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自由の代償と、試練



 

 翌朝。

 

 まだ夜明け前の薄暗い時間だというのに、皇城の裏手に広がる広大な魔術師団演習場には、異様な熱気と緊張感が立ち込めていた。

 

 観覧席の最前列、皇太子ルキウスの隣という文字通りの『特等席』に腰掛けた私は、眼下に広がる光景を静かに見下ろしていた。


 

 整列しているのは、数千の宮廷魔術師たち。

 

 そしてその先頭には、いつもの魔術師団長の正装に身を包んだユリウスと、その少し後ろで緊張に小さな肩を震わせているメリーアンの姿があった。


 

「これより、新たな魔術統制法の発布、ならびに旧許可証制度の廃止を宣言する」


 

 ルキウスが宣言した瞬間、演習場にざわめきが広がった。魔術師たちの顔に、驚愕と、にわかには信じがたいという戸惑いが走る。


 

「今この瞬間を以て、貴公らを縛っていた紙切れの枷はすべて消滅した。今後は自身の魔力の許す限り、正義の名のもとに魔術を行使することを許可する!」


 

 その言葉が響いた瞬間、地鳴りのような歓声が湧き上がった。

 泣き崩れる者、互いに抱き合って喜ぶ者。彼らにとって、魔術を制限されるということがどれほど残酷な窒息であったか、その光景が何よりも雄弁に物語っていた。


 

 しかし、歓声が最高潮に達したその時。


 その熱を冷酷に、しかしどこか厳かに切り裂くように、硬く、重々しい足音が演習場の鉄の門から響き渡った。


 

「────実に感動的な光景だ。まるで御伽話のひと幕を見ているかのようです、殿下」


 

 低く、よく通る声とともに姿を現したのは、緋色の髪を短く刈り込んだ『戦争派』の筆頭、アゼル・ガイウス公爵だった。

 

 彼の後ろには、重厚な鎧に身を包んだ精鋭の重装騎士たちが数十人、粛々と規則正しく演習場を包囲していく。その無駄のない洗練された動きは、彼らが帝国を守る本物の最強の軍隊であることを無言で示していた。

 

 一瞬にして、魔術師たちの歓声が、冷や水を浴びせられたような静寂へと変わる。


 

「ガイウス卿……。魔術師団の演習場に、騎士団を率いて何の御用ですか」


 

 ユリウスが、一歩前に出て静かに問いかける。彼の手のひらには、いつでも展開できるように魔力の気配が微かに揺らぎ始めていた。


 

「なに、確認に来たまでだ。これからの帝国を担う若き覇王が、いかに慈悲深い法を敷かれるのかをな」


 

 アゼルは暴言を吐くこともなく、観覧席のルキウスへ、臣下としての完璧な一礼を捧げた。その立ち振る舞いには隙がない。だからこそ、その底の知れなさが不気味だった。

 アゼルはゆっくりと顔を上げると、今度はその鋭い視線を、ユリウスの背後に隠れているメリーアンへと向けた。


 

「だが、殿下。慈悲だけで国が傾けば、そのツケを払うのは前線の騎士と民です。魔術師に許可証という足枷を嵌めていたのは、彼らを差別するためではない。暴走すれば一国を滅ぼしかねない『強大すぎる力』を、安全に管理するための苦渋の決断ですぞ。彼らに自由を与えるということは、その暴走の責任を、彼ら自身に背負わせるということ。……それが、どれほど残酷なことか、理解しての法案でしょうか?」


 

 その言葉は、決して単なる理不尽な悪意ではなかった。

 むしろ、歴史を鑑みればあまりにも「正論」だ。

 

 その重々しい現実の指摘に、先ほどまで喜んでいた魔術師たちの顔に、じわじわと「自由の代償」という名の不安が広がり始める。

 彼らは自らの意志で、自らの強大な力を制御する責任を、突如として突きつけられたのだ。


 

 アゼルは静かに、しかし確実な罠を仕掛けるように口元を僅かに歪めた。


 

