sideエルステラ ロティが教えてくれたやり方で
一通り活気のある表通りを歩き回り満足した二人が宿へ戻ると、そこには旅装を解き、本来の貴族としての気品を取り戻したヴィクトリアが静かに控えていた。
彼女は2人の留守中にエルステラ情報部へ連絡を取り、帝国内に潜伏する中立の情報屋の居場所を既に特定していた。
その足で3人はその情報屋───大通りから少し外れたところにある古びた定食屋へ向かった。
黒のありきたりなローブをしっかりと羽織り、一行はフードで顔を隠す。
ミルヒオールは珍しく詠唱をし、魔力消費の大きいテレポートにて全員を店の裏口まで運んだ。
並の魔術師なら魔力切れを起こして倒れ込むような魔術を軽々と使うその様はまさに奇跡。
(ぜんっぜん習った事と違うじゃんか……!)
それを当たり前のように使い、眠そうにあくびまでしてのけるミルヒオールに、最近魔術師としての理論を学び出したばかりのキキは戦慄した。
その古びた定食屋の姿をしている情報屋の扉を開けると、チリンチリンとドアにかけられている鈴が鳴った。
夕方時の今、中では夜からの営業へ向けての仕込みの準備がされていた。
「いらっしゃい!ごめんねぇ、まだ仕込み中でねえ」
人の良さそうな、恰幅の良い女性が走りよってくる。
エプロンで手を拭いて、今さっきまで洗い物をしていたような家庭的な雰囲気だ。
「240年物のヴィンテージの赤ワインを頂きたいのだけど」
「ああ、はいはい!それなら残ってるよ。さぁどうぞ」
ヴィクトリアがそういうと、一切の顔色を変えずに笑顔で一行を店に招き入れた。
店の中に案内され、ホールを過ぎ、小さな従業員用の休憩室から暖炉の中に入り、その中の階段を登っていく。
そこは、外の平和とは隔離された裏社会の深淵だった。
淀んだアルコールと違法な煙草の臭いが充満し、退廃的な空気が渦巻いている。
ヴィクトリアは、市井の人間が一年かけて稼ぐような大金を無造作に置き、耳の聞こえない情報屋から一枚の羊皮紙を受け取った。
「……魔術師の魔術使用許可証の撤廃?」
紙に記された帝国の変革を目にし、彼女は信じられないものを見るような顔で絶句した。
「あの最悪な法律、ようやく無くなったんだぁ。良かったねえ」
「何を悠長なことを。魔術師達からすれば良かったかもしれませんが、我々にとっては脅威になり得ます」
魔術使用許可証。
愚かな帝国が魔術師を管理するための策。
魔力など修練すれば修練するほど精度が上がるのに、そんなことすらにも気が付かず、帝国の貴族たちはただ自らの欲を満たすためだけに魔術師を使う。
それが生まれた時から常識とされてきたこの帝国で、永い時間誰もが無くそうとしなかったその定義を、ルキウスは打ち砕いた。
それも皇太子に即位してほんの僅かな時間で。
ヴィクトリアは直感で理解した。
────ああ、だからヴェリアル様はこの男を消したいのか、と。
「そこまで怖がることかなぁ。帝国の魔術師なんて、大した訓練もしてないでしょー?」
「今までは、です。ですが、エルステラと共和国の開戦は避けられない。頭の切れる皇太子が、この機に乗じて魔術師を組織的に強化すれば?」
考えうる最悪の未来に、ヴィクトリアは背筋の冷える思いがした。
さらに懸念すべきは、ユリウス・ティリスの存在だ。
ミルヒオールを除き、ヴェリアルに請われた唯一の魔術師。
今は死んでいるも同然の彼を再起させ、帝国の魔力抑制装置と統合されたとき、戦況は一変し得る。
「……なら同族には悪いけど、帝国の魔術師達にはもう一回終わってもらおうかぁ」
「ミルヒオール。テレボートを使いましたが、今の魔力に余裕は?」
「ふ、……誰に言ってんのぉ?」
ミルヒオールの妖艶な笑みが、地下の湿った空気を支配した。
世界で一番強い魔法使い。
その覇気を前に、ヴィクトリアは確信を持って命じた。
「……今日の夜決行します。ミルヒオールは街を焼いてください。私とキキでサポートします。……そうですね、魔術師同士が酒に酔った勢いで喧嘩して、魔術を暴発させてしまったという筋書きにしましょう」
「でもそれってぇ、犯人の魔力を封じられて火が消えなかったら、 嘘ってバレるよねぇ?」
「構いません。これは疑念の種を植え付けるための策です。真実など大衆には無価値。魔術師が忌むべき存在だと認識させれば、それで十分なのです」
「……街を、焼く?」
キキの声が震える。
彼の脳裏には、さっきまで見ていた平和な街並みの光景が浮かんでいた。
買い物帰りの主婦、活気のある屋台、笑い合う子供たち。
それが今夜、業火に包まれるというのか。
キキにとって世界はまだ、「美しいもの」でしかない。
しかし目の前の魔術師は今、その世界を灰に帰すことを「策」として簡単に語っている。
全てが理解できない。
論理と感情の狭間で、キキはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
そんなキキの戸惑いを背中で感じながらも、ヴィクトリアは振り返ることさえしなかった。
