉を適当に叩いて飛び込めば、そこにはルキウスと、その傍らに控えるアゼル・ガイウスの姿があった。
アゼルは突然の乱入に眉を顰め、冷ややかな視線を向けてくる。
「……虫でも入ってきたか?」
「違います! あの部屋の、あの大量のドレスや宝石は一体どういうことですか!」
「ああ。褒賞だが」
ルキウスは羽ペンを走らせたまま、事もなげに答えた。
褒賞。城下の火災を最低限で収めたことに対する。
でも褒賞はもらったはずだ。
私は自由をもらって、その結果としてキキと再会出来た。
(だからそれ以上のものを貰う理由はないのに……。)
「ほ、褒賞で済まされる額ではありません。あれは一体どれだけの……」
「粗末なドレスばかり着ているだろう?宝石の一つも付けずにな」
「そ、粗末だなんて……!」
エセルリード公爵家が没落寸前なのは否定しない。
だが、軍服に戦争三昧の前世の記憶と比べれば、これでも贅沢な暮らしなのだ。
あまりの非常識な贈り物に息を呑んでいると、横からすべてを察したアゼルが溜息混じりに割って入った。
「殿下、あのような贈り物をすれば、あらぬ噂が立ちかねません」
「文句を言われる筋合いはない。自分の懐から出しているのだからな」
「……しかし、殿下。殿下の『行動の結果』がこれです」
アゼルは呆れたように視線を向け、私にはまだ見えていない───おそらく彼の机の上に積まれた書類の山をちらりと見た。
「結果……とはなんですか?」
「釣書だ。それも、かろうじてデビュタントを終えたばかりの御令嬢のな。皆、殿下が幼女に執心していると勘違いし、我先にと娘を差し出そうとしている」
「……幼女趣味だと思われるのは癪だな」
ルキウスは苦々しく言い放つ。
代々皇太子妃に与えられる『翡翠の間』。
そこに突如として召し抱えられた幼い私がいれば、誰もがその政治的な意図を探ろうとするのは当然のことだった。
「では、少なくとも翡翠の間はお返しします」
「お前に相応しいだろう?」
「冗談はおやめくださいませ。今の状況で私がそこに留まるのは、ルキウス様にとっても悪手でしょう」
毅然と言い切ると、ルキウスは面白そうに鼻を鳴らした。
─────知っている。彼が置かれた危うい足場を。
皇太子の座が突如として空位となったことで、半ば転がり込んできた王位継承権。
だが、彼には盤石な後ろ盾がない。
政敵たちが虎視眈々とその首を狙う中、一挙手一投足が命取りになることを、私は理解しているつもりだ。
「私は殿下の小さな恋人を演じるつもりはありません。あくまで実務をこなす特別秘書官として、その立場に見合った働きをいたします」
私の宣言に、ルキウスは意外そうに目を細めた。
「……城の外の空気を吸ってきたようだが、随分と度胸がついたものだな?」
ルキウスの揶揄を、私は表情を変えずに小さく頷いて受け流す。
ここでたじろげば、彼にとっての「有能な駒」としての価値が下がるからだ。
「皇太子殿下に提案がございます」
「ほう。言ってみろ」
「イメージ戦略をいたしましょう。……私たちの、革命の為の」
私の言葉に、ルキウスは獲物を見つけた狩人のような笑みを浮かべる。
傍らで控えていたアゼル・ガイウスは、観念したように深いため息を一つ吐いた。
幼い少女の身で王宮という猛獣の檻を歩く。
にやりと口角を上げるルキウスを見上げながら、私は静かに覚悟を決める。
ここからが、私の新しい戦いだ。
「お集まりいただき、ありがとうございます」
その晩、静まり返った皇太子の私室には、ただならぬ緊張感が漂っていた。
招かれたのは、魔術師団長ユリウス・ティリス、そして第2騎士団長アゼル・ガイウスの二人だけ。
部屋の主であるルキウス殿下は、重厚なベルベット調のソファに深く腰掛け、 鉄色に鈍く光る瞳で私を試すように見つめている。
「───長きに渡る魔術師の不遇を打破するための、新たな一手を提案させていただきます」
私の言葉が、沈黙する室内で鋭く響いた。
この場にいる者たち以外、誰が耳にしようと即座に卒倒するような禁忌の提案だ。
建国以来、魔術師の地位向上を公言することすら、王宮では死を意味するタブーに等しい。
魔術師という業を背負ったユリウス。
国の未来のためならば、どれほどの禁忌も厭わぬ稀代の策士、ルキウス。
そして、その瞳に賭け、泥沼の戦いへ身を投じることを選んだ騎士団長アゼル・ガイウス。
この歴史を変えるための盤上に並べられた駒は、まだこれほどまでに少ない。
「わたくしは、民をまず味方につけるべきだと考えます」
「……何故?国を動かしているのは貴族だというのに?」
ルキウスは冷ややかな声音で問い返す。
貴族社会そのものを体現する彼にとって、平民という存在はあくまで統治の対象でしかないからだ。
「殿下、ならばお尋ねします。彼らが魔術師という存在に対して抱いている真の感情を、貴族である殿下は正確にご存知でしょうか?」
私が問うと、ルキウスは隣に控える魔術師団長に視線を投げた。
「ユリウス。どうだ?」
「……恐怖、でしょうか」
ユリウスが静かに呟く。幾度となくその鋭い視線を浴びてきた彼にとって、それはあまりに馴染み深い感情だった。
「ティリス団長のおっしゃる通りです。彼らの根底にあるのは底知れぬ恐怖心。いつ牙を剥くかわからない、未知の力を持つ『異形』……それが、街の人間が抱く魔術師の正体です」
言葉を切る。部屋の空気はさらに重くなった。
「対して、貴族たちが魔術師に抱いているのは?」
私の問いに、ガイウスが自嘲気味に答える。
「恐怖よりも……嫌悪に近いものだ。支配者層としての傲慢が、他者への忌避感にすり替わっている」
「仰る通りです。貴族の嫌悪と、平民の恐怖。この二つを比較したとき、払拭すべき対象として容易なのは、間違いなく『恐怖』の方です」
「そんな事が可能か?」
ルキウスが試すように目を細める。彼が見据えているのは、歴史という巨大な壁だ。
「建国からずっと虐げられ、歪められてきた存在だぞ。少しの小細工で、何百年もの偏見が覆ると思っているのか」
圧倒的な威圧感。
けれど私は怯まない。
ここで引けば、未来はない。
そういうシーンにはよく慣れている。
「殿下、人はいつだって自分の目で見たものを信じるのです」
私はゆっくりと言い切った。
「見せ方を変えれば良いのです。恐怖の対象を、正義の味方へとすり替える。……そのための舞台を用意してください」
しばしの沈黙の後、ルキウスはふっと表情を緩めた。その微笑みは、残酷なほどに美しい。
「……面白い。思うようにやってみろ」
王の許可は下りた。ここから始まるのは、世界を塗り替えるための小さな革命だ。