「証明しよう。感情論の『自由』とやらが、いかに危ういものであるかを。……連れてこい」


 

 騎士たちの間から歩み出てきたのは、ボロをまとった一人の男だった。衣服には帝国魔術師団長の古い階級章が残っているが、その瞳は完全に濁り、精神が崩壊している。


 

「彼は、数日前の戦域で大魔術を乱用し、精神を魔力に喰われて暴走した共和国の魔術師だ」


 

 ガチャリ、と男の拘束具が外された瞬間。

 

 男の身体から、どす黒く膨れ上がった過剰な魔力が、制御を失って周囲へと撒き散らされた。


 

「アアアアアアッ!!」


 

 狂叫とともに、男の周囲の地面が爆裂し、無差別に炎と雷の嵐が吹き荒れる。完全に自我を失った、魔力の『暴走』。

 それは、管理を失った魔術がもたらす、紛れもない現実の脅威だった。

 

 演習場の魔術師たちが、その圧倒的な破壊の余波に息を呑み、怯えて後退りする。

 

 

「ティリス団長、そしてそこの秘書官殿。これが貴殿らの望んだ世界の、一面だ」

 

 

 私の隣に座るルキウスは退屈そうに頬杖をついたまま、ぴくりとも動かない。

 彼は、試しているのだ。

 この重い現実を、アゼル・ガイウスという巨大な壁を、私とユリウスがどう切り抜けるかを。


 

 私はゆっくりと席から立ち上がると最前列の手すりに手をかけ、眼下のアゼルを見下ろした。


 

「ガイウス閣下」


 

 私の透き通った声が、暴走する魔術の爆音を突き抜けて、演習場全体に響き渡る。


 

「確かに、それは現実です。ですが、その方が暴走したのは、自由を与えられたからではありません。共和国が彼らを兵器としてしか扱わず、魔術の正しい使い方を、己の意志で培う機会を奪い続けてきた結果です」


「ふむ。10の子供にしては、大層な演説だ、エセルリード公爵令嬢」


 

 アゼルは私の言葉を聞いても表情を一切崩さず、嫌味ったらしくパチパチと手を叩いた。


 

「だが、理想だけで人は救えん。今この瞬間にも、その兵器とやらが、ここにいる魔術師どもを噛み殺そうとしているぞ。……さあ、どうする?」



 暴走した男の魔力がさらに膨れ上がり、演習場の石畳を次々と爆破している。

 

 

 魔術師たちの間に、一気に恐怖が伝染していく。

 さっきまで自由を歓喜していた彼らだが、いざ目の前に「制御不能の圧倒的な力」を突きつけられると、怯えて後ずさることしかできない。



 ルキウスのすぐ傍で炎が爆ぜた。

 

────ここで皇太子に怪我でもさせてしまえばアゼルの言う通り、魔術師を制御しないことが失策だったという前例が完成してしまう。


 それだけは、絶対に避けなくちゃ。




 

「───ユリウス!」


 

 私は観覧席から、眼下にいる彼の名前を叫んだ。

 ユリウスは私を見上げる。目が合うと、彼は小さく頷く。


 ユリウスが深く一呼吸置くと、彼の周囲に目も眩むような純白の魔方陣が、幾重もの多重展開で浮かび上がった。

 

 かつての古い制度なら、これほど大規模な魔術を即座に使うことなど、面倒な手続きのせいで絶対に不可能だった。でも、今は違う。



「ジュ・アテ・フィン・フィンドラーレ。女神よ、万象を拒絶する聖域を」


 

 ユリウスが放った光の壁が、一瞬にして暴走する男を隔離した。男が放つ炎と雷の嵐は、結界の内側で激しく弾けるが、外側には一歩も漏れ出さない。宮廷魔術師団長としての、圧倒的な実力。

 

 

「化け物め……」


 

 騎士の一人が小さく毒突く。しかし、アゼルは動じない。


 

「守るだけでは何も解決しない。その男の魔力は、自分の命を燃料にして燃え盛っている。殺さなければ、いずれ結界ごと自爆するぞ」


 

