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罠に引っかかったネズミ


 

「では、アデラインお嬢様。私はここで失礼します」

 

「ありがとう、メリーアン」


 

 大広間の重厚な扉の前まで送ってくれた少女は、どこか名残惜しそうに、はにかむような微笑を浮かべた。


 きゅっと、私の両手を包み込むように握りしめてくる。


 その小さな掌は驚くほど温かくて、見上げる彼女の瞳が、薄暗い通路の光を反射して、ほんの少しだけ潤んでいるのが分かった。


 

「また……会えるでしょうか」


「……ええ、きっと」


 

 根拠のない言葉だと分かっていながら、私はそう返すことしかできなかった。

 

 公爵家のお屋敷に閉じこもりがちな病弱なご令嬢と、王宮に籍を置く幼き魔術師。生きる世界の違う私たちが、また交わることなど約束できるはずもない。

 

 けれど、もし。もしもまた奇跡のように出会えたなら、その時は────他愛もない幸せを共有して、また笑い合いたい。

 

 だってメリーアンは、私がこの世界でアデラインになってから、初めてできた大切な友人なのだから。



 

 余韻に浸りながら、私は静かにメインホールへと戻った。


 

 戻るのが遅くなったことを父やルチアに咎められるかもしれないと恐る恐るの足取りだったけれど、それは杞憂に終わる。


 二人は未だ、群がる貴族たちからの挨拶攻めに追われていた。本物の貴族の社交というのは、大変そうだ。

 

 大広間ではちょうど、華やかなワルツの演奏が終わりを迎える。

 

 きらびやかなドレスと正装を纏った男女が向かい合い、優雅に一礼を交わした。

 

 悲劇が幕を開けたのは、まさにその、完璧な静寂が訪れた直後だった。



 

 ────ガシャァァァァァンッ!!!



 

 鼓膜を容赦なく突き刺すような、凄まじい大質量の破壊音が大広間に響き渡る。

 頭上できらびやかに輝いていた、あの巨大な結晶シャンデリアが、支えを失って真下へと滑り落ちたのだ。大理石の床へと激突したそれは、無数のガラスと、暴走した魔石の鋭い破片となって、爆風と共に四方へと飛び散った。

 

 

「きゃああああああっ!?」

 

「な、何事だ! エルステラの襲撃か!?」

 

 

 一瞬にして平和で美しい夜会は吹き飛び、黄色い悲鳴と怒号がホールを埋め尽くす。

 

 爆風を浴びたある者は怪我をしたのか血の滲む腕を抑え、父親の衣類にすがりついた幼い男の子が恐怖に声を殺してガタガタと震えていた。

 

 誰もが突発的な事態にパニックを来し、我先にと出口へ逃げ惑う混沌の中────。

 

 私は、ただ一人。その『原因』を探していた。


 

(違う。老朽化でも、エルステラの仕掛けでもない。今の、この不自然にねじ曲がった魔力の軌跡は……会場の前方から、シャンデリアの留め具を目掛けて一直線に放たれている。そしてその消えかけた軌跡の始点を逆算していけば、そこにいる人間が犯人で、間違いない)


 

 肉体がどれほど脆弱なアデラインになろうとも、魂の深部にまで刻み込まれた魔術師としての本能までは消し去れない。

 

 私は無意識のうちに、怯え惑う周囲の人間と同じ「か弱き令嬢」を演じることを忘れ、そのおぞましい魔力の発生源へ────冷たく、鋭い視線を真っ直ぐに射抜いていた。

 

 そしてそのきっかり5秒後。私は己の犯した致命的な失策を、骨の髄まで後悔することになる。

 

 

 真っ直ぐに見つめた視線の先。


 

 混乱する群衆など最初から視界に入っていないかのように、優雅に王座に腰掛ける人物と、その傍らに控える皇太子の護衛官。

 黒い髪の皇太子──ルキウスが、驚いたようにその灰色の双眸を見開き………そして、にやりと、唇を不敵な弧へと歪めた。

 

 まるで、精巧に仕掛けた罠の網に、期待通りの獲物が引っかかったのを確認したかのような。

 

 底知れない愉悦に満ちた、捕食者の瞳だった。


 

「……なに、鬨の声だ。気にする必要は無い」

 

 

 ルキウスが、低く、しかし驚くほどよく通る愉しげな声を響かせる。

 

 

「では、今日の宴はこのあたりでお開きとしよう。怪我をした者は、我が抱えの魔術師達が責任を持って治療にあたる。そのまま残るといい」

 

 

 彼がそう冷淡に告げてなお、その灰色の双眸は、まっすぐに私を射抜いたまま微動だにしない。

 

 その歪んだ視線の意味を理解した瞬間、私の背筋を、ドッと冷たい戦慄が駆け抜けた。

 

 

(しまっ、た……!)


 

 私は知らなかった。

 否、あまりに長く()()であり続けたせいで、完全に忘れていたのだ。


 

 普通の女の子は。

 

 

 魔術なんて縁のない、か弱き人間の公爵令嬢は───突如として放たれた高密度な魔導反応に対して、ただ怯え、あるいは気絶することはあっても。

 決してその発生源を正確に割り出し、あろうことか犯人を睨み返しつけたりはしない、ということを。


 

 ルキウスは、最初からわざと魔力を暴発させたのだ。


 

 この会場に紛れ込んでいるかもしれない、牙を隠した『ネズミ』を炙り出すために。


 

 そして私は、その悪趣味な罠に見事なまでに、自ら飛び込んでしまった。


 

 遠く離れた視線の先で、若き独裁者が深みのある笑みをさらに深める。


 

 病弱な公爵令嬢としての仮面が、音を立てて完璧に剥ぎ取られた瞬間だった。


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