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sideエルステラ 純白のリボン






 

「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!恋人への贈り物に、とっておきの一品だよ!」

 

 石畳を叩く人々の足音と、活気ある呼び込みの喧騒が交差するマーケット。

 

 その中で、キキはふと足を止めた。

 

 小さな女性向けの装飾品店。 風に揺れる陳列台には、安物のアクセサリーが所狭しと並んでいる。

 

 その中で、キキの視線を釘付けにしたのは、色褪せたベルベットの台座に置かれた真っ白いリボンだった。


 何の変哲もない、けれど柔らかなサテンが陽光を弾き、真珠のように白く鈍く光っている。


 

「……キキ、なぁに見てんのぉ?」

 

「なんか、これ……」


 

 キキは無意識のうちに手を伸ばし、指先でその滑らかな質感をなぞる。

 魔力で無理やり動かしている心臓の奥が、微かに、けれど確かな熱を帯びて疼いた気がした。


 

「欲しいのぉ?」

 

「買わなきゃいけない……そんな気がすんだよ。……これじゃないと、駄目な気がする」

 

「そっかぁ。じゃあおにーさん、これ頂戴」


 

 ミルヒオールは露天商から白いリボンを受け取ると、ふと思い出したように、隣に並ぶ淡いラベンダー色のフリルリボンにも手を伸ばす。

 

 ヴィクトリアは、喜んで受け取ってくれるだろう。きっと彼女に良く似合う。

 そんな他愛ない想像を巡らせ、ミルヒオールは柔らかな微笑みを浮かべた。

 

 会計をしようとポケットに手を突っ込んだが、指先が触れたのは裏地の感触だけだった。


 

「……あ、そういえばぁ」


 

 浪費癖を案じられ、財布をヴィクトリアに預けていたことを思い出す。

 

 

「……帝国通貨、ないや。……じゃあ、これでぇ」


 

 ミルヒオールは躊躇なく胸元のブローチを外し、露天商へひょいと投げ渡す。


 露天商は投げ出された宝石の輝きに息を呑み、驚きで固まった後、慌てて何度も頭を下げ始めた。


 その騒がしい気配を背中に聞き流しながら、二人は再び人混みへと踏み出す。


 

「綺麗なリボンだねぇ」

 

「……俺、これ買ったことあるんだ」


 

 キキは歩きながら、握りしめた白いリボンの感触を確かめるように呟く。


 

「欲しそうにじっと見てるから、買ってあげた。安物なのに、結んであげたらさ……すげぇ喜んでくれたんだよ」


 

 死んでいた───否、眠っていた十数年という月日は、キキの記憶から名前も顔も、ありとあらゆる日常の細部さえも奪い去った。


 目覚めたキキの前に広がるのは未知の文明であり、知らない人間たちの営みだ。


 改めてゼロから積み上げた日常は平穏だが、ふとした瞬間にフラッシュバックする「誰か」の記憶は、常に霧の中で揺らいでいる。


 

 少女の手が自分を引く感覚。

 

 柔らかな髪を撫でた時の指先の熱。


 楽しそうな笑い声。


 顔を見たい。名前を呼びたい。


 けれど、あと一歩踏み込もうとすれば、記憶はいつも脆く崩れ去ってしまう。


 

「ミルヒ、あんたも何か……知ってんのか? 俺の昔の事」

 

「キキの昔は知らないけど……白いリボンでいつも髪を結ってた人の事は知ってるよぉ」


 

 ピンクブロンドの、少し癖のあるふわふわの髪。

 

 リボンがどんなにくすんでも、シャーロットは新しいものを欲しがらずに大事にそれを使っていた。


 ミルヒオールは足を止め、遠く流れる雲を見つめた。


 その眼差しは、どこか遠い時代を見つめているようだ。



 

「俺ってさ、何なの?」


 

 絞り出すような問いかけに、周囲の喧騒がふっと遠のく。


 

「ヴィクトリアもユーティオティアスも、俺を見るたびに『何か思い出したことはないか』って聞いてくる。ヴェリアル様は……時々、すげぇ冷たい目で俺を見るんだ。俺の知らない俺を、皆知ってんの?」


 

 キキの切実な声に、ミルヒオールは少しだけ驚いて目を見開いた。

 