 アゼルの指摘はあまりにも正論だった。結界の向こうで、男の皮膚から血が吹き出し始めている。自壊へのカウントダウン。もう時間がない。

 

 だが、ユリウスの表情はピクリとも動かなかった。


 

「殺しはしませんよ、ガイウス卿。彼も、世界に道具として使い潰された被害者だ。ここで切り捨てたら、僕たちはあなたたちと同じになってしまう」


 

 ユリウスは結界の向こうの男を、その鋭い双眸でじっと見据えた。

 他人の暴走する魔力。その複雑に絡み合った最悪のエネルギーの糸口を、彼はたった一人、自身の圧倒的な魔力感知精度だけで瞬時に読み解いていく。


 

「────、見えたッ……!」

 

 

 ユリウスの手のひらに、破壊の光ではなく、限界まで細く圧縮された「光の針」が形作られていく。

 一歩間違えれば、相手の暴走に巻き込まれて自分の精神まで焼き切られる精密作業。それを、彼は平然と、一人でやってのける。


 

 ユリウスが指先を突き出した。


「静まれ。哀れなる同胞よ……」

 

 

 放たれた光の針は、猛り狂う炎と雷の隙間を完璧に縫って、男の心臓にある魔力の核へと、寸分の狂いもなく突き刺さった。

 

 その瞬間。

 演習場を揺るがしていた爆音が、嘘のようにピタリと止んだ。

 

 どす黒い魔力は霧のように消え去り、男はその場にバタリと倒れ込んだ。かすかに息はある。命に別状はなかった。



 

「……バカな。暴走した魔術師を、たった一人で、殺さずに助けただと……?」


 

 騎士たちだけでなく、周りの魔術師たちからも、深い感嘆の息が漏れる。

 恐怖で支配するのではなく、たった一人の魔術師が、その圧倒的な知識と技術で「力を完全に制御してみせた」のだ。

 

 

 私は再び、手すりに手をかけたままアゼルを見据えた。


 

「ガイウス閣下。これでもまだ、自由は地獄を招くだけの危ういものとお思いですか?」


 

 アゼルは、倒れた男とユリウスを交互に見つめ、最後に私を見た。

 その顔には、悔しさも怒りもない。ただ、予想以上の手応えを得たことに対する、冷徹な興味だけが宿っていた。


 

「……見事だ、 エセルリード公爵令嬢。そしてティリス団長」

 

 アゼルはゆっくりと、皮肉を込めて拍手を送った。


 

「一時の暴走を、天才が力で抑え込んでみせたか。実に見応えのある喜劇だった。だが、忘れるな。ここにいる全員が、お前のように優秀なわけではない。今日救えた一人が、明日暴走する百人の免罪符にはならんのだ」


 

 アゼルはひるがえり、重装騎士たちに撤退の合図を出した。

 

 

「今回は引き下がろう。……だが、これから始まる『自由』という名の泥沼を、その小さな身体でどこまで泳ぎきれるか、前線から楽しみに見せてもらう」


 

 重々しい足音を響かせながら、アゼルの一行は去っていった。

 演習場には、今度こそ本当の、地を震わせるほどの歓声が沸き起こる。

 

 

「……ふ」


 

 背後から、短い笑い声が聞こえた。

 振り返ると、皇太子ルキウスが立ち上がっていた。その冷たい瞳には、楽しそうな色が浮かんでいる。


 

「面白いものを見せてもらった。アデライン、お前を私の『秘書官』に選んだ判断は正しかったようだ」


 

 ルキウスは私の横を通り過ぎ、歓喜に沸く魔術師たちを見下らしながら、美しくも残酷な笑みを浮かべた。


 

「だが、ガイウス卿の言う通り、これは始まりに過ぎない。アデライン……私を失望させないでくれよ?」


 

 帝国の未来を揺るがす、新法発布の朝。

 

 私たちはアゼル・ガイウスという巨大な壁をひとまず退けた。しかし同時に、確実に、嵐の中へと足を踏み入れたのだった。



 

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