彼女の瞳は既に、これから訪れるであろう炎上する街の未来を────そして、そこで引き起こされる帝国の混乱だけをに見つめていた。
ミルヒオールの本気の詠唱が、帝国の夜を塗り潰した。
それは単なる火災などではない。
火山爆発にインスピレーションを受けた攻撃魔法の最高傑作。
水を掛けただけでは燃え盛る火の勢いは止まらない。
尽くす術を失った騎士たちが無力に立ち尽くす中、街はただ絶望的な轟音を響かせている。
「お母さんっ……!」
逃げ遅れた少女が、煤で真っ黒に汚れた顔で泣き叫びながら、崩れかけた路地を彷徨っていた。
その姿を見た瞬間、ヴィクトリアは一瞬だけ、三人で身を隠していた結界からその身を滑り出させた。
「迷子ですか?」
氷のように冷たい声。
けれど、差し出されたその手は、かつてないほどに優しかった。
少女がこくりと頷くと、ヴィクトリアは彼女の身体に慈愛に満ちた保護結界を重ねる。
「西へ。そちらへ真っ直ぐ逃げなさい。……この火は、そちらへは向かわせませんから」
少女の背中を見送り、再び結界という名の闇の中へ戻ったヴィクトリア。
その背中を見つめ、キキは震える唇で問いかけた。
「……そんなに優しいのになんで、こんなことすんの?」
炎の轟音に掻き消されそうな、か細い問いかけ。結界を保持するキキの手は、激しく震えていた。
「ヴィクトリアは、良い奴じゃん。それなのに……」
キキにとってヴィクトリアは、初めて目を開けた時に見えた人、であった。
甲斐甲斐しく世話をしてくれて、学ぶ事は楽しい、ということを教えてくれた。
時には怒らせてしまうこともあった。
でもいつも彼女の言葉には愛がこもっていたのを、キキは身をもって知っている。
そんな彼女が今、一切の顔色を変えずに街を焼いている。
人々の命を奪う行為を平然と。
街を焼き尽くす業火の中で、逃げ惑う人々の叫び声を聞き流し、一切の良心の呵責も、迷いも、悲しみすらも表情に浮かべない。
ただ静かに、冷徹に破壊を命令するヴィクトリアの姿は、キキの知る彼女とは似て非なるものに見えた。
「勘違いしないでください」
ヴィクトリアの冷淡な声が、結界の中の張り詰めた空気を切り裂いた。
その視線は、もはやキキには向けられていない。
彼女の赤い瞳は、揺らめく炎の熱に当てられたかのように妖しく光るミルヒオールの横顔へと注がれている。
ヴィクトリアは、まるで自らに言い聞かせるかのように淡々と告げる。
「私たちは、悪人ですよ」
悪人。
その響きは、街を焼き払う炎の轟音を凌駕するほどに重く、キキの心臓を締め付けた。
それは単なる自己卑下ではなく、彼らが選んだ「生」の在り方そのものに対する宣言だった。
愛を知っているからこそ、愛を守るために平然と幾多の命を切り捨てる。
その歪で救いようのない矛盾に、キキは言葉を失った。
そしてその重い沈黙を切り裂くように、世界が唐突に、異様な色へと染まり始めた。
──────その瞬間は突然訪れた。
この世の全てを支配しているようなミルヒオールの紅蓮を凌駕するほどの黄金色の光が、わずか数メートル先を起点として爆ぜるように広がっていく。
「なっ……!」
ミルヒオールが喉の奥から絞り出すように驚愕の声を上げた。
現れたのは、単なる広域結界。
だが、その精度が異常だった。
薄く、極めて均質なガラスのドームが世界を覆うように展開されていく。
合図のように空へ光の火花が駆け上がると、空間そのものが溢れ出した透明な水に満たされていった。
空から、地面から、無数の光の雫が降り注ぎ、燃え盛る街を優しく、しかし強制的に包み込んだ。
それは消火などという生易しい現象ではない。
「炎」という事象の概念そのものを、「水」へと上書きするような圧倒的な干渉。
世界を支配していた熱が、完全に押し負けた。
爆発的な魔力が一瞬で霧散し、コントロール不能になったミルヒオールが力なく膝をつく。
ヴィクトリアは即座に駆け寄り、その細い肩を支えた。
「……っ、ミルヒオール、大丈夫ですか……!」
「……っ……」
彼はヴィクトリアの呼びかけにも応えず、呆然と自らの掌を見つめていた。
魔力の枯渇による疲弊ではない。彼の瞳に渦巻いているのは、純粋な戦慄と動揺だった。
「ヴィクトリア……いっ、いま、今の術式……見たよねえ……!」
「今の術式がどうしたのですか……?」
ミルヒオールが震える指先で、強くヴィクトリアの腕を掴む。
その力は、普段の彼からは想像できないほど切迫していた。
青ざめた顔で、彼は呼吸すら忘れたように言葉を吐き出す。
「あれ、あんな……あんな、ぞっとするほど几帳面で隙のない術式を展開出来るのは……この世でロティくらいだ……!」
「……え?」
「ロティだ……!あんな緻密な魔術のな編み方、ぜぇんぶ覚えていられるロティじゃなきゃ、できっこないんだ……!」
ミルヒオールの指先は、まるで氷に触れたかのように震え続けていた。
遠くから、水の奇跡に魅せられた人々の歓声が上がっていた。