 かつて切望した太陽の光が、眩しく世界を彩っている。


 吹き抜ける風が二人の髪を揺らした。


 

「君のことを凄く大切に思っていた人がいたんだぁ……死んじゃったけど。皆、その人に恩があって、だから君を目覚めさせてあげたかったんだよ」


 

 並木道の木漏れ日が、二人を交互に照らしては消えていく。

 ミルヒオールの声はどこまでも穏やかで、まるで読み聞かせの童話のような響きを持っていた。


 

「それってもしかして、シャーロットって人……?」

 

「うん、そぉだよぉ」


 

 キキは小さく溜息をつく。肩にのしかかる見えない重圧を振り払うように、首をゆっくりと回した。


 

「エルステラの人達はさ、俺が記憶を思い出すのを期待しすぎてて……正直、ちょっと荷が重い」


 


 生まれたばかりの子供を慈しむような、けれどどこか「答え」を求める渇望に満ちた眼差し。


 皆、キキの言葉の端々に、もうこの世にいないシャーロットの気配を探しているのだ。


 彼女の影が大きすぎて、時々自分という存在がよくわからなくなる。

 

 そんな焦りのような不安を、誰かに零したことはなかった。


 話せば何も出来ない赤子に等しい自分など、愛想を尽かされてしまうかも。そう思って、飲み込んできた言葉。


 けれど、ミルヒオールの陽だまりのような雰囲気に、思わずキキの唇から本音が飛び出した。


 

 なんて言われるだろう。呆れられる? それとも、怒られる?

 

 ドキドキしながらキキはミルヒオールの顔をちらりと盗み見る。


 

「うーん、別に君が思い出せなくても、責める人はいないんじゃないかなぁ? 君が楽しく毎日生きててくれれば、きっとロティもそれが一番嬉しい。第一……君がいてくれたら、僕は楽しいからねぇ」


 

 ミルヒオールは悪戯っぽく笑い、ふわりとキキの背中を叩く。

 

 その掌の温度が、キキの凍りついた感情を少しだけ溶かした。


 

「……ミルヒは良い奴だ」

 

「あはっ、ありがとねぇ」

 

「卑屈になってごめん。俺も……思い出せるといいなって思うよ。俺のことを、そこまで大切にしてくれていた人のこと」


 

 チチチ、と鳥の鳴き声がした。茶色の毛色の、唄うように鳴く小さな鳥。

 

 ああ、そういえば、習ったばかりだ。この鳥───春を告げる鳥の名前は、シャーロットという。


 

 キキは空を見上げた。

 

 穏やかな午後の陽光が、彼の瞳に少しだけ明るい色を灯す。

 

 そしてふと、思い出したように隣を歩く少年に視線を向けた。


 

「そういえば今回、帝国へ行くって言い出したのミルヒなんだろ? それも……俺が記憶を取り戻すのを手伝ってくれるため?」

 

「それもあるんだけどぉ……なんか、ダイヤモンドの気配がする気がするんだぁ」

 

「ダイヤモンド?」

 

「うん。ユーティオティアス様に習ったでしょ? 例の()()たちのこと」


 

 ──苦悩のラピスラズリ。

 ──嫉妬のターコイズ。

 ──激昂のサファイア。

 ──悲痛のアメジスト。

 

 ───そして、孤独のダイヤモンド。


 

 エルステラが追い求めているそれらは、世界を揺るがす爆弾のような存在だ。

 

 現在、手元にあるのは『悲痛』と『嫉妬』。

 

 そして、シャーロットの心臓から忽然と姿を消した、『孤独のダイヤモンド』。


 

 ミルヒオールは、まるで風の匂いを嗅ぐように大きく息を吸う。

 

 世界で最も強大な魔力を持つといっても過言ではない彼にしか感知できない、微細な波長。

 

 それは彼が長年、シャーロットの亡骸と向き合い、その冷たさに触れ続けてきたからこそ掴める、特別な痕跡でもあった。


 

「やっぱり……この街に来てから、気配が濃くなった気がするんだぁ」


 

 ミルヒオールの瞳が、王宮の方角を射抜く。

 

 その横顔には、いつものおどけたような気配はなく、狩人のような鋭さが宿っていた。

 

 

祝 50話!まだまだよろしくお願いします!

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